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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています 

川原泉漫画に関する雑感・感想(昨日のコメント欄から続く)

【書評十番勝負】
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080325
のコメント欄からの流れであります。

竹内出のことを書いたから、その流れで川原泉についても書くことにしましょうか(なんでだよ、我ながら)

でもいま、考えをまとめていたら「多分誰かがすでに書いているだろうな」というような内容だった。まあこれはすべらないハナシならぬ「しかたない話」で気にしてもしょうがない。だれかの論に似ていたら、先人に追いついたと考えて喜ぼう。

序論「恋愛非第一主義者のファンタジー

いまなんか記憶に引っかかっていたので探したら、先人つーか自分の文章でちょっと覚え書きがあったよ(笑)

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20041217

紀宮様ご婚約と川原泉
ある友人から、こんなメールが来ました。

・・・このたび御婚約が決まった紀宮さまを見ていると、マンガ家川原泉の作品(特に初期の)に出てくる主人公の少女を思い出す。世間一般の女の子が興味を持つような趣味や恋愛から距離を置き、独自の趣味(研究)にずっと夢中になっていた(ある意味オタク)。しかしそんな彼女にも恋愛対象となる男性が(ある意味、向こうから思いがけず)現れた。その人も恋愛に縁遠い感じの人で、かなり年上だった、という。いかがでしょう、自分ではかなり的確な比喩だと思うのですが・・・


俺の返事

>マンガ家川原泉の作品・
これな、まだかなり初期のBSマンガ夜話でほぼ同じ分析がされていたよ。
君もプロ並みだ(笑)。川原的なものつーのは、女性の興味の中心である「恋愛」にですね、その中にどっぷりつかって華やかに成功を収めるというのもファンタジーだが、何の積極的な手立てをしなくても、あっちのほうからやってきて結果的に果実を享受できる、というのもファンタジーなんですよ。とくに大人しめの女性にはな。
これ、「カネ」「地位」に置き換えて、サラリーマン漫画をかえりみればわかるかもしれん。
ついでにいうと、これはあんた、やはり至尊のお力あってのことであって、凡夫平民に同じようなことがあるわけはゆめゆめないのである。


あっ、そもそもは「BS漫画夜話」だったか。だいぶ前に「美貌の果実」を特集したんだっけ。じゃあオリジナリティは大いに欠けてしまうが、せっかくだから続けよう。

今、読んでいるのはブックオフで文庫を買う機会があったから。既読だし所蔵もしているのだが、いくら浅羽通明推薦とはいえ「花とゆめ」コミックスが本棚にあるのもアレなので(笑)、表紙装丁が落ち着いたものにすることと、本棚が文庫にしたほうが多少余裕ができるので、買い直したついでに読んでいるというわけ。

文庫版の編集がコミックとどういう差があるかは分からないが「フロイト1/2」だったかな、小田原のぞうが出てくるぞうが。いやぞうはどうでもいい、たしかここにだ、おそらく絵柄から見ると初期だろうな。
女子高校生と、隣に越してきた若い小児科医との関係を描いた作品がある。


えーと…いまどこにいったのか例によってわからんのだが、とにかくこの小児科医は少女漫画の典型のようなハンサムで、小児科医なので子どもに優しく、開業医の若先生でお金もある(ということになっている)のだが、盆栽が趣味でイマドキの恋愛模様にはあまり縁が無い。それが、偶然にも引っ越した隣に同様の女子高校生がおりまして、このふたりは「どーして(同世代の)若いもんはあんなに恋愛に一生懸命なんでしょうねえ」という話題で盛り上がります。一緒に盆栽を眺めつつ、渋茶をすすって(笑)。

そうやりつつも、若先生が恋愛教徒に(勘違いで)なじられた時にヒロインはそれをかばったりして、関係は少しずつ発展していくのだが結局、恋愛関係は後日に期待…という感じで終わる。

まあこれだけじゃなくて、そもそも文庫の表題作になっているような

フロイト1/2 (白泉社文庫)

フロイト1/2 (白泉社文庫)

バビロンまで何マイル? (白泉社文庫)

バビロンまで何マイル? (白泉社文庫)

甲子園の空に笑え! (白泉社文庫)

甲子園の空に笑え! (白泉社文庫)

も、また「銀のロマンチック…わはは」も、全部ストーリーは男女二人組が中心になって回しているのに、結局恋愛関係には至らない。その二歩か三歩手前だな。

代表作のひとつ

笑う大天使(ミカエル) (第1巻) (白泉社文庫)

笑う大天使(ミカエル) (第1巻) (白泉社文庫)

でも、途中で亡くなったラインハルト氏もさることながら、あの父親秘書との関係、英語教師英国人の古文教師(ややこしい設定だ)との関係も、エピローグでは結婚したりしているものの、逆に言えばエピローグで「あれからX年、あの二人は結婚しました」とやる以外に処理できなかったといえるだろう。

「恋愛」が少女の理想とは限らない

そのへんがそもそも浅羽通明氏が推薦する理由だったのかと推察されるが、少女漫画の中で彼女が、作品が文庫化される人気作家の一人だったかといえばこの恋愛、さらにいうとそれを含めた、ドラマチックな感情の起伏から距離を置いたスタンスが支持を受けたんじゃないだろうかと。

レンアイというのも、特にはたから見ると恥ずかしいわけで(笑)、それへの照れなのか、いや照れすらも通り越したシラケか、とにかくそれを相対的に見る、描くのが川原漫画の特徴だ。
ある意味それは、少女漫画の中では一種の別市場(※全体像をあまり掴んでいませんので、類似ジャンルが多かったら勘弁を)で、その中で確固たるシェアを彼女は握っているのではないか。
これは一種の「女子高ノリ」であり(想像です)、だからこそ「笑う大天使」の世界が川原ワールドの代表作足りえるのだろう。

批評家は400戦無敗

さらに言うとさ、この女子高が、今の日本にそんなのが本当にあるのか分からんようなカソリック上流階級向けの学校で、その中での優美な慣習や、そこにどっぷり漬かった先輩後輩・同級生を主人公三人が、さめた目で「批評」しているという基本構造もあるわけで、恋愛なり、こういう麗しき伝統的美風なり、中に入ってしまえば超楽しく、ドラマチックにすごせるものを「批評」という形で解脱する中での楽しみを描いているんだろうな。

彼女たちは、事件や悩みの当事者として参加したり巻き込まれても、絶対にこの批評性を失わない。「川原節」といえる衒学趣味のナレーションだか独白だかわからん言葉とともに、じっとその状況を見つめ、そこに潜む滑稽さやマヌケさを指摘する。
はっきり言って、「こんな状況でここまで冷静のまんまかよ!」と突っ込みたくなる精神の強靭さは「修羅の門」のファイター並みだ(笑)。

この場合、だからといって情況を動かす力になるかといえばならないし、川原教授なら「哲学者は世界を解釈しただけだ。必要なのは世界を変えることだ」というカール・マルクスの金言も百も承知だろう。
だが、批評家も徹底させれば、自分が処刑場に引っ張られるその直前まで、世界を分析し、解釈し、皮肉を飛ばすことによって、彼や彼女は心の中で「負ける」ことはない。もちろん逆に、勝利し玉座に上って王冠を被っても、その栄光に陶酔することは無い。
そんな批評家=解脱者の無敵さ……しかし、なかなか世の凡夫凡人にとって、そんなに強靭たる批評性を、自分の日常で直面する諸問題に対してだって発揮できない。
実は川原氏の漫画、そういう「無敵のスーパーヒーローとしての批評家」の英雄譚でもあり、そこに潜在的にあこがれるファンも多いんじゃなかろうか。
もちろん、英雄物語が最後は主人公の敗北と死で終わることもあるように、川原漫画でも主要人物が最後にこの批評性を崩し、感情をむき出しにすることもある(たいていはハッピーエンド直前の恋愛がらみ)。しかし、それによって逆に読者はタメを効かされていた、正統派的なカタルシスを得られるわけでどっちにしてもいい効果をもたらすのだ、と思う。


構成の甘さはもはや不問に

さて、ところで。
川原作品って、なんかよく分からない、少なくとも必然性を説明してくれといわれると困る部分が多いと思いませんか皆さん。

例えば上の「フロイト1/2」。あらためて読み直してみて「なんでフロイトなんだよ」と言いたくなった。もちろん夢がテーマで、その夢分析(ちなみにフロイトの言っていることは9割がウソで出来てます)なんかを彼が言ったら面白いだろう、という計算はあったんだと思うが、ちょっと後付けだ。
小田原やちょうちんに関してもな。(アニメ銀英伝の演出家じゃないが)キャラクターに諸要素を統一させて減らせばいいんで、
小道具として「夢を共有できる二分割可能な品物」が必要な時、小田原ちょうちんを持ち出してきて、しかも「死後の世界で、有名なちょうちん職人にちょうちん作りの技術を教わったフロイト博士」が登場しなきゃいけない理由は、本来ならやっぱり無いですよ(笑)。

しかし、それをやるのがよくも悪くも川原流なのだろう。


フィクションの中で「こういう大きなストーリーにしたい」という時、その前提となるべき情況作りの小道具や小エピソードに何をいれるかは凄く重要だ。有名な話で恐縮だが、ビリー・ワイルダーの出世のきっかけは、若きスタッフとしてある巨匠の映画に参加したとき、その巨匠が脚本を見て「『買い物中に女性が男性にぶつかって荷物がこぼれ…?』なんて陳腐なんだ!このシーンは没!すぐ別のを考えろ!!」と言い出したその時、偶然傍らにいたワイルダーが、「店先で『パジャマの上しか要らない』という女性と『パジャマの下だけくれ』という男を出会わせたら?」と提案、この後、彼は巨匠に目をかけられるようになった…といいます(一部記憶曖昧部アリ)。
大ストーリーと、それを演出するための出会いや別れをコントロールする小ストーリーは本来、「必然性」という毛細血管できちんと繋がっていることが望ましい。
少なくとも、私はそういう作品が本来好きなんだよね。
だが、川原泉はそこにたぶん興味も関心もゼロなんだろう。ひょっとしたらその二つを必然性でつなげる意味を、確信犯的に否定しているのかと思わせるほど、通常のプロ作家にはあり得ないような非必然的な小道具を使っている。
ああそうそう、「笑う大天使」が途中、突然に「3人は化学薬品の事故で超怪力を身につけました」というどこのアメコミだよ、という設定、しかもそれを「はい、この能力消えました」とやってその後は何食わぬ顔で日常生活に戻るというあの展開。年ジャンプなら分からなくも無いが、少女漫画だったら「やっちゃったよ」的致命傷であるような気もする。結局事なきを得たからいいのだろうが、伏線を敷いての構成力はやっぱり無いというか、そもそも気にしてないのだろうな。



ついでだから言っちゃうけど、「甲子園の空に笑え!」も、部員9人の弱小の田舎高校野球部が甲子園の決勝まで進出する、ちゅう話はいい、非常に一般層にも受けるネタだし、多少のご都合主義も仕方ない。
だが、その部が決勝にまで到ることを説明する「ウソ」のつき方といったら(笑)。だれも「ルーキーズ」並みに描けとはいわんが、あれならむしろ投手や監督に超能力があります、というウソがあったほうがかえってリアリティが増す(笑)。漫画の逆説ですな。

でも逆に、その決勝での「みんな みんな 楽しければいいね」というあの美しいシーンー…高校野球の現状を踏まえれば、川原漫画の通常の意味とは違った意味での「(現実への)批評性」すら存在するあの場面があれば、そこへいたる構成はどうでもいいでしょ、というのもまた漫画の、違った一面においては真実だったりするんだよなあ(笑)。


中国の壷 (白泉社文庫)

中国の壷 (白泉社文庫)

「中国の壷」に出てくる幽霊も、やっぱりあれ中国の壷であり、あの幽霊である必然性はなかったと思う。「ヒカルの碁」の藤原佐為は、やっぱりあそこで出る意味や出自と能力につながりがあったでしょ(笑)

衒学芸


たぶん、というか恐らくフロイトや中国壷の中国幽霊は「川原泉が個人的に歴史(というか勉強全般が)好き」なので、趣味を前面に押し出した…という以外に説明がつかないと思う。
ただし、もう完全に川原節となり、見せ場となっているからね(笑)。これは強い。
三谷幸喜笑の大学」に出てくるところの座長のざぶとん回しみたいなもんで、これをやらないとお客も川原座長も納得しない。我々だってリングにアントニオ猪木が上がったら「猪木ダーだよダー、なんだよ今日はやんねえのかよケチケチすんな」になるだろう。


フロイト1/2での、小田原城に関する長々とした男性主人公の薀蓄とか、笑うミカエルの中に出てくるメンデレーエフ周期表とか源氏物語評とか(これは学校の授業、宿題というエクスキューズはあるが)、これはもう賛否を超えた川原ワールドの前提なんだろうね。
ただ、これは少女漫画になじみの無い読者にとって、いい足場、手がかりというかフックにもなる。実際に自分はそうでしたから。

そういう点で、やっぱり少女漫画を知らない層にも薦めたい一連の作品です。
ただ、少女漫画は知らなくても、別の意味で読者を選ぶ、ちょっとした敷居はあるかもしれない。

最後の最後に一言

川原泉の名が最後まで日本漫画史に残るとしたら、笑う大天使でも美貌の果実でも衒学コミックエッセイでもなく擬音「もぎゅもぎゅ」によって残るでしょう。