http://d.hatena.ne.jp/essa/20080126
暇人は社会のインフラ
(略)私は国力増強策として、日本という国の為にこれをやるべきだと考えています。
なぜかと言えば、一国の経済にとって労働人口より暇人の総数が重要になり、それによって国力が左右されるようになるから。
ブログサービスの供給者になって考えてみればわかりますが、みんなが汗水流して朝から晩まで働いていたら、ブログを書いてくれる人はいないでしょう。ブログというのは、まず数が無いと面白いものは出てこないし、最初から面白いブログを書く人を見つけることは無理。それにたくさんのブログがからみあうことでコンテンツの魅力が増すので、とにかく暇人がいっぱいいる国の方が・・・・
・・現代の経済における価値というものをよく見てみれば、そこに必ず暇人が重要な要素となっていることがわかります。
実はこれと同じことを、晩年の司馬遼太郎が言ってたのを聴いた(読んだ)記憶があるんですよ。
たしか、「いまどきの若者論」を尋ねられて、普通こういう大作家は「若人の退廃を憂える」とかそういうことを言う(書く)もんだと思ったら「大いに期待します」と彼は言った。
その理由がふるっていて、「今、日本は豊かになったから『俺は、なんかぶらぶらと面白いことを探すさ』という人が増えてきているでしょう。中国文明が一番発展し、後世に誇る思想を生んだのは、戦国時代です。このときは鉄器生産が増えて農業の収量が増したから、耕さず食う人たちを養えるようになり遊説家、思想家、言論家が雲のごとく出てきた」と。
原典忘れまして、説得力が減ってしまいスマン。
でもまあ、シバリョーを持ち出すまでもなく、ゲーム「シビライゼーション」だって街の生産人口を圧縮して代わりに「芸人、知識人」を置くと文化の発展力が段違いになる。いやゲームを持ち出してどうする。久々にやりたくなったな。
まあ話を元に戻して、「国の発展のために、政策的に暇人を増やす」といえば、それは大学人である。
大学人イコール暇人・・・というのは偏見(笑)、いや偏見というより「理想形」ともいえる。国力に余裕があれば、まあ例えば「動物のお医者さん」の菱沼さん、オーバードクターというか、なんか訳の分からない有象無象が大学周辺をうろちょろ、にょろにょろととぐろを巻いているような光景があったほうが、思いがけない何かが生まれる・・・ような気もし無いでもないんだが。でもトータル的にはやっぱり、明確な目標を立てて費用対効果を詰めたようなプロジェクトを緻密に進める大学のほうが効果的なのかな。
化学実験みたいに、条件を合わせたそういう二つの大学を隣接してつくり、その結果を見てみたいものだ。
【補足】原典はこれか?コメント欄より
fullkichi1964 2008/02/02 15:53
ちなみに「風塵抄」、実際には違う文章でした。が、大体似たようなことを書いておられました。
中公文庫版の92ページ。>相当な知力の人で、生涯アルバイトからアルバイトをしつづけて送るという、いわば軌道をもたないスタイルの人がふえるだろう。
>そういう人が、かえってファッショナブルになって、既成体制(繊維業界や乗物業界)を刺激したりする。
>“無乗車組”が、ひょっとすると、社会の三分の一を占めるときがくるかもしれない。
>以下は多分にバラ色の希望だが、そういう人たちが、時間を多量にもつという意味での精神の貴族になってくれば、ひょっとすると、芸術への多様な感受性群がうまれる。受け手がいいから(願望である)わが国の演劇や美術、あるいは文学といった創造的な分野が、新展開をみせるかもしれない。当たっている、と見るか、革命未だ成らず、と見るかは微妙なとこですね(^^;)。
fullkichi1964 2008/02/11 08:07
すみません、新たに原典候補見つけました。というかこちらの方で決まりかと。>後年の司馬遼太郎は、土地を金儲けの手段として利用する精神の荒廃に警告を発し続けたが、バブルの最盛期には「私はいま日本の未来に対して明るい絶望感を抱いている」と語っていたことを吉田直哉は回想した。<何が明るいかというと、これだけ欲望が沸騰すると、若い者のあいだにお前はどうするんだ、と言われて、おれはごろごろしているよ、というのが全体の半分ぐらいは出てくるだろう。ニコニコしてそういう芝生にいる遊び人の中から、中国の諸子百家というような思想家が出てきて、そのパワーが政治を動かしているのではないか(……)そう思うと明るいのだが、そのためにはやはり江戸時代にできた侍の「武士道」という電流を少しでも持っていないといけない>(「かけがえのない羅針盤」吉田直哉、「文藝春秋」九六年四月号)
引用の通り、この本では中略部分がありますので、おそらくは「文藝春秋」で直接読まれたのではないかと。
明日が司馬さん十三回忌ですので、関川氏本読んでましたら偶然発見しました。
ご笑覧のほどを。