http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000456.html
9月にちくま新書で『自由とは何か—監視社会と「個人」の消滅』というタイトルで本を出します。テーマとしては『思想』論文の延長で、情報化社会における権力のあり方の変化とそれが「個人」という存在に与える影響について考えたものであります。自分としては当たり前のことを当たり前に書いた・・・(略)
大屋雄裕『自由とは何か:監視社会と「個人」の消滅』
筑摩書房ちくま新書、2007年9月刊行予定、予価735円はじめに—いま「自由な個人」を問う意味
第一章 規則と自由
1 「個人」の自己決定と法・政治
2 自由への障害
3 二つの自由—バーリンの自由論
4 交錯する自由
第二章 監視と自由
1 見ることの権力
2 強化される監視
3 ヨハネスブルク・自衛・監視
4 監視と統計と先取り
5 監視・配慮・権力
6 「配慮」の意味
7 衝突する人権?
8 事前の規制・事後の規制
9 規制手段とその特質
第三章 責任と自由
1 刑法における責任と自由
2 自己決定のメカニズム
3 責任のための闘争—刑法40条削除問題
4 主体と責任
おわりに—「自由な個人」のために
大屋氏はそもそも、大学の枠はもったいないというか、ブログを読む限りは一般向けにおもしろまじめ(古語)な文章をかく力がありまくりであることは誰もがわかっているはず。ADCCの優勝者が満を持してPRIDEデビュー、とかそんな感じ。
また、個人的に「監視社会論」は、自由と安全のゼロサムゲームとして自分は面白く追っている話題。
特にITとの発展においてね。「となりのビッグブラザー」という概念を思いついたのは1998年から1999年ごろかしら。このへんのことも新書につなげて考えを深めることができるかもしれない。発売前に書いておこう。
と同時に、どうせなら発売を記念し、監視社会論では日本の第一人者(ということになっているらしい)斎藤貴男氏との対談がどこかで行われたらおもしろかろうなあ、と思うしだい。
今まで「読みが分からない」という理由でやれなかった(笑)「大屋雄裕」キーワード作成に成功。
その名前の読みを探す検索の中で、こういうスレが上位にあった。
■ 【法哲学】大屋雄裕スレッド【おおやにき】 ■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1132019419/