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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

学ぶということ、について(吉田松陰の話)

本当は今日の日記、上の格闘技話に続いていくつか時事問題などを用意していたのですが、急な仕事が入りこうやって書くのが午後以降となったのでそのへんは後回しにしようと思う。
代わりに、いま部屋の整理をしようと思いつつぱらぱらとめくった本から紹介をば。

現在連載中のみなもと太郎風雲児たち」は、安政の大獄でいよいよ吉田松陰がその29歳の歴史を終えようという段階に入った。
この安政の大獄で罪に問われる前、吉田はペリーの黒船に乗り込み、アメリカ密航を企てた罪でも幕府に裁かれている。
この密航未遂にまつわる話は、ペリー側も記録していて、「身分卑しからぬ若き貴族が、わが艦隊に乗ってアメリカへ行きたかった話」が吉田や幕府の記録と同時進行で残っているから面白い。
と同時に、この時期の日本ではそういう歴史上の大人物や大事件に遭遇した、まったく無名の人物がひとつ話のようにみなに思い出を語ったり、日記を残したりしている。
そんな挿話がたくさんあるから日本史、とくに幕末史は面白いのだが。

そんな中、司馬遼太郎はこういう話を紹介する。

ところで、松陰は下田の平滑の檻に入れられている。
(略)この時代の日本人の面白さは、この下田の田舎の番人にすら読書家がいることであった。(略)
かれは維新後、「あんな代わった人間は見たことがない」と松陰のことを土地のものに語ったりしたが、かれはこのときの書生が、後世名の高くなった吉田松陰であったことは維新後しばらく気付かずにいたらしい。


「大体が、あの人はすすんで罪人になった」
と、いう。
最初、松陰が、柿崎の庄屋の下に自首して出たとき、庄屋は迷惑がって、それとなく逃がそうとした。ところが松陰は、罪は罪である、男児は罪を犯してにげかくれするようなことがあってはならない、と庄屋に迫り、奉行所につれて行かせたという。
(略)
「私は志を立てて以来、万死を覚悟することをもって自分の思念と行動の分としております。いま死をおそれては私の半生は無にひとしくなります」
まことに奇妙人と言うほかない。


取調べのないときは、鶏小屋のような檻にいる。畳一畳のせまいなかで金子重之助(※一緒に密航を企てた人物。のちに獄死)と向かい合っている。
そのあいだ、番卒や見物人やらを相手に、国家の危機を大声で説いて倦まず、ついにはこの書生の態度をみて、事情がわからぬままに尊敬する者が出てきた。番人の金太郎もそのうちのひとりである。


「何か、書物はありませんか」
と松陰はある日、金太郎に乞うた。
金太郎は(略)3種類の書物を持ってきた。


(略)「金子君、きょうの読書こそ真の学問である」
と、ひどくあかるい声でいった。
「君は漢の夏侯勝と黄覇の故事を知っているか」
(略)
夏侯勝は漢の武帝につかえたたいそうえらい学者であったが、あるとき罪におとされて獄に下った。黄覇もその獄の仲間であった。
黄覇は獄中で学者の夏侯勝にたのみ、自分はいままで無学ですごしてきたが、この機会に学問をしたい、ぜひさずけてほしい、という。夏侯勝はおどろき「どうせ刑死する身に学問は要らぬではないか」というと、黄覇は「それはちがうでしょう、孔夫子のお言葉に朝に道を聞いて夕に死すとも可なり、ということがあります」といった。


「それと同じだ。われわれは遠からず死罪になる。今の読書こそ功利を排した真の学問である」
(略)
その様子を檻の外で見ていて、番人の金太郎は、いよいよこれは奇妙人であるとおもった。
(「世に棲む日々」2巻)

この挿話は吉田本人も自著で回想しているそうだが、司馬はわざわざこの番人を「平滑ノ金太郎と呼ばれ、明治以降は山下姓を名乗りまた別天と号して奥術の柔術を生かした接骨医を営んだ。そして鼻の穴が、親指が楽に入るほど大きかった
と書いている。

ここまで描写して実在の人物じゃなかったらそれはそれであっぱれなんだが。だが実在したとしても、たまたま番人をしていただけで鼻の穴の大きさまで後世のわれわれが知ることになるのはちと気の毒だね(笑)。
いや、こういう人が名前を連ねるのが逆に歴史研究の醍醐味なのか。

松陰の最後を、「風雲児たち」で見届けよ。

何度か連載中のこれを取り上げたとき、みなもと太郎吉田松陰を「聖なる愚か者」として描いている・・・
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091210#p2
と書きましたが、もうひとつ表現を変えると、松下村塾を率いた教育者としての松陰はとっても「Rookies」の教師、野球部の監督さんに近い気がするね。

いやルーキーズ、映画はヒットしたもののこの前の「日本映画空振り三振」でさんざんな言われようだったが、原作は立派なもんですよ。「敵チームの描写がない」という映画の批判、原作は完全に免れているし。それと重ね合わせて司馬の本やみなもと漫画を読むもいいか。