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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

保守思想家にして英文学者・福田恆存の伝記が出ている

猫猫先生ブログより

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20120806

福田恆存―人間は弱い (ミネルヴァ日本評伝選)

福田恆存―人間は弱い (ミネルヴァ日本評伝選)

ミネルヴァ書房日本評伝選(いったい何が「選」なのか不明だが)の川久保剛『福田恆存』は、初の福田の伝記である。私は若いころ、西部さんとか呉智英さんが盛んに言うので、福田を偉いと思っていたが、最近は評価が下がっている。
(略)
国語国字問題については、福田が正しいのだが、福田を称揚する人びとが新字新かなで書いていたりするのだから、あほらしい。平和問題については、今ではまともな人はみな福田に賛同するだろう。文学論については、私は評価しえない。

 それにしても、伝記が出るのはいいことだ。かつて坪内祐三は、江藤淳が家系自慢をするのを批判して、神田の電気屋の息子だった福田が聞いたら何と思うか、と書いたが、恆存の父幸四郎は、ただの電気職ではなくて書家にしてけっこうな知識人であったことも分かった・・・

酒を飲んだときには「うちの家系にゃあ、インテリなんざ一人もいねえんだ」と”自慢”してたという話を聞くが、そのへんは屈折した意識があったりもしたのかな。

このエピソードが載っているといいな。
季節柄もあるし(笑)、再紹介しておくか
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20100819/p5

福田恆存は戦前「野球部員を特別扱いは出来ない」と主張し、高校を追い出された。

前の勤務校、旧掛川中学は野球が強く、甲子園出場という夢の実現がほの見えてきたとき、全校、全町期待の星とされた生徒に零点をつけてしまった。白紙答案を提出されたからである。校長に呼ばれて詰問された。「零点とはどういうことか。出席点というものがあるだろう」
福田は答えた。「それも考えたのですが、授業中にボールをひねくり回しているだけで、まったく教科書を見ていないんです」
この時の校長との意見対立がどのような結末になったか、福田は覚えていないが、その後にもう一度、同じような事件が起きた。藤枝小学校から有能な投手が藤枝中を受験したが、どんなに甘い点をつけても合格ラインに入れられない。しかし野球のために入れなければならない。及落会議で福田は反対意見を述べた。
「この子を入れると、当然受かるはずの最低得点者一人を落とさねばなりません。学業をおろそかにして野球しかしない者を救えとおっしゃるのですか。」これに校長が答えた。
「これは校長の意思である。どうしても君が嫌だというなら、辞めてもらうしかない」
こうして福田は掛中を退職することになった。
おそらく最後の授業の時と思われるが、受け持ちクラスの生徒に「なぜ辞めるのですか」と聞かれ、それには答えず、2、3時間かけて「坊つちやん」を読んで聞かせた。
 
 

そういえばこういう教師時代のエピソードもある。

これは自分が「福田恆存全集」のどこかで読んだ話。
実は福田恆存、意外というか当然というか、渡部昇一が大キライだった(笑)。なんか他のところでも、ものすごい言葉で同氏を批判していた記憶があるが、私が覚えているのは、渡部が「大和言葉には、実に独特の情感の豊かさがある。漢語ではそれはつたわらない」的な文章を、もっと極端な調子で書いていたことに、そんなことあるかいと反論した文章。
ここで、福田は戦前のエピソードを語る。
教師時代、福田は「万葉の調べは意味が分からなくても日本人には伝わる」といった国粋主義雑誌の論文を読んだ生徒から「これは本当でしょうか」と尋ねられ、しばし黙考した後に、黒板に自作の万葉調の和歌を大きく記した。
しろたいる/かなたはろかに/そこふかみ/ふとしくふむの/たむろせるかも
これを福田は、朗々と読みあげ「どうだね、意味は分からなくても、感動するだろう?」と尋ねた。
生徒が分かったような分からないような顔でうなずくと、福田はにわかに再びチョークを取り、隣に漢字交じりで歌を書きなおすした
白タイル/彼方遥かに/底深み/太しく糞(ふむ=フン)の/たむろせるかも
教室は、爆笑に包まれたそうである。