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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「3級三振」の男への拍手〜ある「フィールド・オブ・ドリームス」(毎日新聞「火論」)

火曜日に載るから「火論」。
http://mainichi.jp/opinion/news/20121009ddm008070173000c.html

火論:夢の3球三振=玉木研二
毎日新聞 2012年10月09日 東京朝刊
 
 粋なことをやる、というより、ここにアメリカ社会に深く根差した野球文化の真骨頂を見るべきかもしれない。
 一度きりの復帰打席で3球三振、そしてスタジアム中が総立ちで祝福する。先週、優勝争いより心が動いた大リーグのニュース映像である

 話はこうだ。
 アダム・グリーンバーグ外野手(31)。05年にカブスで大リーグの初打席に立ったマーリンズ戦で、初球のスピードボールを頭に受け倒れる。この後遺症で、彼は大リーグから遠ざかる。
 しかし復帰をあきらめず、マイナーや独立リーグなどでプレーを続けた。ファンの応援も広がった。そのひたむきさに因縁のマーリンズが動く。「1日限定」で契約を結び、2日のメッツ戦の六回、代打で打席に送った。もちろんこれは余興ではない。

 こうあるべきだという目に見えぬ大きな意志や、多くの人が暗黙のうちに分かち持つ、価値観のようなものが作用したのではなかったか。

 スタジアムの熱気を伝える映像を見返す度に思う。

 米映画「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)を思い起こした人も多いだろう。悲運のうちに大リーグを追われるなど、夢を果たせぬまま既に世を去った往年の選手たちがトウモロコシ畑の球場に現れ、少年に帰ったようにプレーを楽しむ。

 アーチー・グラハムという登場者がいる。大リーグの試合に1イニング、右翼の守備に出ただけで球には触れず、打席もついに回ってこなかった。引退し、医師になる

 彼は実在した人物だ。記録によると、ジャイアンツに属し、1905年6月29日、28歳の時、スーパーバス(後のドジャース)戦で1イニング、時間にして5分程度、フィールドに立っただけだ。

 引退後、大学で医学を修めてミネソタの町で開業。65年に没するまで学校医も長く務め、子供たちを可愛がった。貧しい人々からは診療代は取らず、物を提供するなど献身的な活動で慕われた。

 映画の原作者W・P・キンセラが、1度の守備出場のみというグラハムの記録に目をとめなかったら、彼は映画を通じ世に広く知られることはなかっただろう。こうした無数の人生が膨大な記録に埋まっているはずである

 幸運不運はあれ、機会を与え、成績を細かく分類・数値化し記録する。アメリカ産の野球という競技はそれが際立つ。時にその理念が揺らぎながらも「機会の国」であることを、絶えず野球で確かめ合っている国かもしれない

メインのエピソードも面白いけど、自分は「フィールド・オブ・ドリームス」のあの元野球選手の医師が実在していた、と知らなかったので、その点に大いに驚いた。
あの人が、せっかく「球場の魔法」によって伝説のメジャーリーガーたちと野球を楽しめているのに、ある理由でその球場から再び去る(というより、医師に戻る)場面は、映画史上に残る屈指の名シーンだったと思う。
あ、映像があった・・・セリフは全部英語だが、大体の内容は分かるだろうか。ちょっと、涙なしでは見られない。

「記録が整備されているから、こういうドラマも発掘できる」というのには同感

それを他のスポーツや競技が真似できるか、といったら真似できないのだが(経済的問題でね)・・・しかし「マニア」がそれを補うことは出来よう。トラビス・フルトンの250勝目前にせよ、ダン・スバーンの100勝達成もそうだし、逆に「マネー・ボール」的な「四球を選ぶ選手のほうが、盗塁を決める選手よりお買い得だぜ!」というような議論もおもしろい。
記録は無味乾燥な数字ではなく、潤いを与えてくれるのだ。