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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「江畑謙介論」、補足の対比列伝。「材料提示」の江畑氏と「あえて白黒」の田岡俊次氏。

一昨日書いた、「司馬遼太郎の軍事評論家への感想」はうろ覚えで描いたエントリながらブックマーク、TBはじめ多くの反響を頂き、私ではなく司馬氏と江畑氏、両方の故人が得ていた評価をあらためて実感した。皆様に感謝申し上げます。

ところで、江畑氏の逝去に際しては、ちょっとひと騒動がその後あった。
http://www.j-cast.com/2009/10/13051574.html
を読んでもらえれば分かる。
で、私が担当するのは「判定役」として出てくる田岡俊次氏。私は軍事知識があるわけじゃないけどはてなキーワードを作成したのもおいらだし、たぶん「パックインジャーナル」ウォッチャーとして、はてなで一番彼のことを書いていたからね。
あのニュース内の「判定」自体についてはブックマークで寄せたのでそちらを見て欲しいが、その後、田岡・江畑両氏の、田岡氏自身も語っていない、もっと大きな軍事評論家としての違いが別にあることに気がついた。



田岡氏は実は朝日内部で「情報分析の的確さ」以上に、「自分の予測について事後、誠実な分析をしている人」として評価されているんですな。
朝日新聞東京本社編集局長の外岡秀俊氏が、その態度を絶賛してるんですわ。
「情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)」の、昔の紹介記事をリンクさせてもらいます。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20061028#p6

実はちょっと面白い本が、創刊された朝日新書で出ておりまして、朝日新聞の編集局長・外岡秀俊氏が

情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)

情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント (朝日新書)

という本を出した。外岡氏、私にとっては、沢木耕太郎と交流のある、小説家兼新聞記者として印象に残っているのだが、それは別にしても新聞記者独自の取材ノウハウ、記録ノウハウはどんなものでも一定の水準を持っているもので、実際に役に立つノウハウ(「一行日記」のすすめなど)もたくさん書いてあるし、語り口も面白い。ですます調だが、構成者がいるのだろうか?

この本の具体的ノウハウについては後で紹介するが、ここに田岡氏が出ている。

田岡俊次さんから「分析の精度をあげるには、ともかく結論を出せ」と教えられたからです。田岡さんは、ある情勢を分析する際、最終的に、黒白の結論を出すことを自分に課しているといいます。」
(略)
日本人の情勢分析は、後で責任を問われないよう、どうしてもあいまいで、どう転んでもいい結果しか出さない傾向がある。しかしそれでは、どこで情報評価を誤ったのか、自分でもわからないことになる。次の分析で精度を高めるには、自分の情報分析力の欠点を自覚する必要がある。そのためには無理とわかっても、自分で一定の結論をだしたほうがいい

(略)

後で結論が間違っていた場合に

1「正しい情報はあったのに、見過ごしていた」
2「正しい情報はあったのに、評価が誤っていた」
3「間違った情報をもとに判断していた」
4「そもそも情報が取れていなかった」


など、それぞれ判断を誤った理由がわからなくなるからです。
(P131、132)

ここにあるように田岡氏は「あえて白黒を断言する」ことを自分に課しているそうです。

対して故江畑氏は。
TBを頂いたブログのエントリが、彼の文章を引用している。
http://d.hatena.ne.jp/zyesuta/20091016/1255636477

私は…自分の価値観や、主義主張に基づく意見を発言せず、できるだけ客観中立にデータ、情報を提供することで、それを読んで、あるいは聞いてくださった方々がご自分の意見をまとめるに当たっての参考にして頂ければと思い、それをもって生業としていきたいと考えてきた。

したがって、一国民、納税者として、どうしても主観、価値観が入り込みやすく、客観的説明に徹しきれない日本の安全保障問題に対しては、直接触れることを避けてきた。

江畑謙介著 「日本の安全保障」あとがき p245

同ブログ主は、さらに故江畑氏はこういうスタンスだったと紹介する。
それでも完全にご自身の見解を排除することは難しいと断った上で「それにたいする回答は、読者個々の自由である」と記しておられます。』


これはいい、悪いを超えて、同じ軍事評論家でも
まるで拠って立つ場所が異なる。

分からないことは分からないというスタンスの江畑氏と「あえて白黒つける」ゼブラーマンのような(笑)田岡氏では、方法論的にも大きく違っている。ジャイアント馬場アントニオ猪木の生き方ぐらい違う。

そういうもんだ、ということかもしれないし、たとえば軍事に限らずさまざまなものの考え方、情報の処理の仕方、仕事のやり方において、この二つは応用され、比較されるものなのかもしれない。

田岡氏の「はずれ」について。

自分で2006年に引用しておきながら、考えを進めていなかったが、こういうスタンスで田岡氏が言論活動を行っているなら、それはハズレも多くなるのだろうなと思ったことでした。これはバンバンとスイングすれば、空振り三振も多くなるようにしょうがないのかもしれない。
ただ、そのせいでヒットやホームランを打てたことも多いのだろうから、リスクもリターンも自前もちか。
あと、パックインジャーナルという、なまじ準レギュラーでリアルタイムで見解を表明する場があるから、「同じ三割打者でも巨人の四番は三振を目にする数が多い」のと同様に、なんか予想が前と変わってるよ!と指摘される回数も見かけ上?多くなるのかもしれない。

まあ、田岡氏の「あえて白黒つける」のスタンスは、あとでウィキペディアに増補しておこう。