笠信太郎という記者がいた。
グーグル検索数7500だからそんなに超有名人とはいえないが、新聞史の中では大きな意味を持つ名前だ。サンフランシスコ講和条約締結時や安保闘争の期間中、長く朝日新聞の論説主幹を勤め、社風社論を決定付けた。論説主幹兼常務取締役で、経営者でもあった。
2度ほど紹介した河谷史夫の「記者風伝」でも一章を割かれている、というとその影響力が分かるし・・・いや、もっとその影響力をあらわす事例がある。なーんと現在も、朝日新聞社の論説委員室には、彼の肖像画が飾られているのだ!!
「記者風伝」から写真を紹介。
微妙に「親愛なる指導者」風であることは置いとけ(笑。先代にはさらに似ているような・・・)
で、まあ、この人にはかつて批判も多かった。
それは彼が、上に上げた講和問題の際には「全面講和論」を提唱、中立への道を訴えたことで、現在から見ると見通しを誤った、というものである。
安保問題に関しては岸退陣と総選挙を要求したが、デモ隊の国会乱入後「暴力拝し議会主義を守れ」という在京七社共同宣言をしたことで、右派・左派からもいろんな批判が当時あり、今もある。
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ただ、これらの批判は「笠は理想主義的で現実を見ない空論を唱えた」「歴史の見通しを誤った」というような批判だった。
記者風伝では、これらの批判に
・・・笠も現実には「全面講和はできない」と見通していた。ただし強い信念を持っていた。それは「社説は当て物ではない。主張である」というのであった。
と代弁するような形で答えている。
さて、ここまでが前ふり。長すぎですねすいません。
だがしかし、2009年9月12日の毎日新聞に政治コラムニスト・岩見隆夫が寄稿した文章は、そういう賛否とはまったく別の方向から、彼のスキャンダルを暴くものだった。
■近聞遠見:自民党はどこに行くのか=岩見隆夫
http://mainichi.jp/select/seiji/iwami/news/20090912ddm002070063000c.html
基本的には、この前の自民大敗を論じたもので「激動の時代」「違ったカラーの指導者が求められる」という文脈から、安保闘争による岸信介(安倍晋三の祖父と言ったほうが通りがいいか?)退陣後の総裁選びのエピソードを紹介している。
上にも書いたが、このとき笠が論説主幹の朝日新聞は岸退陣を要求。1960年5月21日付の朝日新聞社説「岸退陣と総選挙を要求す」はなんと異例中の異例、1面トップに置かれたのだが・・・・その後実際に岸首相は退陣。
あ、それからそれから?
福田赳夫(福田康夫の父親といったほうが分かりやすいか?)を中心に、英国の挙国一致内閣(マクドナルド内閣)に範をとった、民社党の西尾末広を首班とする連立構想が行われていたことは一部で有名だが、岩見コラムはこういう衝撃の事実を明かす。
・・・一方、そのころ、池田の側近、宮沢喜一(元首相)のもとには、岸退陣要求の論陣を張った友人の朝日新聞論説主幹、笠信太郎が訪ねてきて、 「こういう騒ぎのあとは、池田さんのような剛球投手では具合が悪い。ここはゆったりと床の間に座って、全体を包み込むような人でないと収拾はむつかしい。ついては、あとを石井(光次郎)さんにやらしてくれ・・・」
と頼み込んだ。石井は朝日出身、岸と総裁選を争ったこともある温厚な人物だが、池田にその話を伝えると嫌な顔をしたという。
ナベツネって人がいるじゃん。またの名をワンマンマン、渡辺恒雄さん。もうみんな忘れているが2007年だったか2008年だったか(俺が忘れている)、「大連立工作」というのがあった。あのとき、連立に賛成反対とは別に「ジャーナリストが政治に実際のプレーヤーとして関わっていいのか」という批判が、かなりブログ界隈でも見られたです。
しかし、ほぼ半世紀前にもっとひどい、政界裏工作が同じような大新聞の、論説責任者によって行われていた。
そんなエピソードを見つけたので紹介した次第です。
なにしろ、朝日新聞論説主幹が与党政治家と接触して、「彼を総理にしてくれ」と頼んだ政治家はたまたま朝日新聞OBでしたってのはなあ。
あまりに生臭っ、夏場に一週間放置した生ゴミより生臭っ。
おまけにその前の政権に対し、社説で強硬に退陣を要求していたんだから。
「いえ、わたしは純粋な気持ち、日本國を憂える情熱のもとに提言したのです。」ということを言うかもしれないが、状況証拠的には真っ黒だ。李下に冠をただしまくりだよ。つうかそれが言い訳きくなら、ナベツネもOKになるしね(笑)。
筑紫哲也1周忌(11月7日)に寄せて。
くしくも、同様にジャーナリストの傍ら政治フィクサーとしても活動した故筑紫哲也氏の一周忌(11月7日)だ。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081109#p7
この政治フィクサー・筑紫哲也を論じた時も書いたが「ジャーナリストとして言論活動もしつつ、その影響力を駆使して実際の政治の場面でも活動する。それは悪いことではない」という立場も、徹底すればそれなりにある。「そういう立場に立つ」と言明するならば、それはそれでひとつのスタンスで、完全にそれがダメだ、というつもりは私は無い・・・・繰り返しになるが。
さて、
笠氏は、筑紫氏は、それを自覚していたのだろうか。