もとの牧太郎氏の文章は、キーワードあたりから手繰っていけば普通に見つかるだろうが
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20061003k0000e070074000c.html
です。
それに対しての「おおやにき」の指摘がこれだが
http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/archives/000358.html
おまけに今は、細野豪志議員が例のタイゾー議員大喜びの「議員無料パス」を山本モナ氏との不倫旅行に際し使った可能性が浮上し、あーあ、ぺティ・ジャスティスが正当性のある論点を見つけちゃった。牧氏も宇野スキャンダルで「ただの不倫ではない、月30万円の手当を払ったのが問題だ」という形で責めた人だから分かるだろう。
ただ、それ以上にタレコミがうんぬん、という話が出ていたので、私が昔書いたエントリを再度引用したい。
これは谷垣財務相や自殺した上海総領事館の職員に関する中国人女性スキャンダル云々で騒がれていたとき。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20060107#p4
ちょっと待て・・・言論人の集団自殺現場かここは。みな、かくかくたる実績がある筈なのだが。
いいかい、これは右・左あてはまらない原則だけどね。
権力内部の情報をジャーナリズムがつかみ、暴くとき、その契機として、内部の権力闘争や不満分子の私怨によるリークがきっかけなんてことは枚挙にいとまのないはなしだ。
それを元に、文春だろうが朝日だろうがNYタイムズだろうが、取材と報道がなされる。
その報道を、リークだリークだと言ったところで遠吠えにしかならんのだよ。
もし「リークだ、意図的なものを感じる」のたぐいが通用するなら、昨年ディープ・スロートは政権内部のリーク屋だったことが歴史の事実として確定したウォーターゲート事件も同様だろうし、谷垣スキャンダルが特定政治家への攻撃だ、谷垣潰しだというのなら、結局うやむやで終わったNHK問題は「朝日新聞の安倍晋三つぶし」となる(笑)。
確認すると、仮にあれがそのとおり、朝日の安倍への反感が原動力、意図だとしても、事実さえ抑えていたなら一向に差し支えないのである。
今回、下村満子は「私は以前から知ってましたよ」とも言っていた。今は報道の世界から身を引いてビジネスの世界にいる人間だからとがめないが、そりゃ「角栄番症候群」ってやつでね。知っていて報道しないなら、知らずに抜かれたよりタチが悪いのさ。
川村、下村、田畑氏に聞きたいのは、元・現ジャーナリストとして「結局あなたはこれが報道されるべきものだったと思うのか、報道されるべきではなかったと思うのか?」ということである。おそらく、答えられまい。
さすがにトップ屋、また談合・公費乱用事件の(リークに基づいた)取材でジャーナリズム史に名を残す田岡氏(実は田岡氏、軍事問題よりこっちの方の実績のほうがずっと大きい)は、彼らとは一線を画し、因縁浅からぬ週刊文春の姿勢そのものは弁護していた。
今回の話にも、だいぶ応用が効くでしょ?