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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

来日したザビエルと親交を結び、説法の場も与えた『忍室』という僧侶がいた(現在の玉龍高にあった福昌寺)

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来日したザビエルと、仏教の僧「忍室」は親交を結んだという

幕末明治の廃仏毀釈の実態をルポした「仏教抹殺」という本を読めり。

興味深かったのは、明治維新「より以前」の、実際の政策になる前の廃物論、仏教批判のところだったりしたが、個別に色んな地域を回って「ここは特にひどかった」とか「ここの〇〇像はこうやって被害を免れた」といった、伝承を含めた各例が面白かった。


そのうち、薩摩…鹿児島県は特に廃仏毀釈がすさまじく、多くの名寺や重要文化財級の仏像が消えた、という話もルポされている。(なぜそうなったかはいろいろ複雑。たとえば鹿児島は「墓参り」には、県民は非常に熱心。だが、それが逆に……)
そんな、「由緒ある寺の廃寺」の一例としてさらりと、現在の玉龍高の所在地にあった「福昌寺」が紹介され、こう記されている。

1549年にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルがたびたび、この寺を訪れている。当時の住職忍室と交流を深め、宗教討論に…(略)寺の前で布教を展開し、忍室も黙認したという。


さらっと、
すごいな!!!

忍室文勝(読み)にんしつ もんしょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「忍室文勝」の解説
忍室文勝 にんしつ-もんしょう

?-1556 戦国時代の僧。
曹洞(そうとう)宗。薩摩(さつま)(鹿児島県)福昌寺の天祐宗津(てんゆう-そうしん)の法をつぐ。能登(のと)(石川県)総持寺にのぼり,天文(てんぶん)14年福昌寺の住持となる。日本布教のため鹿児島に上陸したザビエルと親交をむすんだ。弘治(こうじ)2年11月28日死去。俗姓は萩原。諡号(しごう)は仏照大円禅師。
kotobank.jp

このへんのキリスト教伝播や、その後のキリシタン禁制に関する本で、どこに記述があったのかな…
「日本のキリシタン弾圧というが、当時逆に、スペインやポルトガルに日本の仏僧が赴いて、そこで布教活動ができたか?たちまち火あぶりだろう」という問いを投げかけてる本があった。
まあ、ねえ…。


にしても、忍室というこのおしょうさんのような寛容?度量?あるいは知的好奇心?に富んで、しかもそれが大きく歴史を動かしたような人はめったにいないのではないか。
勿論キリスト教側ではひそかに「異教の聖職者にたちまち敬意を抱かせるほど、神の教えとそれを伝える教会の栄光は偉大なのだ」という解釈をしてる気配もあるのだが(笑)、それでも忍室にはやはりキリスト教側も敬意を払っている。それも、相手が改宗したのではなく、仏僧という立場を維持しながら友好的に接してくれた、とも認識しているようなのだ。その上で、やはり相手は「邪教」と思いつつも。

「私たちの聖職者と同様(註2 8 )」黒衣を纏っている禅宗の僧侶に対して、この時代としては、或る意味では自然なことではあるが、異なる思念を持つ他者とは相容れない感慨を抱いている。彼ら黒衣の僧に対しても、「彼らは決して肉や魚を食べず、野菜と果物と米だけを食べ、一日に一度の食事はきわめて規律正しく、酒は与えられません(註2 9 )」鹿児島の地において、「学識豊かで生活態度が立派で」「忍室」と呼ばれていた曹洞宗福昌寺十五世の住職と「幾度も語り合い」、「たいへん親しい間柄(註3 0 )」になっても、その溝は埋められず、主として双方の差異にザビエルの関心は向かっている。


paperzz.com

……この鹿児島で、ザビエルは玉竜山福昌寺東堂の忍室和尚と親しく交流している。

僧侶たちのなかでもっとも知識のある人たちと幾度も語り合いました。そのなかで、とくにこの地のすべての人びとからたいへん尊敬されている方は、学識豊かで生活態度が立派で、高位にあり、また80歳の高齢であるためにたいへん尊敬されている方で、忍室と呼ばれ、日本語では(この名は)『真理の心』を意味しています。彼らのあいだでは司教に相当する地位(東堂)におられます。
・・・いろいろ話しあったなかで、霊魂が不滅であるか、あるいは身体とともに滅びるものであるかについて、彼が疑いを持ち、決めかねていることを私は知りました。彼は私に、ある場合には霊魂は不滅であると言い、他の場合には否定します。・・・
」(聖フランシスコ・ザビエル全書簡)


ザビエルはこうも言っている。「この忍室は私とたいへん親しい間柄で、それは驚くほどです。」日本で初めての仏教とキリスト教、異宗教間の対話が行われた。きわめて重要な出会いで…(略)

kagoshima-catholic.jp


にしても16世紀の世において、まったく価値体系の異なる異宗教の布教者を、温かく歓迎したというだけでも、この忍室という人は「日本史上の名僧100人」のなかに余裕で入るのではないかいな。

でも、知名度はまだまだ、だと思うんです。自分が知らないのは無知として、それこそウィキペディアにも項目ないし(準備して、作るかね…)。

異文化尊重・共存のアイコンとして、「フランシスコ・ザビエルと親しく交流した禅僧『忍室』」の名前を、憶えて持ち帰ってください。