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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

論争家・大岡昇平。および昭和の論争について

小谷野敦氏のブログより

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20060925

・・・・昔の活字上での論争がもっと礼儀正しかったかというと、そうでもない。『戦後文学論争』(臼井吉見編)を見てもその一端は分かるが、あそこに載っていないようなすごいのがある。特に、1961年から翌年にかけての大岡昇平の論争家ぶりは凄まじかった。『群像』に正月から連載を始めた「常識的文学論」の第一回から井上靖の『蒼き狼』を論難したのは有名だが、井上がこれに答えると、二度目の反論は凄まじい居丈高ぶりである。

ついで「純文学論争」が起きるが、12月の最終回では松本清張を批判し、松本が反論、さらに佐伯彰一が『週刊朝日』で、単行本になった『常識的文学論』を、さして目新しくない、と書くと大岡、たちまち投書で、どういうことかと反問し、続けていきなり、佐伯氏自身が書いた文章があった、と謝罪したかと思うと、また別のブツを見つけたというので、今度は狂気のように佐伯を漫罵し始める。


あるいは大衆文学批判をすると、槍玉に挙げられた海音寺潮五郎が、お前の作品はつまらんと言われたら仕方がないが、あそこの汁粉屋は砂糖ではなくズルチンを使っていると言われたら困る、と「汁粉屋の異議」を『群像』に載せるが、その八月号には、大岡の再反論と海音寺の再々反論と、都合三つの論争文が載っている。これは大岡が、どうせ大衆作家だから史料など見ていまいと高を括ったのが間違いで、海音寺に徹底論破されている。


蒼き狼」論争は読んだ記憶があるが、覚えていない。他の論争は未読なのでいつか探そう。
大岡昇平なら全集があるだろう。もっとも全集は片方しか読めないが。
この主の論争で一番面白かったのは現代かなづかひをめぐる福田恆存金田一京助の論争だった。
「福田君のかなづかひ論を嗤う」と書いたら、その反論のタイトルが
金田一老のかなづかい論を憐れむ」だったんだぜ(笑)


ああ、資料があったあった
http://members.jcom.home.ne.jp/w3c/FUKUDA/kokugo.html

昭和三十一年五月、金田一福田恆存氏のかなづかい論を笑う」を發表(「知性」)。
金田一京助、福田が子息・春彦と高校時代の同級生である事を知つて、書き方を變へる。ただ、先にも私の文辞にまで介入して苦言をたまわるから、えらい大家だろうと謹んで敬意を表したが、聞けばまだ私の倅ほどの人だそうな。男らしく白状したまえ。私の『現代仮名遣論』の根本精神には決して反対ではないのですが。云々。



昭和三十一年七、八月、福田「金田一老のかなづかひ論を憐れむ」を發表(「知性」)。金田一の「煽り」に福田は態度を硬化させ、後年、さんざん厭がらせの惡態をつかせてもらつた、と述べてゐる位だが、實際に讀んで見ると「憐れむ」で福田は別に非道い事を言つてゐる訣ではない