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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「宗派紛争」という名称の改名提案から、41歳の新鋭中東学者・池内恵氏が、既存のイスラム・中東学者を火のような勢いで批判中

今までもよく文中に出てきたが、今回のエントリはまた特に叩きつけるような、火の出るような勢いで語っている。

http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-167.html
中東専門家は、往々にして「一般の報道・認識は間違っている」と言いたがり、この問題については「宗派紛争なんてない」と言います。

それを通じて、なんだかイラクについて(あるいはシリアについて、レバノンについて、パレスチナについて)の報道が間違っており、政策も根本的に間違っている・・・というような印象を醸し出します。そこから、一般聴衆には、とにかく中東は理解不能なことが多い、という印象を受ける人が多いようです。

なんだかいつも専門家に説教されているような印象がありますね。

でも、これはかなり単純な誤解や印象操作、論点ずらしで成り立っている議論なんです(ご本人たちに論点をずらしている意識がないような様子が怖いですが。。。業界の同調圧力に依存した教育って恐ろしい。意図してやっていないということは、間違ったことや結果として嘘となることを言っていいということにはなりません)。

根本原因は宗教・教義の違いじゃないんだよ」という議論が、いつのまにか「そもそも宗派紛争などないのに欧米の報道が間違っていて、それを口実に介入がくるぞけしからん反対運動しよ〜」といった方向に議論が脱線してしまうと、かなり間違いや不適当な部分を含んだ論説になってしまいます

てっとり早く「宗派紛争など存在しないのに欧米の介入が作り出した・・・」といった議論をして、世論に対して説教をし、自らの存在意義を確認したいというのは研究者の性ですが、そういったことの先には、たいしたものは待っていません。せいぜいが自己満足と業界の仲間との結束感であり、背景ではそういう方面で議論をしている業界の偉い人への阿りが裏打ちしています

すげーなあ、と思うのは、学者で41歳といえば上にまだいろんな大御所とか権威とかがたくさんいるはずなのに、よくもこれだけいえるなあ、と。そりゃ単純にすごいね。学会発表の質疑とかはどうなってるんだろう。

ところで池内氏の「新用語」提案について

イラクの現在は宗派紛争なのか?」という問題。
私の考え方は…(略)下記のようなものです。
 
(1)宗派紛争(「宗教コミュニティ間の紛争」という社会・政治的意味での)は現に存在している。
(2)宗派紛争(「宗教・宗派間の教義をめぐる争い」という宗教的意味での)はほとんど存在しない。ただし上記の社会政治的な意味での紛争が生じた後には教義的な意味づけをして扇動する者たちが出てきて一部では本当に教義をめぐる闘争になる場合もある。

そもそも「宗派紛争」とは英語の「sectarian strife」や、アラビア語の「fitna ta'ifiyya」を日本語訳して流通している概念です。もともとの「宗派」という言葉(の原語)は、宗教の「教義」ではなく、社会政治的な宗教・宗派のコミュニティあるいはそのようなコミュニティへの帰属意識を核にしたさまざまな政治現象という意味の「sect; sectarianism」あるいは「tai'fa; ta'ifiyya」なのです。

正確に「宗派コミュニティー間紛争」と訳すべきだ、と私は遠い昔に書いたことがありますが、まあ実現しないでしょう

新しい用語の提案があると、基本的に自分は興味をもってその提案を聞き、賛同して自分も使い始めたり、逆に放置したりするのだが、今回の論は非常に腑に落ちて、自分も使いたいと思った。
日本だって「宗派紛争」というより「宗派コミュニティ間紛争」である。
日蓮聖人が末法の御本仏かどうかの意見相違による対立でなはくて、参院選のたびにF票を獲得するための勧誘電話がうるさい、が対立の原因になったりするものな、しばしば(笑)。