上のネタふりは、これのためだったというから始末に悪い。いまあらためて調べたら、ファンロードは「諸君!」や「現代」のように休刊告知をして、最後に派手にサヨナラ号を出して休刊…ではなく、先月の号で突然休刊してたんだね。
そのときにビビッドな追悼文を書くことはなかったが、やはり来るべきときが来たかというか、そもそも2009年まで延命できたのは本当に長寿幸運だと思うしかなかった。
そもそも、自分がインターネットに本格的に触れだしたとき、かなり最初の時期に「ああ、これはファンロードつぶれるな」と思ったもの。
つまり、これが上につながるんだが、何かのお題をもとに面白おかしくパロディ・とんちを利かせて遊ぼう!ということになったら、より不特定多数の、より幅広い層から集めたほうが絶対に勝つ。それはどこかでもちろん「面白い・面白くない」で選別を受けることになるのだろうけど、その選別ゲートも広く、基準が多様なことのほうが望ましい。
いまはジャンルが細分化されたからほとんど見なくなったけど、2ちゃんねるというものが存在する、と聞いたその後しばらくは格闘技のほか、漫画板をよくのぞいていたのだが、なんてタイトルだったかな(思い出せないや)……、「ありがち」「お約束」「あるあるネタ」を指摘してからかうシリーズが長く続いていた。
「おれ…この戦いが終わったら・・・するんだ…」とかもここが出典じゃないかしら?
それを読んで、ぎゃははと笑ったり、あとこれは一度紹介した、文学板での、カフカの「変身」をモチーフにした文体模写なんかにもウケた。
これはまとめあり。
http://www2.ocn.ne.jp/~gimura/zamza.htm
で、笑いながら、「これじゃあ『ファンロード』の存在価値が無くなるなあ」と。
面白いことを思いついたら、(まだブログという概念は知られてなかったが)掲示板や自分のサイトにアップする。
物理的にはがきを書いて投稿する手間も、センスが選者と合わずにはねられることも、一部にはオオウケだが一般には?というジャンル限定の笑いが排除されることもない。
選択、選別はいったん公開されてから、それが引用されるか、記憶に残るかで決まっていく。
しらずしらずのうちに、投稿するような人はみんなこっちのほうを選ぶんじゃないか?と思った。
今回の休刊が、そういうふうな理由がメインかというと違うみたいだけど、インターネットに接したときに感じたその思いが、この前ニュースを聞いたときにフラッシュバックしたのでした。
で、格闘技にもつながるんだが、この前パンクラスの尾崎社長自伝や、kamiproのパンクラス総力特集を読んで「やっぱり入団テスト受けて、合格して合宿所で耐えて、それでデビューする選手というのは、だれでも入って練習できるジムが生んだ選手より、長い目で見たら劣ってしまうのは仕方ない」と思うのですよ。
これはもう、必然として。
むろん、そこで一人二人、突然変異のような”例外”が生まれていくことがあるでしょう。
それがどう輝けるか。