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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

青雲の志を抱いた途上国の天才が、ITによって知で食えるということ(アンカテ)

原油高と同じくらい深刻な「ホワイトカラーの仕事破壊」
http://d.hatena.ne.jp/essa/20091219/p1
が評判になっている。
あたしなんか、この未来予想図がそのように進行するなら、まっさきに食えなくなってしまいそうなほど国際レベルのホワイトカラー競争で勝てそうもない、専門知識も何も無い人間ではありますが、心配してもしょうがないので尻に火がつくまでは見なかったことにしておこう。

で、自分を棚に上げて状況をみるならば、こういうかたちでアフリカとか中東とか東欧とか、そういうところで人材が野に置かれず、場所を得るというのはすごいこと、すばらしいことだと思います。

「まことに小さな国が、IT革命を迎えようとしている」(坂の上の雲風に)

坂の上の雲」、本日4回目が放送されるが、わたしは昨日の再放送で3回をみた。
で、当時としては死病となっている肺結核にかかった正岡子規が新聞「日本」に採用されるところを描いている。
当時、あの病気をわずらったら、基本的にどんな天才英才であろうと、そもそも食えなくなって世間からも歴史からも埋もれていくのが普通だったろう。だが超のつく幸運と、並外れた才能もあったが、同時に新聞という新メディア、当時のIT(インフォーメーションテクノロジー)が「病床六尺」から世を動かすことができ、また看病する母と妹を養いながら、おいしいものをたっぷり食べる生活をなんとかできていた。(正岡の、闘病をしながらというかそれを理由にしながらの美食家ぶりはドラマにも出ましたが、関川夏央も「本読みの虫干し」であきれて書いている)

貨幣価値の差で「IT経由・途上国のプロ知識人」は存在し得るか?

実は佐々木俊尚さんの本で読んだんだと思うんだが、インターネット・ブログ界隈においてこういう指摘を同氏がしていたと記憶している。

アフェリエイトとか、そういう形でブログから収入を得る仕組みができたが、よっぽどの著名ブロガーでもない限り、そこからの収入は微々たるものだ。だが基本的にこれの決済はドルで受け取ることが可能だから(※のかな?ほんと?)、発展途上国でならこのアフェリエイト収入でメシを食うことができる」

と。

はたしてそういうことが一般論ではなくどれぐらい具体例があるのかは分からないけど、似たような例をこのブログの本趣旨である格闘技で思い出した。数年前、リトアニアの格闘技事情を紹介した記事で、日本のごく小さい団体に参戦している選手について触れ、「この選手は日本でのギャラはそんなに高い水準ではない。だが、それを日本からリトアニアに持ち帰ると、物価水準の違いから十分フルタイムのプロファイターとして生活、練習できるのだ」と。
カメルーンのソクジュ、フィリピンのマニー・パッキャオ、祖国から難民のようにして出てきたゲガール・ムサシ戦極のアフガンファイター、チェチェンファイター・・・
こういう人は住む国は先進国だが上の話やリンク先の基ネタとは比較できないけど、ようは発展途上国にも山ほど、あらゆる分野で才能を発揮できるダイヤの原石の人材はいる。先進国というのは、そういう原石が磨くべきところにしかるべく送り込まれる、というところで選択肢もルートもある、というのが重要だし、新興国であっても明治日本は、結果的にみればまあまあいい形で人材発掘に成功できていた。
教育問題とか子ども手当てとか高校無償化も、こういう人材発掘の視点が一応はあること、こでも間違いないわな。ただ、一律が逆効果という議論も当然できるが。

上の話に最後に戻ると、いまの発展途上国は、幸か不幸か日本が成功した「高等教育の自国語化」が不十分であるゆえに、エリートがイコールで英語、フランス語などに堪能。日本はかつて、それに対して同情の目を向けていたが、しかしインターネットとグローバル化が進むと、無理して自国語化せず、そういう形でダイレクトに英語の知と優秀な人材がつながったほうがよかった、ってなことにもなりかねない。なってるかもしれない。ただ日本がそうだった場合、おれ自身が高校にいけてたかどうか(笑)。

インフラ技術、もう一段の発展を

とはいえ、インターネットとなるとアンカテがいう「パワーブック発売でついに手が届いた!」というように、電話線だケーブルだかのネットワーク環境が成立して初めてうまくいく。
いま、アフリカやインドや中東の天才児たちが、ネットにつながるまでにどれぐらいの苦労が必要なのだろうか。それで仕事を受け、ホワイトカラーとしての業務をこなせるには。
どこの国でも、首都や経済都市にいけば停電や電話停止の被害は無く、一応ふつうのひとがネットにつながるのかもしれない。
ネットカフェのようなところにいけばつながるのかもしれない。
どれにせよ大変な進歩ではあり、本当は努力しなくてもつながるのが理想ではあるのだけど、どこの国もひとつかふたつ、「一般市民もやれるネットの拠点」があるというのがとりあえずの目標かもしれない。

でも、夢想するのだ。もっと携帯電話的なインフラが普及し、地球上でちょっとした端末でも買えば、すぐにネットにつながるような環境ができたら。そうすればさらに多くの各地の天才児が、それぞれの才能を花開く場所を確保できる機会はさらに多くなると。
そして人類社会は進歩し、おれの職は無くなると(笑)。

けっきょく

リンク先であるアンカテの指摘は「スーパーがこなけりゃ、うちの代々の酒屋や今でも繁盛してたのに!」というのがホワイトカラー労働力にもいつかは来るということだ。こればっかりは抵抗してもしょうがないよなあと。それが実現するタイムラグの中で、なんとか個人として食えていけることを願うばかりだ。スーパーを利用できるふつうの消費者は便利であるのだろうし。