INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

専制君主の”啓蒙”が大衆を抑圧するとき〜新釈・徳川綱吉(生類憐みの例)

おなじみ有名ブログ「Kousyoublog」の記事より

専制君主としての徳川綱吉と生類憐みの令
http://kousyoublog.jp/?eid=2963

このブログ以外にも、
本年度だったかな?教科書の記述がちょっと変わったということで話題になったんだっけ。

徳川綱吉 教科書記述一変、生類憐みの令は慈愛の政治と評価
http://snn.getnews.jp/archives/67458
 劇的に評価が上がったのが、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉である。1988年版にはこうある。

〈生類憐みの令をだして犬や鳥獣の保護を命じ、それをきびしく励行させたため、庶民の不満をつのらせた〉
〈綱吉はぜいたくな生活をするようになり、仏教への信仰から多くの寺社の造営・修理を行い、幕府の財政を急速に悪化させた〉

 みなが知る暴君の印象を強めるものだったが、現在では180度変わった。

〈犬を大切に扱ったことから、野犬が横行する殺伐とした状態は消えた〉
 悪法とされてきた生類憐みの令が、〈綱吉政権による慈愛の政治〉とまで褒められている。『教科書から消えた日本史』の著者で、文教大学付属高校講師の河合敦氏は「綱吉ほど近年の研究で教科書上の評価が変わった人物はいない」という

田沼意次吉良上野介阿部正弘・・・などの再評価は一般イメージにおいてもそれなりに進んだような気がするが(このへん、メディアにもよるので異論もあるでしょう)、専門家のほうの再評価は進むのに、一般イメージの改善・変化がいまだしの”最後の大物”感があるのが徳川綱吉。教科書記述の変更は大きい。
でも、対極に水戸黄門徳川光圀がいるからねえ。
以前自分は
「人のよい魔王とタチの悪い乱暴者の勇者」や「人のよい地球侵略組織とタチの悪いスーパーヒーロー」といったパロディ漫画のノリで綱吉と光圀の立場を逆転させたらいい、とか書いてたな(笑)

■「約束を ひっくり返す お約束」〜魔王と勇者、デビルマンまどか☆マギカ・・・そして・・・水戸黄門
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20110903/p3
(前半部は略)
「お約束を壊せば、大評判になるに決まってる」作品として頭に浮かべたのは…「水戸黄門」だった(笑)
しかもその数ヵ月後「水戸黄門、人気低迷で打ち切り」という報道があった(爆笑)

ハード&ダークな、お約束を脱した「水戸黄門」は?

人気低迷で打ち切りになるんなら、一回開き直ってすんごくハードでダークな水戸黄門作ってみない???
えーと水戸のご老公は、少年時代に「度胸がある」と友人に証明するだけのために罪のない下層民を切り刻んだ(実話)。そのトラウマに毎晩悩まされているとか。

民から搾り取るばかりに見えた悪代官は、実はそれで水路を整備し、民を根本的に豊かにしようとしていたのだ、とか。


越後屋は貧困のどん底から這い上がった苦労人だとか。

・・・書いたけど、作っても失敗ぽいね(笑)。でもダーク&ハードな「水戸黄門」ってのは俺なんかじゃなく、しかるべき人が考えれば面白いかも。


この時代は、悪に配置されるのはちんけな一代官や藩家老、米商人じゃなくて、名君・賢君水戸黄門に対する悪政のバカ将軍・徳川綱吉という設定も多い(もとの講談は特にそうだ)
だが、これをひっくり返す視点で描いた歴史書も多い。多くは一般向けだが、俺は楽しめました。内容紹介の時間無いな。

黄門さまと犬公方 (文春新書)

黄門さまと犬公方 (文春新書)

逆説の日本史 14 近世爛熟編文治政治と忠臣蔵の謎

逆説の日本史 14 近世爛熟編文治政治と忠臣蔵の謎

このうち、上の話は、もともと自分が将軍になる前「京都から宮様をお迎えしては」といわれるぐらい、静かなかたちでの「重臣による権力簒奪」(と書いたが、当事者に簒奪意識は毛頭ない。日本的に組織を動かしていったら自然とそうなったのだ)が行われていた江戸将軍家に、側用人という”制度的トリック”を持ち込んで独裁・専制権力を復活させた綱吉の手腕、に焦点を当てている。
今回の記事のテーマに沿っているのは「黄門さまと犬公方」のほう。ことしで出版から15年目を迎えているが、史書とはいえまだ現役新書として価値を持っているのはおどろきだ。
http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784166600106

井沢元彦の本は上の新書を彼流にダイジェストしたという意味合いも強い。ただ井沢氏は(特に古代史で)独特すぎる解釈で暴走するより、むしろこういうダイジェスト・ライター(書評家)として超一流であり、こちらで読んだほうが面白かった、頭に入った・・・ということがあってもぜんぜんおどろかないね。


江戸期に入る前の中世戦国の気風が「修羅の国」じみているという話はこのtogetterもおもしろい。

室町時代の行動倫理あれこれ
http://togetter.com/li/476344

ヒャッハー!!!
http://www.jice.or.jp/archives/201006111.html

・・・渡辺氏は「彼ら(江戸初期の日本人)の心意はその激しさ、変わりやすさ、慈悲と残虐、誠実と欺瞞、憤怒と後悔、礼節と野蛮という対極の共存という点で、恐ろしくヨーロッパ中世人と似ていた。」と述べている。ここで紹介した事例以外で見ても、江戸初期は戦いに明け暮れた戦国時代の殺伐とした雰囲気を漂わせており、まるで「兵営国家」の性格を帯びていたという。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

 そしてそれが「少なくとも18世紀初頭までには、同時代でも(世界的に)珍しい『平和国家』、殺伐の気が毛ほどもなく、社会的緊張もほとんど緩んだ駘蕩たる世界に変貌した」と言うのだが、なぜこのように変貌したのかについては「なにゆえ、いかにしてと問うのはこの本(※「逝きし世の面影」)の主題ではない」とまったく触れていない。

 ところが、この「なにゆえ、いかにして」を問うた人がいるのだ。それは「黄門様と犬公方」(文春新書)を著した東京工業大学教授の山室恭子氏である。前半では、黄門伝説はなぜ生まれたのかを光圀の出生から紐解き、説得力ある説明を与えているが、後半では五代将軍綱吉について紹介している。従来の説では、子供に恵まれなかった綱吉は愚かにも僧侶の進言に従い、多くの民百姓を苦しめた「生類憐れみの令」を施行した「バカ将軍・犬公方」となっている。しかしそれは、次の将軍家宣に仕えた新井白石のデタラメな創作だというのである。先代をおとしめて現役の将軍を持ち上げる手法は、よくある一般的な歴史記述の方法だ。それを用いた白石のインチキなウソが「一犬虚に吠ゆれば、万犬実を伝う」の言葉通り、真実と化して伝世したというのだ。

 山室氏はこの憐れみの令の24年間の執行期間中、捕まった町人の事案はわずか15件、百姓の事案も6件に過ぎず・・・・・・(略)

と、余談がすぎた。

http://kousyoublog.jp/?eid=2963
の話題に戻ると、「綱吉再評価」といっても、やはり生類憐みの令がいくら「戦国の遺風」の一掃に効果を挙げたとはいえ、同時代の民衆、下層武士も含めて大歓迎された、という感じでもなく、また六代将軍がすぐにその法を廃し歓迎された(ちょっと乱暴な言い方ですよ、これ)ということもある。
綱吉再評価を、ごく単純なパターンとしての
「悪王(または賢帝)伝説は誇張されていた」
というレベルの図式で読み取っても・・・まあ一般イメージから見ればそれでも十分に前進だし興味深いけど、むしろ彼の治世にあった欠陥部分をどう見据えるか、どのような性質の失敗だったか、そのへんを考えていくともっと深くなるのだ。

儒学に傾倒していた彼は何より「仁」を重んじ、仏教徒として「殺生」を忌避した。『ヒトは、仁心を持ち得るものであり、すべてのひとをそのように導くのが君主の任務であるというのが綱吉の理解した儒学の教え』(塚本「徳川綱吉」P160)であった。『綱吉は、意志ある存在としての人民を統御し保護するのを将軍の任としていた。意志あるゆえに教化可能な対象であり、これを仁心に導くための努力が傾けられた』(塚本「徳川綱吉」P160)。人民一人一人の思想統制まで考慮した日本最初の君主・・・

儒学、仏教はさまざまに堕落し、また思想的な弊害を持つけど、為政者、支配者に「民衆への慈悲心」「民への配慮」などを強いるパワーとしては機能した(李氏朝鮮の民生について以前新書で読んだ仕組みも面白かった。あとで紹介したい)。

ただ、綱吉は傾倒した朱子学のせいなのか、やはり独自の個性なのか

ひとをふくむ一切の生類が権力によって保護さるべきものだという考え方と、もう一面ではひとびとに生類の憐みを命ずるという考え方の二面・・・(略)

・・・その高い理想ゆえに、現実とのギャップの中で苛烈極まる手段を取り、また、将軍権力が強化されていく過程と相まって啓蒙専制君主的な絶対者として君臨した。ゆえに綱吉は暗君ではないし、かといって名君でもなく、高い教養と判断力を持つがゆえに凡庸でもなく、偏執的な傾向は無きにしもあらずではあるが、異常人格でもない。ただ、同時代の文化や社会を反映させた政策を苛烈に実行して失敗と成功を繰り返し・・・

鼓腹撃壌の時代から、民衆を「ほっとく」「干渉しない」というもうひとつの善政スタイルがあった。たしかに前近代では、村は村なりの統治機構があり、ルールも政治もあって、これに干渉しないである程度の税金をとったらあとは不干渉、というのもよかったろう。その村で水害や冷害が起きようと、それはその村で解決しろ。滅ぶなら滅べ。という酷薄さもあるが。


しかし「諸侯、民衆を含めてよき正義に、真善美に導こうぞ!」という強烈な思いのある人間なら、当然そのぶん干渉は激しくなる。
ましてや朱子学は人の可能性や、「修身斉家」がそのまま国や世界の平和や安定につながると考える思想なので、ますます問題が出てくる。

啓蒙専制君主というのは個人的には好きな人物が多いが、「失敗した啓蒙専制君主は、暗君よりなお悪い」というのも事実だよなあ。



kyoushoublogのブクマにこんなコメントがある。

http://b.hatena.ne.jp/entry/kousyoublog.jp/?eid=2963
id:DG-Law 歴史 日本
言われてみると,同時代のルイ14世康煕帝というよりは,ヨーゼフ2世的な感じだよね。吉宗のほうがむしろ絶対君主的。2013/07/10

慧眼。
ウィキペディアの「ヨーゼフ2世」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%952%E4%B8%96
・・・改革の多くが挫折に終わったことから、母マリア・テレジアと比べてヨーゼフは否定的な評価を受けやすい。プロイセン王フリードリヒ2世に「第一歩より先に第二歩を踏み出す」と揶揄され、またヨーゼフ自ら選んだ墓碑銘は「よき意志を持ちながら、何事も果たさざる人ここに眠る」という皮肉なものである・・・

ううむ。
ちなみに、オーストリアに君臨した母親のマリア・テレジアは、上にも登場するフリードリヒ2世とは「欧州の川中島」とでも言いたくなるような丁々発止の攻防を繰り広げた仇敵同士だが、その息子がむしろフリードリッヒの崇拝者、なのだから皮肉なものだ。


その後、はるかに時代をくだって

誰よりも十戒を守つた君は
誰よりも十戒を破つた君だ。

誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を輕蔑した君だ。
http://www.urban.ne.jp/home/festa/akutagawa.htm

と、芥川龍之介レーニンを評した。



そうだ、自分はそのブクマで
「このへんが一般的な「定説」となるには、恐らく大衆文化の一撃を待たねばなるまい(よしながふみも、たぶん「敢えて」旧型の解釈に乗って「大奥」書いてたし)。」

と書いたんだっけ。
こういところを盛り込んだエンターテインメントは、やっぱりけっこう面白くなると思うのだが。