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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

闇の魔王、闇に消える---「野中広務 差別と権力」を読む

【書評十番勝負】
ずっと感想を書かなければいけないと思っていながら、放置というか攻めあぐねていた一冊だ。

野中広務 差別と権力

野中広務 差別と権力

http://d.hatena.ne.jp/asin/4062123444

もう、これだけたくさんの人が触れているなら、書く事も無いかもしれないが。
書く前に、まず最初に言っておくと作者・魚住昭氏が雑誌「ダカーポ」などで書いている時評には、賛成したことはほとんどない。しかし、これは経験則でいうのだが、ノンフィクションの出来と、作者の−−例えば保守・革新とかいう−−イデオロギーに相関関係というものはほとんどない、ような気がするのだ。
いろいろと実例を挙げられるのだが、話が脱線するので略。


そして、この本の主人公である、野中広務
小泉純一郎との権力闘争に惨敗(間違いなく惨敗である)し、野に下った男であるが、それでも彼の名は政界の節目節目で否応無く思い出さざるを得なくなる。
あるときはイラク問題や郵政民営化で、反小泉の論陣を張る”ハト派”もしくは”守旧派”の評論家であり、あるときはこれまた何かと存在感のある古賀誠元幹事長の隠れた師として。
あるときは、ハンナン鈴木宗男、日歯裏献金の影に見え隠れする巨悪として。


野中広務に関し、私はもうひとり、政治ジャーナリズムの世界で独自の業績を上げ、もっと注目を浴びるべき人物−−松田賢弥の本をどこかで評したときに、こういった内容のことを述べた記憶がある。

闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体

闇将軍―野中広務と小沢一郎の正体

「この政治家が好きか嫌いか、評価できるかと聞かれれば
とても好きだとか評価できるとはいえない。
ただし、今から50年後、百年後に、今の司馬遼太郎
ような存在が出てきて、現在の政治家らをモデルに小説を
書くなら、間違いなく彼を取り上げるだろう

この意見は今でも変わらないが、ただし引退後1年もたたずして、ここまで優れた評伝が出るとは予想外だった。最初「月刊現代」で連載が始まったとき、表紙を見て「始まったのか!!」という驚きと期待と懸念を同時に覚えたのも記憶に新しい。
(ひとつの懸念は、上のイデオロギー傾向を魚住氏が優先させ、”ハト派”ということになっている野中氏を無理筋で持ち上げる文章ではないか、というものだったが、それは大体においては杞憂だった)


実は浅草キッドは、政治バラエティーショーアサ秘ジャーナル」で野中広務にインタビューしたときのことを「コワモテで、取材者に関しても気に入らない質問をするとプイとむくというので緊張した」という意味の話を書いていた。
たぶんそういう一面もあるのだろうが、耳にする話ではむしろ、野中は記者やマスコミをたくみにあやつり、サービスをすることで彼らを諜報機関とした、といわれていたような気がする。黒河小太郎=田勢康弘の「総理官邸執務室の空耳」でもそうなっていたはずだ。


この本でも町長時代(園部)の話としてこうある

野中さんはとにかく新聞記者を大事にしましたね。
町長室への出入りを自由にし、周に一回は昼食会を開いて、いいと思った意見をどんどん採り入れたんです。(略)今だったらいけないと言われるかもしれないけど、夜の忘年会などでも『今日は君らはどんなものを食いたい? じゃ、あれを食いながら話をしようか』と言ってね・・

このエピソードに興味をひかれるのは、腐敗とか馴れ合いとかじゃなく、野中が永田町でのしていった理由としてだれもが「情報力」を上げたといわれるからだ。かつて後藤田正晴が日本のフーシェとか後藤田機関、と呼ばれたときは、まあ元警察官僚のネットワークだろう、と思えるのだが、野中がその後、独自の「野中機関」をどう作ったのか?
いまだに全貌は見えないが、その一部は新聞記者やTVジャーナリストが担っていたと思われる。


そういえば、この本から、もう風化しているNHK対朝日新聞の話に関連してひとつ引用。


この話と対立が拡散していく中で「そもそも番組内容を事前に政治家に説明していることが
けしからん。新聞社などはそんなことは絶対しない」とおなじみパックイン・ジャーナルなどで田岡元帥などが語っていたが、朝日新聞内部(社会部)の佐藤吉雄氏は、野中が頭角を表したシマゲジこと島桂次追い落としの際、記事を書いた朝刊が出る前夜にわざわざポーランドワルシャワに国際電話をかけて、次の日の朝刊で島桂次のスキャンダルを載せることを報告したのである。(これはいわゆる「仁義を切った」ということで、だから癒着だというわけではないが)

豊富な情報をもとに相手の弱点を見極め、マスコミや世論の動向を敏感にかぎわけながらズバリと切り込んでいく。
後に「政界の狙撃手」と恐れられる野中の政治スタイルはこのとき完成されたと言っていい

とにかく、二束三文のビジネス書のたぐいで「野中広務に学ぶ情報力」とかがあってもおかしくない。私も、野中という政治家を最初に意識したのは、このNHK問題よりあと、自民党が細川連立政権に敗れて野党となったとき、細川の金銭スキャンダルを追及した「野党議員」としての彼であった。
これは県議時代、蜷川革新京都府政と対立し、革新自治体の泣き所である組合との癒着を追及していたことから、与党しか知らない他の議員とは喧嘩の場数が違っていたからと言われる。


コワモテとしての野中は、やはりというか筋金入りで、そもそも最初の園部町長選のときも


「お前ら、何さらしとんのや! なんでわしが町長になったらあかんのやっ」
(略)野中はこう言って二人を震え上がらせた。
「わしは京都に鉄砲松というやつを知っとるんや。鉄砲で頭に穴をあけたろか!」
その剣幕に圧倒されたふたりは土間に土下座して「こらえてくれ。こらえてくれ」と、野中にひたすらわびた。

やっぱり、町議、町長、、県議、副知事とたたき上げた議員というのは、その垢をたっぷりと身につけている半面、修羅場をくぐった凄みが有る。鈴木宗男は秘書→議員コースだが、どっちにしてもこういう人たちは、汚職追及で検察に呼ばれても本当にタフだそうで。
(官僚上がりなどは、ぜんぜん駄目だといわれる)


野中的、裏のパワーとしては他にも・・・
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その前に、ちょっと念を押しておくが、確かにこのブログは格闘技関連のテーマを中心に扱っている。

だが、以下に触れる話はたまたまこの本に載っていたというだけであって、格闘技とかの話とは関係ありません。関係無いッたら。
くれぐれも誤解されては欲しくない。

「野中さんが会いたいというので久しぶりに会ったんだが、とんでもない話だった。『公明』代表の藤井富雄さんは暴力団後藤組の組長と会ったところをビデオに撮られたらしい。そのテープを自民党側に届けた者がいるということなんだが・・・」
藤井は創価学会名誉会長・池田大作の側近といわれる東京都議で、後に野中とともに自公連立の牽引車となる人物である。当時は新進党に合流していない旧公明党参院議員と地方議員を束ねる「公明」代表を務めていた。
その藤井が山口組きっての武闘派として知られる後藤組(本拠・静岡県富士宮市)の組長・後藤忠政と密会している場面を隠し撮りしたビデオテープがあるというのである。
(略)その存在が永田町の一部で密かに取りざたされるようになったのは、これより3カ月前・・・

このテープがどんな経緯を辿って議論され、そしてどのような経緯でけっきょく公表されること無く終わったのかは、実際に本書を見て欲しい。一説には、これによってある戦後政治の重要な決定、今に続く潮流が決まったとも言われる。


繰り返すが、この一節のエピソードは格闘技業界とは全く無関係の話です(繰り返し過ぎ)。


野中は何がどうなったのか、最後は結局公明とピッタリ寄り添い、それをパワーとするようになった。1997年の金融国会で野中は上に出てきた藤井に旧国鉄債務処理法案での協力を要請。公明は、いまだに覚えている人もいるだろう「地域振興券」の実現を要求した。
けっきょくこの取引は成立。

野中は実施が決まったあと、派閥の若手議員たちとの会合でこう言ったという。
「天下の愚策かもしれないが、7000億円の国会対策費だと思って我慢してほしい」

いや、国民はどうするのよ。


さて、野中に対してさらにひとつの顔である「平和主義者」「リベラル」という顔だが、自分としてはあまりこの政治家の中で重んじるべき個性ではないと思う。
沖縄特措法に関しての「大政翼賛会」発言も、中国への傾斜も、村山首相への忠誠も、基本的に政治問題が先に・・・というより「今、自分にとって誰が『敵』か」が先にたっての判断だったという気がする。
小沢一郎小泉純一郎という、ある面から見ると「タカ派」とされた人物が当面の敵だったというだけであるし、福祉施設運営をやってます、というても政治家がステップとして、地元で福祉施設をやるというのは珍しくも無い。
北朝鮮に関しても、朝鮮半島への贖罪意識があるとして、それが上と圧制に苦しむ人民への共感(=金体制への怒り)ではなく「朝銀信組の面倒をみてやれ」という話になっていくのだからいかんともしがたい。


さらにもうひとつの顔、「被差別部落の出自」だが、この点に関しても実は野中という政治家の個性をはかるときに、実は優先順位としては低いのではないか。
野中の政治行動と力、業績、おそらく弱点も、もう少し普遍性を持ったものである。
そうなりえたことが、逆に彼にとっての勲章ではないだろうか。


そして、彼は小泉純一郎に敗れ、政界から去っていく。
(なぜ敗れたかと言えば、なぜか解らないが政治家の相性というのがあって、野中は前から小泉と対決すると弱いらしいのだ。このブログを「与良正男」で検索してみてください)


最後に日本政界の超サラブレッド・麻生太郎政調会長に投げかけた言葉は(事実とすれば)何とも悲しいし、麻生という人物こそ日本の総理に絶対してはならない人間だということになろう。

【付記】その後ひとつ、新情報(の主張者)が出てきた。超重要なのでこちらのエントリもぜひ読んでほしい。
■”麻生太郎の部落差別”説に「そんな事実はない」とするジャーナリストも(先週の週刊朝日など)
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20080923#p3

その一方、野中は最後の「置き土産」として、人権擁護法案の成立を愛弟子・古賀誠に託す。今国会での成立は見送られそうだが、この問題が何らかの形で決着したとき、野中氏の政治行動は総決算を迎えるのかもしれない。(了)