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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

痴漢犯罪・基本の基本。そも冤罪か迷宮入りかなのだ構造的に。じゃあ対策は?

ホットエントリーで、この前最高裁で無愛判決がでた影響もあって、痴漢犯罪についてのエントリーが多数上がっています。


はてなホットエントリ「痴漢」の検索結果


いろいろと百家争鳴ですが、
私が見た範囲では、そもそものこの犯罪・問題の基本が、あまりにも当たり前すぎてみんなそれをわざわざキーボードをたたいて文章にはしていないようなので、一応、あえて書いてみたいと思います。
みもふたもないというか、救いが無い話だということもあるのかな。

【まったく言わずもがなだが、痴漢犯罪に関する大前提】

・裁判は証拠に基づいて有罪か無罪かを決める。そして「合理的な疑いの余地」がある場合、疑わしきは罰せずの原則で無罪になる(べきである)


・痴漢という犯罪がいわゆる満員電車なんかで起きる場合、女性の体を満員の中でこっそり触るという形式が多数(だよね?)。この場合、犯人は騒ぎになりそうだとなったら慌てて手を引っ込めて知らんふりをする。容疑者は「この人が犯人です!貴方、さっき痴漢してたでしょ?」という被害女性?の申し立てによって特定されるしかないことが多い。


盗みだったら盗品が残る。殺人だったら死体が残る。ひき逃げだったら車の傷が残る。…こういうのに比べたら、この「痴漢」という犯罪は、今の裁判形式を前提にした場合、男尊女卑社会も逆差別も差別も人権精神欠如も人権の暴走も関係なく、とりあえず構造的に迷宮入り=被害者の泣き寝入り?…になってしまいやすいのだ。そして「別の犯人」を誤認する可能性も相当に高い。


・これは社会や精神のあり方に関係なく、その犯罪の形式上、構造的にどうすることもできない問題なのである、そもそもが。形式上必然的に。もちろん憎むべき犯罪であり、被害者には同情を禁じえないが、「迷宮入りじゃなければ冤罪が発生しやすい」という点は、この犯罪のそもそものカタチとしてどうすることもできない。

「自由心証」

より正確にいえば「犯人を見つけ、罰する数」と、「最初に容疑者とされた人が有罪になる数」は必ずしも同じではない。
で、裁判の自由心証主義、というのでしょうか。この裁判官の裁量に任せられる目盛りは上がったり下がったりする。それで、今まで痴漢裁判においては「女性が羞恥心を乗り越えて容疑者を特定したのだから、『この人だ』という特定の信用性を含めて、供述は信用できるだろう」という、そーいう前提だった。


 http://s03.megalodon.jp/2009-0415-1113-41/www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009041502000057.html

警察庁の統計によると、痴漢行為の多くが対象となる迷惑防止条例違反事件の検察への送致数は全国で、九〇年が千八十一件だったが、二〇〇〇年は四千九百七十四件に増加。〇五年には八千十八件にまで急増している。

 全国痴漢冤罪弁護団によると、九六年ごろまでは、科学鑑定や目撃情報などの裏付けのない痴漢事件を検察が起訴する例は少なく、無罪判決は一件も把握されていない。

 ところが、警察からの送致件数が急増し始めた九七年ごろから、被害証言だけを証拠とした起訴が目立つようになり、九八年以降、痴漢事件で少なくとも三十件の無罪判決があったという。

これがどれぐらいに実情を反映するのか、やりすぎなのか足りないのか。このへんの目盛りが、世論や社会的批判によってちょとあがったり下がったり。この前は下がった。


そのよしあしは言わば政治的判断だが、個人的には「まあ良かったかなあ」と思う。だがこれは痴漢冤罪の被害の可能性が、痴漢被害より遭いやすいだろう、という判断者の立場が入っているかもしれないので、まあややこしい。
ちなみに「自分の立場」といえば「自分の妻や娘が痴漢犯罪にあっても、冤罪の可能性なんてことを言うのか?」みたいな、”息子論”も出てきているが、それはたやすく「じゃあ自分の夫や息子が痴漢冤罪の容疑者になっても・・・」と言い返せるのでそれは不毛だ。

ゼロサムゲーム

ただし、上のように「女性がわざわざ被害を言っているのだから…」ということを、証拠証言の信頼性の材料として扱う比率が下がれば、事実として「実際に痴漢犯罪をしたのだが、やってないと言い張って証拠不十分でまんまと逃げおおせる人」も間違いなく増える。


これも、上の言葉を借りれば「犯罪の形式上、構造的にどうすることもできない」のだ。逆に女性の証言の信頼性を、昔のように上げて重んじるようにすれば、そういう逃げおおせる人は減少する。そのかわり冤罪も増える。当然。
まちがいなく、ゼロサムゲームでしかない。繰り返すが、構造的に。

痴漢冤罪者も痴漢被害者もどちらも出なければいいね、と言えばいいが、それは世界人類が平和でありますように、みたいにそれ自体は正しいが、抽象的な話になってしまいます。逆にいうと痴漢の真犯人が、冤罪無くきちんと裁かれればいいね、ということだが、それも同じだな。

「物的証拠」とセンイ

・そういう点で、国家権力をほめるのはしゃくだが、警察も本当に頑張っているとは思う。この問題を考えるためには必見の映画「それでもボクはやってない」の最初に、容疑者扱いされた人の手から付着の繊維を採取し、「これで被害者の下着と成分が一致したら、お前は有罪だ」とやる場面がある。主人公は結局「一致しないともするとも言えない」という結果だったのだが(まあ布の繊維じゃそういう結果もあり得るよね)、もうひとり、おそらくやったのにやってないと言い張っていたであろう容疑者は突然土下座し、「会社には言わないで下さい」と懇願する。
わたしはこういう捜査法を知らないので、劇場で膝をたたいた。なるほどこれなら確かに、少なくとも被害者証言や容疑者の「やってない」という弁明でずっと堂々巡りをするよりは合理的で、納得できる捜査だ。それまでの刑事の、映画の中での悪役振りとは別に「なるほど・・・警察も考えてるなあ…信頼できるな」とふかく感銘を受けた。
今、どの程度この捜査法が痴漢裁判で効果を発揮しているのか、その統計的資料はどこかにないだろうか(捜査上の秘密か?)

解決法としてはこれが興味深い

■トイレも男女別だから電車も男女別でいいんじゃない?
http://d.hatena.ne.jp/p_wiz/20090420/p3

男女別とか女性専用、とかに関しての異論というのもいろいろあるが(※アパルトヘイトだ!黒人用、白人用座席と一緒だ!とか)、これも本当に、言わずもがなの基本発言を

・人種や身分や民族などで座席とかを分ける必要は無い。というか許されない。


・しかし男女別、は許されることがある。


・それは、男女間には性的な接触、性的な関係が発生しうるから。それを避けるための分離は風呂場、トイレ、寝室、更衣室が分離されていることでも分かるように、ある意味当然。


・満員電車は、男女間の距離が通常では考えられないほど接近し、接触される状況になる。それが犯罪者にとって、意図的に性的な接触を試みる場になる。


・(仮説的結論)だから電車車両を男女別に分けることには相応の合理性がある。

さいきんは犯罪や事故を減らすときにアーキテクチャーってんですか、構造をそもそも犯罪が起きないようにするようにするってのが流行らしいですからね。転落事故を防ぐには、建物の屋上であそんじゃだめよ、と強く言うより、屋上への階段をそもそも閉鎖すればいい。

また、上の男女別の分け方で「不公平」の声に対応するには、セパレート・バット・イコールで両方を設置したほうがいいのも事実。それが五対五なのか、乗客比率によるのかは分からない。「統計上、痴漢被害は女性がほとんどだから女性専用車両だけ設置してます」、という現状もひとつの合理的判断で、問題があるというわけでもないが。


そんなことを、私ははてなホットエントリでたくさんあがった痴漢犯罪・痴漢冤罪エントリを読んで思いました。