【トンガ噴火お見舞】INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「自由な社会」と「弱者を守る社会」の根源的矛盾についての断章(おおやにき)

おなじみ「おおやにき」で、ブログの議論の途中で、氏の持論となっている現代社会の問題点を指摘している。
非常に興味深いと思うので紹介する。
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000737.html#more

これはパネル発言が一巡したあとに岡本氏と議論になった部分でのことである。私は大要以下のような発言をした。

・近代国家は自分が結ぶ契約の内容などを十分に判断する能力を持っている「強い個人」を前提にしている。遭遇するかもしれないリスクには各自が保険などで備えるというのが基本になる。
 
・しかし現実の我々は「強い個人」ではない。たとえば私のように法学部の教員であっても、保険契約の内容をきちんと読んで理解しているわけではない。
 
・それは、現実の「弱い個人」と前提の「強い個人」のあいだを国家が埋め合わせているから。保険の場合には保険業法があり、契約の内容その他について国が統制を加えている。
 
・だから同じように、「弱い個人」が安心して暮らせるような状態が必要だというのなら、国家がサービス提供者側に強力な統制を加えなければならないということになるだろう。金融庁のような役所を作って、インターネットで情報提供するものには免許が必要になるとか、許認可事業だとか、そういうことにしなければ「弱い個人」が安全だという状態は作れない。
 
・でもそれは、情報を発信する側にとっても、利用者側にとっても、幸福な状況なのか。そうではないと思うとすれば、「弱い個人」が安心してなんでもできるというような状態を理想としてはいけない。

これ、実は氏の新書

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書)

のエッセンスでもある。
そういう点では、「国や大企業など、権力の徹底した情報管理・蓄積」と、「弱者切り捨ての社会」の両方を強く批判するジャーナリスト・斎藤貴男氏と大屋氏の対談なんぞも呼んでみたい気がするのでした。
安心のファシズム―支配されたがる人びと (岩波新書)

安心のファシズム―支配されたがる人びと (岩波新書)