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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

昨日、1審で無罪判決が出たJR西の前社長を「冤罪」と表記していいか?

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120112ddm003040171000c.html

「ある程度、無罪も見えていた難しい裁判だった」。ある法務・検察幹部は無罪判決を淡々と受け止めた。この幹部は、前社長の起訴について「被害者感情を考慮し過ぎた面もあったのではないか。刑事責任と社会的責任の追及は役割が違う」と話した。

 公判で検察側は「鉄道事業者は、あらかじめ発生し得るあらゆる事態を想定し、万全の安全対策を講じるべき高度の責務を負っている」と指摘した。各部門の情報を集約し、現場カーブに自動列車停止装置(ATS)を設置する必要があると見抜き、整備するよう指示できたのは安全対策の責任者として「扇の要」の立場にいた山崎前社長だけだ、と主張していた。

 これについて、判決は、組織の責任ある立場だったという理由だけでは刑事責任を問えないことを明確にした。

 捜査当時、JR西幹部の刑事責任を問うのは困難という慎重論が検察内部にも根強かった。だが、神戸地検は09年7月、山崎前社長の起訴に踏み切った・・・

東京新聞2008年社説

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008021502087643.html

【社説】
冤罪発言 鳩山法相の見識を疑う  2008年2月15日

 法廷外で冤罪(えんざい)被害者を再び裁くかのような発言は、法相としての適格性を疑わせる。権力も財力もなく、徒手空拳で警察、検察と争わなければならない被疑者、被告人の立場がわかっていない。
 鳩山邦夫法相によると、冤罪とは「全く別人を逮捕し、服役後に真犯人が現れるなど百パーセント濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)の場合に限られる」という。これは裁判で無罪になった人を法廷の外で「本当は有罪だ」と攻撃するようなものではないか。刑事法の基本無視だ。
 検察は「被告人が間違いなく罪を犯した」ことを「適正に」集めた証拠で立証する責任があるが、被告人側には「自分が百パーセントシロ」と立証する責任はない。刑を科されるべきではない人物が刑を科されたり、科されそうになるのは冤罪である。

(後略)

むろん、二審、三審で有罪になるとどうなのかという問題はある。

さらにいえば、自由な言論人、ジャーナリズムは
「いや、判決は無罪だったが、俺は有罪だと思う。判決のほうが不当なんだ」
といい続けることも、原理的には可能なのだ。
もちろんその逆もある。
「いや、判決は有罪だったが、俺は無罪だと思う。判決のほうが不当なんだ」
政党だってこう言えることは、ムネオ新党の一件の通り。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111229/p3

…裁判というのはあくまでも人が行うものだ。三審まで進むと、あるいは控訴が認められないと判決は確定するが、「いやそれでも無罪だ」「いやそれでも有罪だ」と主張し続ける自由はある。(根拠がないと突っ込まれる)
 
聞いていた人(政党)が、「いや確かに逮捕時点では有罪と思ったけど、裁判の行方とか聞いてたら無罪論に立場を変えるわ、ごめんごめん」ということだってあるだろう。その逆だってあるだろう。動機は政局的な思惑かもしれないし、そうでないかもしれない。

佐高信氏が、今回の判決についてどう語るのかもたいへん気になります。週末のサンデーモーニングに出ないかな。