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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

1冊の本が政府を動かした? ある国会答弁より

http://news.goo.ne.jp/news/asahi/seiji/20050414/K2005041402330.html?STATUS=ON

戦後処理でドイツとの違い強調 町村外相参院外交委で


 町村外相は14日、参院外交防衛委員会で、韓国の盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領が日本とドイツを比べて、日本の歴史認識を批判していることに対し「単純にドイツと比較というのはいかがなものか」と反論した。

 外相は「日本とドイツが似たようなことをやったというが、ドイツはユダヤ民族を抹殺するという大犯罪行為」と指摘。「人数や性格の差を議論してもしょうがない部分があるが、彼らは(ナチスを)ドイツ人とは別の種類の人たちだったといわんばかりに全部ナチスのせいにすることができた。そういう分類は日本ではなかなかできない」と日独の違いを強調した。

 ドイツは戦後、ナチスによる犯罪を徹底的に追及。侵略したポーランドと歴史教科書を見直す共同研究を行い、実際、教科書にも反映させた。盧大統領は、独紙のインタビューなどで、「日本の態度は人類社会が追求すべき普遍的価値観と合わない」「ドイツが過去を自ら克服して隣国との関係を改善したのは驚くべき力量だ」などの発言を繰り返している。

主張の骨子は、実は一冊の本が元ネタである。

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)

異なる悲劇 日本とドイツ (文春文庫)


この本の中心になったのは雑誌「諸君」に掲載された「ナチスと日本は同罪か ヴァイツゼッカー独大統領謝罪演説の欺瞞」という論文だった。細川政権批判でもあったから、1993-1994年ごろだったであろうか。


演説とは1985年の、いわゆる「荒れ野の40年」といわれるものである。


「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」というフレーズは諺のようになり、その後も折に触れ多くのメディアで引用されていた。

そんな状況下に、西尾氏が問うた論文のインパクトは、巨大爆弾の炸裂に等しいものであった。西尾論文は、批判的言及ながら
http://www.geocities.jp/dasheiligewasser/essay1/essay1-6.htm
を読むと骨格がつかめる。元ネタの元ねたとしてヤスパースなどもあったそうだが、何にせよ、日本ではほぼ全く紹介されていなかったこともあり、燎原の火のように日本ではこのテーマが広がった中で

のような、実証的な後続作品も生まれていった。
いや、それ以上に、反対側が深刻に受け止めていたのだ。西尾氏もやや自画自賛的に(笑)、文庫版で触れていたが、この後1995年に朝日新聞が大型企画「深き淵より−日本とドイツ」を連載したとき、実際に西尾幹二氏は取材を受けた。
「あきらかに同紙の論調は、私の論文で変わった。無邪気に日本とドイツを比較する論調は陰をひそめた」と氏は、ほこらしげに記している。

その通りで今、ヴァイツゼッカー演説が当初に迎えられた時、わたしが見聞した議論を今、目にすることは非常に難しい。国内の知的世界においては、ほぼ一掃されている、と極言してもいいくらいだ。
そして今回、国会で一国の外相が西尾論文に沿って発言して、全く問題にならなかった。
(もちろん韓国では「妄言」ってことで批判されたのだが、与野党とも無視。ひでえ)


ひとつの論文、一冊の本がかくも一国の言論を変えうるものかと驚く。
ゆとり教育」批判、「中国ODA」批判ぐらいが比肩しうるか。

とはいえ、日暮れて道遠し

「一国は」と申し上げました(笑)。この議論はそれなりに複雑だし、理解するのにも骨が折れる。今回の反日暴動ではさすがに諸外国のメディアも「ひいた」部分はあるのだが、基本的論調は戦争責任では、枢軸三国(弱すぎた一国は除外されることもあるが)をひっくくって同一視するほうが普通。


とくにドイツは自分の「優等生」ぶりをアピールしなければいけない(ついでにいうと、日本発海外の報道人ギルドの中では、その元締めのような存在としてゲプハルト・ヒールシャーというドイツの記者が広く影響力を持っている。この人はどうも西尾氏とは仲が悪いらしい(笑))。さらにオランダ、イギリスは実際に日本との間に捕虜問題などがある。東南アジアには華人系の言論機関や知識人も多い(現地本流との軋轢もそれなりにあるが)。かなり、ここを世界的にひっくり返すのは難しい部分があると思う。


逆に言うと、それだけのアドバンテージがあって「どっちもどっちだ」的な論調になるってのは、いかに中韓のコレが悪手かってことでもあるのだが。


福田恆存西尾幹二 保守について

そうだ、本題を言い忘れていた。西尾氏はその後、おなじみ「新しい歴史教科書をつくる会」を設立し、良くも悪くも保守の「顔」となっていく。
彼は、若い頃から、かの福田恆存のところに出入りしていた。ちなみに、その後反米論をめぐり袂を分かつ(というか、最初っから仲は悪く、一時期手を組んだほうが奇跡である)西部邁は、晩年の福田と交際があった。
西尾が、つくる会の活動を始めたとき、「保守は集団で『運動』をするものではない。個人として屹立し、思想の闘いを挑むのこそ保守だ」と、たしか福田和也松本健一が福田を引き合いに出して批判したのに対し、西尾は「全くの間違いだ、福田氏も日本文化会議など、組織による運動に力を注いだ」と反論していたと記憶している(ちょっと曖昧で正確さにkは欠けるが)。さあどっちが保守なのか。
しらん。


西尾幹二ブログ
http://nitiroku-nishio.jp/blog/