追悼記事がいろいろと出てくるところで、論評をせざるを得ない。
朝日新聞記事から
http://www.asahi.com/obituaries/update/1107/TKY200811070401_01.html
・・・雑誌「週刊金曜日」の創刊に携わり、市民運動などにも深い理解を示した。辻元清美衆院議員(48)は96年に社民党から立候補要請を受けた日を思い出す。引き留めてもらおうと自宅を訪れたが、開口一番で「やれ」と言い切られた。「泥船だからこそ乗れ。市民の政党に変えろ」
その後、ジャーナリストの領分を逸脱しているとの批判もあったが、「おれには政治家辻元清美の製造元責任がある」と言い続けた。「平和や平等に強いこだわりを持って、戦後の一つのともしびのような役割を果たしてこられた」
辻元氏の評価は、置いときたくないがひとまず置いておく(笑)。
問題は、「引き止めてもうらおうと」云々の真偽はさておいて、「開口一番で『やれ』と言い切」る時点で、筑紫哲也氏はジャーナリストであることをやめ、政治のプレイヤー、フィクサーに変身していたということだ。
はい、昨年空芝居に終わった「大連立騒動」というのがあり、そのフィクサーが読売新聞の渡辺恒雄、ナベツネ氏だったわけだが、やってることはスケールの差はあれど、同じことである。
もともと、筑紫氏はそういう形で政治にジャーナリストが関わることに以前からかなり肯定的で、朝日新聞時代NY支局長になったのは、、当時の「無党派市民連合」というミニ政党立ち上げに関わったことが問題視されたからだ。その前は正式に停職三ヶ月の処分を受けた。
余談だが、同じように政党からの候補者選定にあれこれ関わったジャーナリストとして、筑紫の次の朝日ジャーナル編集長の…名前忘れたな、彼も同じようなことをやっていた(佐高信「葬送譜」に記述がある)。
「ワシが育てた」辻元清美を公正に報じられたか?
辻元の製造物責任とやらがあるのなら、引き取ってほしかった気もするが(笑)、製造した会社が欠陥品の欠陥をなかなか認めないのもよくある話でして(笑)。
実際、こういうフィクサー活動をしていた人が、その後金銭スキャンダルで逮捕にまで至った辻元氏をジャーナリストとして報じる時に、公正な論評やニュースの取捨選択を行っていたか、疑われても仕方ない。というか実際に公正じゃなかったと思うが、単なる能力不足だったかもしれないので保留する(笑)
辻元氏逮捕時の「多事争論」
http://www.tbs.co.jp/news23/old/onair/taji/s30805.html
簡単に「ダメ」とは言わん。ただフィクサーであるとは認識せよ
実はここでひとつ言うべきなのは、実のところ「政治にもかかわり、その傍らジャーナリストとしても活躍?する」というのじゃ果たして絶対によくないのか−−−これに関してはそう簡単にいえない部分もある。だから朝日新聞は別に批判の意味ではなく、この辻元擁立のフィクサー活動を追悼記事にしたわけだ。ナベツネにしても無条件で、「ジャーナリストが政治に関わるのがけしからん」と断言したところは実はあまりない(どこの社にも、遡るとそういうミニナベツネが存在するということももちろんある)。
まあ「”市民”の側ならオッケー。”権力”はいかん」というよな謎の区分けをしている人もいるようだが、それなら何ももはや言うことは無い。
ただ、2点言っておくと
辻元氏初出馬の時、社民党は閣外協力与党。つまり権力側だ。反権力じゃなかった(笑)。
あと筑紫氏は70年ー80年代の政治ジャーナリストで、ロッキードやダグラス・グラマン疑惑を論じることが多かった。んで、司法の場で有罪判決を下され、のちに確定した佐藤孝行氏がその後も政治活動を続けることに極めて批判的だった。あとは言うまい(笑)。