これも12月のどこか、東京新聞の文化欄に載っていたはずだ。
大よその話をすると、要はどこかの仏教宗派の総本山みたいなところに、ひっきりなしに問い合わせば末寺から来ると。
その内容は
「信者に『千の風になって』の『私のお墓の前で泣かないでください/そこに私はいません/眠ってなんかいません』について聞かれる。どう答えたらいいのか」
というものだそうだ。
勢いの赴くところ、まあそうなるだろうよ。
悔しいのは、私はこの歌のブームが来た時に同じことを考え、エントリにしようと思っていたのだが、他にかまけて放り投げているあいだにこの記事が出て、先行アイデアを証明できなかったことだ(笑)。
どんな反論を仏教界がするのかは興味深い。
この作詞者を金剛呪法によって無間地獄に引きずり込んでしまえばいいのに(笑)
この記事は無いかと「千の風になって」「仏教」などで検索したら元記事はなかったが、こんなのがあった。
http://www.news.janjan.jp/culture/0712/0712280081/1.php
井上正道和尚は言う。
「古来、いろんな人が異口同音に同じことを言っている。これがまさに真理であり、それを至言というのだろう。『千の風になって』はいつ誰がつくったか、多説あるといわれている。自分の処こそ本命だと言いたい人がいるのかもしれないが、そんなことはどうでもいい。仏教ばかりでない、人間社会の普遍の教えなんです」
「私はお墓になんかいない。大空を吹き渡っている」という『千の風になって』は、人知れぬ悲しい気持ちを慰めてくれる名歌である。心の機微に触れるユニークな発想が流行の原動力だったのだろう。墓を慰霊の拠りどころにする仏教界の人までが「仏教の教えでもある」と認めては、お墓参りが少なくなるのでないか、そんなことを心配して「『千の風になって』は結構ですが、お墓参りはしてください」と張り紙を出した東京の寺もあるという話だ。井上正道和尚は「宇宙いっぱいにいるんだから、天にも地にもいる。お墓にもいるんですから、お参りのご精進も」と釈明した。
http://www.pippo-jp.com/runde/spot/y03/kon-nyaku.html
「あいつは諸国行脚の雲水なんてとんでもねぇ。どっかの豆腐屋かなんかの回し者に違ぇねぇ。何を訊いても知らん顔をしていてやったら、俺の顔を穴のあくほど眺めてやがって、ははあこれは蒟蒻屋の六兵衛だなと気づきやがったとみえて、
『おめぇんところのコンニャクはこれっぽっちだろう』 というから、
『うんにゃ、こんなにでっけぇ』 と言ってやった。