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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

非常時日本、国会の「慣習」「べき論」のどれを守り、どれは無視するか?

いま、日本の政治は「大連立」の是非をめぐってさまざまな話題がある。この「大連立」もそもそも、読売新聞などが数年前(衆院自民・参院民主のねじれの頃からか)から提唱したのだけれど、以前は反対論も多かった。
議会制民主主義の精神に反する、というころでね。しかし今、賛成論も多いのが「大震災が発生した以上、特別である」ということでしょう。
 
国会にまつわる議論は多く「議会の慣習」「憲政の常道」や、「法律には書いていないが…である以上…であるべきである」という「べき論」に拠っている。
だから開き直ってやれば「明文で禁止されていないから」「わたしはそうは思わない」ということで結構、通常はできないということもできるわけだ。http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100713/p4
で引用したid:bogus-simotukare氏の言葉のように、そういった慣習論、「べき論」は、結局は「その人の勝手な価値観に過ぎません」といって従わなくても別に違法にはならんのです。
 
これは「知性と責任感に富んだジェントルマンらが集う」という建前で、いちいち法を定めなくても慣習と良識に任せれば大丈夫だ・・・、という制度設計がされている議員・議会の弱みでもあり、一方で強みでもありです。



そこで、アンケート(いや、別に集計しないけど)。
以下(相互に矛盾もある)の主張を皆さんは
1.慣習的、論理的に正当であり、守るべきである
2.慣習的、論理的にも正当でなく、守る必要はない
3.慣習的、論理的に正当であるが、震災が発生した以上、例外でいい
のどれだと考えるでしょうか?

国会の慣習・「べき論」 あなたの賛否(1〜3)
内閣不信任案は一国会一提出であり、再提出はできない  
参院で首相問責決議案が出たら、首相は退陣すべきだ。もし出席したら、審議拒否していい  
内閣不信任案に賛同する与党議員は、その党を離れるべきだ  
議長は立法府を代表する立場であり、行政の長である首相の進退を語ってはいけない  
衆院で内閣不信任否決(=信任)などの結果が出たら、首相選出は衆院優越である以上参院は沈黙すべきだ  
政党政治を形骸化させるので、国会の過半数を大きく越えるような第一党・第二党の連立はいけない  
そもそも選挙時に枠組みを示さない形の連立はいけない  
連立政権の首相は、連立諸党中の第一党党首が担うべきである  
首相が交代したら、総選挙でその首相の信を問うべきだ  
比例選出議員が離党したら、議員も辞するべきである  
地震対策特別委員会の副委員長は、国会の最中にクラブで遊んではいけない(後藤田副委員長笑)  
刑事事件で有罪が確定した人物が内閣入りしてはいけない(辻元補佐官笑)  

2007年〜2011年の間に状況が逆転しているから、一貫性を議員さんらが保つのも大変だ。

9日夜の追記。id:bogus-simotukareさんのエントリに際し

http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110609/5432109876
にて、このエントリへの感想を頂いた。ありがとうございます。
(ただ、過去の文章及び、このエントリへのブクマの文章などもまとめて論じられているので注意。)
 
ただ、惜しむらくは「斜め読み」のせいか、或いは正面から読んでも同じ結果かは知らないが、説得力が弱い。以下、囲みは基本的にリンク先記事。

法律違反ではないという意味では大連立批判は俺様ルールだが、「選挙結果を無意味にする(大連立を公言して選挙したわけではないから)」と言う意味で、「辞めずとも何の問題もない(つうか政治家として選ばれなかったからといって大臣として能力がないとは言えないし、一般論で言って能力のある大臣を選挙で落選したから変えますというのはおかしいだろう

これ、分析すると矛盾がはっきり分かりやすい…という点では「面白い」教材になる。では考えてみよう。
なぜ、大連立をすると「選挙結果が無意味になる」のか。
別に投票結果や、獲得議席が無効になったり、議員がいきなりタダのひとになるわけではない。
たぶん、こういう意味であろう。
「実質的な二大政党下で、与党A党に対し、かなり拮抗したB党に投票するというのは、多くの場合、『A党よ政権から降りろ、B党に交代せよ』という意味が込められている・・・【と推論される】。A党とB党が共同して一緒に政権についたら、そう推論される民意が生んだ、選挙結果に反するからだ。」
投票用紙に、「現政権のA党を下野させたいためにB党」と明確に書いてあるわけじゃないが(書いてたら本当の意味で無効票だ)、そういう意味、かくあるべし論が元にないと「A党とB党の大連立は選挙結果を無意味とする」という主張は出てこないんですわ。
 
んで、千葉話っすけど。要は「議員選挙に落選した千葉氏は大臣職も辞せよ」というのは「選挙によって千葉氏は、選挙民から(今回は)政治に携わる力量が無いと見なされた・・・【と推論される】”。だから大臣職も去れ」、とゆう話です。もちろん「千葉を議員ではなく大臣からも辞めさせたいから対立候補の某」と票に書いてあるわけでないことは同様。

大屋氏が「政治的に落選によって正統性が傷ついた」と書いているのはこのことだね。
あたしゃ、かくあるべし論や慣習論としては、構造的に同じ言説にしかみえん。
 
で、そもそもの話だがこの種の国会「かくあるべし論」は結局、決め手が無いから難しいものだね・・・というのが元からの小生の論で、だからここhttp://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100713/p4でももともと「憲法上は、別にダメって書いているわけではない」というのに対比させて、上のような辞任論を「という主張もあるらしい」と紹介しているわけだが。
べき論のむずかしさは、ランダムに並べた下のアンケート(やって頂いて有難うございます)への、氏の迷いを素直に書いた回答を追体験するとよく分かりましょう。一般的になされてきた解釈もあり、それに反する解釈もあり。
で、まあ、この種の「国会べき論」というのはある種の”幅”がある、解釈がそれぞれによって異なるよね……としか言えないものだろうと思う(もちろん濃淡が無いわけではないが)。それに、選択肢3に加えた「大震災という事実を前にした例外的措置」のことも考えればなおさらだ。
例えば

首相が交代したら、総選挙でその首相の信を問うべきだ  
 (※という議論に対しては)全く同感。ただ過去そうなってはないことも事実だが

に即して素直に解釈するなら、氏は就任1年となった菅直人政権に、就任直後から解散総選挙をずっと、強く求めてきた立場…だったのだろう。エントリやブクマにきっとその痕跡はあるっ(たぶん)。ただ3月11日以降はどうだろうか。それはわからん。


んで、メルケル

 「メルケルも反民主主義?」と書いてるが、そうしないとメルケルが首相になれなかったらしいドイツのケース(メルケルの党が第一党だが単独過半数でないから、首相を出すにはどこかと組んで過半数を得る必要があるが、そういうところが社民党ぐらいしかなかったようだ)と、政権運営が多少困難だとしても、大連立しなくても民主党が首相を擁立できる現状(衆院単独過半数なので)と同一視できると本気で思ってるのだろうか。

え?大連立(実質的な2大政党が連立し圧倒的多数を占める)を「民主主義否定行為」とまで言うなら、メルケルが首相になれないことなんかどーでもいいじゃないすか。彼女は堂々と首班指名に2党対立のままで臨み、あとは運を天と少数政党の行方に任せればいい。少数与党の首班になればあとは議題ごとに野党をがんばって説得するか、少数政党を軒並み抱き込めがいい。多数派工作に負けて第一党なのに、第二党のシュレーダーが続投することになったら堂々と野党をやればいい。
それができず、結局CDUとSPDが難航しつつ連立協議を続け合意したのは・・・結局、仮に首相になれても「その後の政権運営が不安」だったからですよ。
「1院と2院があり、首相指名で優越する1院ではA党が圧倒的多数ですが、2院はB党が優勢です。2院で次々法案が否決されると、A党は立ち往生です」というのはドイツの大連立協議と比べてそんなに小さな状況かな。
 
ましてや、貴方の賛同するように「2院での首相問責は退陣を意味する」という解釈に立てば、実質的な罷免権を2院も持つことになるし。しかもメルケル首相誕生時、ドイツが東日本大震災に匹敵するような非常事態に直面していたとも思えないが。


「土井氏の件」<いやもともと、そちらが「憲政の常道」を戦前の首相交代に限定して「それゆえに、千葉には適用されない」という論の組み立てをされていたので、土井(=1993年、首相でなく議長)の例を出した、ということですよ。時期と役職の話。

大来氏<いちばん失望したのはこれ。
もとより前述したように「国会べき論」というのはもともと違う見方、異論反論が「あって当然」の性質がある。ただそんなことではなく、あなたが今回の話ではエントリーにブクマをつけ、その後にわたしはセルフブクマを付けた。最初のエントリーでは「ルールの根拠を提出できなかったろうが?」と反論じゃなくて「有無」の話をしておいて・・・それで「XXは?」と聞かれたら「斜め読みしていたので気づかなかった」ってんじゃさあ…。
 
別にわたしは良いけど、id:bogus-simotukare さんがあっちやこっちを対象にして書いている多くの批判文も。批判対象が示している例や論を「斜め読みで気づかない」まま書いている・・・そう疑われてもしょうがないですよ。

彼のエントリには正直言ってどこが面白いんだろうと思うもの(たとえばプロレス)が俺にとって多い。

これは貴方だけではなく、書いている私自身が「同じブログの、それも同じ日のエントリーでこんなにテーマがあれこれ違っていたら、あるテーマを読みに来たひとはそれ以外のもの面白いのかね?」と常々不思議に思っています(爆笑)。

13日付記。id:jimusiosakaさんのエントリに際し

http://d.hatena.ne.jp/jimusiosaka/20110612/p1
で、この文章および上記リンク(bogus-simotukareさんエントリ)へのご感想を頂いた。有難うございます
以下、簡略にそれに対して。引用も適宜「…」で省略、および要約したいので、原文の参照も読者はお願いします
以下のことに関して「もし千葉大臣辞任論の立場で主張するなら」ということで語ってみます。論点は3つなので、番号を振りました。
【1】

議員選挙に落選した国務大臣は大臣職を辞するべきだ、という主張を認めた場合、国務大臣の間に大きな不均衡…議員選挙の結果によって国務大臣としての資質が国民の審判にさらされるとすれば、その審判を受けるのは国会議員でもある国務大臣のみということになってしまいます。すると、国会議員でもある国務大臣の立場からすれば、なぜ自分たちだけが国民の審判にさらされて、国会議員でない国務大臣は国民の審判を受けることがないのか?ということになる・・・

それは「そういう高いハードル、”不公平”な重圧こそが議員の重みと権威、そして名誉である」ということで説明つくのでは。「別に誰も、お前に議員になってよとは言っとらん」ということです。「国民の審判がしんどいので、私は自発的にバッジを外します。そして、もし首相が前議員の私を民間大臣としてご任命いただけるならいささか力を発揮したいと思います」と千葉さんが申し出ていたら落選批判を受けることもなく、民主政権で、もっと長く活躍し続けられたのでは。
それに「公平」論で言うなら、そもそも憲法によって内閣の半分以上を国会議員で構成しなければならない、となっているわけですから、1000人未満という母集団も含め、その時点で国会議員は大臣職を得る時に、何千万と理論的候補者のいる民間大臣より「有利」です。そのアドバンテージがもともとある側に、選挙という「国民の審判」をハードルに課しても別に問題があるとは思えません。
ちなみに「国民の審判を受けている議員大臣は、そうでない民間大臣より(法律的には明記されていなくても)一段重みがある」という議論は竹中平蔵大臣批判の文脈でかなり公然と語られ、それが逆に現職大臣のまま民間人の竹中氏が参院選に初出馬するという動きの、理由の一つとなりました。

【2】

「当選した国務大臣は政治に携わる力量があるとみなされたと推論する」という考え方も認めなければならなくなりますが、それで良いのですか?

必要条件と十分条件でしょう。いや、おれ数学用語を使うと混乱するんだよな・・・やめた、野球の一軍と二軍でたとえましょう。一軍(閣僚)を落ちても二軍(一議員)として活躍できる人はいますが、その逆は基本的には無い(あったら困る)。
というか、各種不祥事で「大臣は辞めるが一議員という身分は辞めない」という責任の取り方をしますよね。前原誠司佐田玄一郎のように、「議員として」の問題なのに大臣を辞めて責任を取るというのが一般的で、批判者も「大臣『だけでなく』議員『も』辞めろ!」というのはよく聞きますが「まず議員を辞職せよ。大臣は続けてもいい」とかいう批判の形はほとんど聞きませんから、ほぼコンセンサスでいいのでは。
だから「貴方は議員選挙(二軍)で駄目ですから大臣(一軍)もだめですね」と「貴方は議員選挙(二軍)では通用しました。けど大臣(一軍)はちょっと…」は無理なく両立すると思います。

【3】

選挙民の意思を歪めてしまう…議員選挙とはある選挙区に立候補した候補者のうちから最も議員にふさわしいと思われる人物を選挙民が選ぶことであり、不適格と思われる候補者を選ぶことではない・・・・・・落選した候補者も国会議員としては悪くはないけれど、当選した候補者の方がより国会議員としてふさわしいと考えて投票した選挙民もいた、という可能性もまたあるわけです。・・・・・・A大臣とB大臣という2人の大臣・・・A大臣の政治家としての能力は5段階評価で「4」であり、B大臣の政治家としての能力は5段階評価で「3」であるとします。この場合、A大臣とB大臣のどちらかが辞めなければならないとしたら、B大臣が辞めるべき・・・(以下略)

これについては、その種の推論が成り立つなら、
例の「大連立」批判論に関しても「選挙では不適格な政党を選んだわけじゃない」「A党も悪くないけど、B党のほうがよりふさわしいと考えた可能性もまたある」から、A・B両党の大連立も、否定する推論の根拠が無くなるかなあと。
このへんは「票に書いているわけじゃないから、推論するしかない」という点で同じだから、結論も似ちゃうわけですね。
 
以上です。

15日の追記。id:bogus-simotukareさんのエントリに際し

既に紹介済みの
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20110609/5432109876
の後半部分に、上二つの当方の「追記」を受けた文章が追加されていた。有難うございます。
以下、手短に。氏と同様に気の向くところを。
 
■(大屋氏の)「あんな人間」云々について
まあ氏の名ブログ「おおやにき」
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/
を読むと、bogus-simotukare氏にとってはかくのごとく感情的に反発したい存在だろうな、というのは分かるし、そういう好き嫌いはいかんともしがたい。読んでいる第三者
http://www.nomolog.nagoya-u.ac.jp/~t-ohya/profile.html
でもご覧になっていただき、こういう経歴の人の意見は、今テーマになっている<法律上の文面ではなく、国会が慣習、推論の上で導いた「べき論」を論じる>際に参考になるかならないかを判断されたい。(むしろ「法哲学」に隣接する分野かも)
 
■「それじゃメルケルは首相になることさえ無理」
いやガチンコ勝負の結果、最終的にシュレーダー、もしくは第三の候補が首相になって何か問題が(笑)? いや本来は、シュレーダーがイモ引いて第一党に譲る、というのも例えば「べき論」としては成立するんだけど、大連立というものを
「民主主義否定行為」(キリッ)
と全否定されてるんだから、「メルケルが首相になれない」のなんか甘受せよ・・・となるのかと思ったんだけど。ちょっと最初の言葉は、勢いで強くなっちまったのかしらん。
 
■「国民の立場からすれば何故国会議員の大臣は審判できるのに、そうでない大臣は審判できないの?」
というか、議員大臣の側が、進んで国民の審判を受けるべき地位を求めて立候補してるわけで。前も「(選挙前)自発的に議員は退く」という、千葉法相がやり得た方法を提示したのですが、いやなら議員大臣ではなく民間大臣の立場に自らなることもできましょう。国民の側から見れば「せっかく、自発的に国民の審判を求め、そこに地位を賭ける連中がいるんだからそれを有効に使いましょう」ってことでいい。そうでない人を「あいつらは地位を賭けてる。お前らにもそういう機会があるべきだ」とは強いるわけにはいかない。まあ、そこからの推論こそが「議員大臣は審判を経たから民間大臣より格上だ(だから意見が違うときは従え)」という竹中批判と兄弟になるわけですが。
あ、ここで千葉シミュレーションに関してそちらが誤解されているようなので補足しますと、”選挙前に”千葉が自発的な形で議員じゃなくなっていれば、少なくとも落選を理由にした辞任要求は物理的にも(笑)、形式倫理的にもできなかったろうと。さらにいうと鳩山内閣で入閣を求められる前ですね。「自分は選挙が怖い、だけど大臣は長く続けたいからまず選挙が来る前にバッジを外します。その上で民間人の私を法務大臣にしてください。選挙を気にせず大臣職に専念します」これ最強。
>何故神奈川県民だけに大臣に対する信任・不信任の権利があるのか。
その議論が通じるなら、貴方が後でこれは審判が正当だと認めてる「総理大臣」だって同じじゃないすか(憲法笑)。あっヤルタポツダム体制、マック憲法の不備だ(笑)。
まあ冗談はともかく、これは選出された議員がその選挙区の議員ではなく国民全体の議員であるように、選ぶ選挙区の国民もたまたま区切られているだけの、国民全体を代表する投票者である(べきだ)ということでしょうね。
そうでないなら、全国統一1選挙区にでもするしかないわけだが。
 
■脇道。「暴力装置
余談ながら、ぼくはこの暴力装置の話題に関しては早さも量もちょっとしたもんだったヨ。参考にしたまへ

暴力装置」発言をめぐり、「問題ない」と仙谷のために論ず
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101118/p3
まだ「暴力装置」ブームが続いているので乗っかる。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101121/p3
暴力装置」の話題をさらに引っ張る。初出の考証、他の例との比較
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20101122/p2

 
■1軍、2軍
(1)
「彼のたとえに従えば二軍で通用するか分からない人間を根拠レスで「監督(首相)の俺が一軍で通用すると言ってるんだ」という事が許される」
大リーグからの助っ人や、大型新人のデビュー開幕一軍みたいなもんだね(笑)。で、それアリじゃん。そこで大活躍して「やっぱ監督の目はすごい!」となることも「駄目外人、駄目新人」として通用しないですぐ解雇、あるいは二軍落ち・・・はある。だけど二軍で実績まるで出せないやつは一軍にはこれない。なんか当方の説の補強になってるような。
(2)
「党役職(例:西松疑惑による小沢民主党代表辞任、明電工疑惑による矢野公明党委員長辞任など)というケースもあるが、だからといって「党役職=一軍」、「議員=二軍」とは言わない」
いや、言っていいと思うよ?実際上も建前上も、政党は多くの所属議員(2軍)の中から実力実績ある人材が幹部の役職(一軍)に付く。喩えとしては分かりやすいし実情に沿っている。
で、これはそちらのご指摘のおかげで気づいたんだけどね、まさに党の重要な役職にありながら議員選挙で落選した政治家って、多くは党の役職も辞めてますよ!!(公明党首の太田昭宏、自民総務会長の笹川堯など)党の役職なんて落選しようが当選しようが別にいい気もしますが、やはり「国民にNOを突きつけられた」連中がそのまま続けるのはまずい、という推論のなさしむる部分もあるのでしょうね。

■【3】は文体模写(というかコピペ改変)すれば分かってもらえるかな?
一部改変して、大連立を論じてみた

国民によって選ばれた議員が自分の責任で首班を選んでいる以上、2大政党のA,B両党が共同で首相を選び、連立内閣を作っても民主主義上、何の問題もないというのが現行法の立場だろう(「大連立反対」派はそれがお嫌なら「2題政党の国会議員は同じ人物に首班指名で投票してはならない」などとその部分だけ憲法改正すればよろしい。)。

 そう言う首相の立場(2大政党で連立を組んで一緒に組閣し、がんばろう)を支持しない国民が大多数なら、その後の選挙で惨敗するだろうし、「首相の言うとおり問題ないよ」という国民が大多数ならそれこそ何の問題もあるまい。

そもそも議員は、だれでも好きな衆院議員に首班指名で投票でき、憲法条文のどこにも「二大政党の連立禁止」などと書いてない以上、自民、民主の大連立は民主主義否定行為などという主張には何の正当性もない。