ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-10559293746.html
学術書の見解と相反する内容が歴史小説に提示されていたとすると、多くの読者はそのことを「史実」として認知してしまうかもしれないし、そこに挙げられている参考文献には「小説と同じ内容が記されているに違いない」と誤解してしまうかもしれない。
徳川家康や坂本龍馬のように、歴史上の有名人が題材になるならば、恐らくそのようなことは起きないだろう。歴史ファンの目が肥えているので、もしとんでもないことを小説家が書いてしまえば、色んなツッコミが殺到するだろう。逆に、アッと言わせるようなフィクションが読者を魅了することもある。それは誰もが知っている史実を思いもかけない形でひっくり返してみせる小説家の手腕によるのだろう。
しかし、『天地明察』が扱っているような、これまでほとんど脚光を浴びることの無かった分野の歴史小説はどうだろう?(略)
あまり知られていない分野を小説の題材とし、しかもそのフィクション部分が爆発的に普及してしまうと、その懸念は一層大きくなる。

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同時に、なくてはならないものだと思う。
『天地明察』は、筋書きのために都合の良い部分だけを抜き出して拙著を参照していることは明らかである。「それこそが小説のフィクション構築の基礎作業だ」という弁明もあるかもしれないが、参照された側としては、ある意味では自説と全く反対のことを一般読者に向かって披露されたわけだから、釈然としない。これがすなわち・・・
これはなぁ・・・コプーとドルゲ、トムとジェリー、青木真也と川尻達也、大家と店子が永遠にあい争うように、ある意味必然の対立なんじゃないのかなぁ。
■歴史家「A説もある。B説もある。後日の解明を待ちたい」
■歴史小説家「あいつがAをしてたら、そこにライバルとヒロインを絡ませて話を進めるんだけどな・・・A説の資料、A説の資料・・・おお!この本に、A説ってあったよ!!」
あるあるある(笑)。
山ほどある。
これはもう、逃れられない必然と運命。
海音寺潮五郎だったと思うが
と言い放ったそうである(笑)
つまり冲方丁は、一人前の歴史小説家になったということだ(笑)。
あとは古女房のSFに、いつ離婚届をつきつけるかだな。
ちなみに今回のエントリー「佐藤賢一が、冲方丁を批判!!」というタイトルで釣りたいという欲望に最後まで苦労した(笑)。
傭兵ピエールvsサイボーグ・バロットもし闘わば。