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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「憲法と平和を問い直す」長谷部恭男

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

著者は無学の私にはあまりなじみのない人だが、なかなかに興味深い。


本人もあとがきで書いているが、題名はトラップで、
棚で書名だけ見た人が想像し兼ねないような
「反動勢力の攻撃で風前の灯である、人類の財産9条を守れ!!」とか
マッカーサー占領憲法の打破に機は熟した、今こそ民族固有の憲法を!」
・・・・とかいう話ではないのである(といいつつ、ならこのタイトルは失敗だよ、と思う)



ではどういう本かというと、本人が親切にも
そのあとがきでちゃんと解説している。

いずれかが今までに一度でも心に浮かんだ方には、
向いているのではないかと考えている。


1、国家はなぜ存在するのか。国家権力になぜ従うべきなのか(それとも従わなくてもよいのか)。


2、人が生まれながらに「自然権」を持つというのはいかにもうそ臭い。そんな不自然な前提に立つ憲法学は信用できないのではないか。


3、多数決で物事を決めるのはなぜだろう。多数で決めたことになぜ少数派は従わねばならないのか。

(4以下は略)

付け加えるなら、2は例によって名を出して恐縮だが呉智英が処女作「封建主義者かく語りき(旧題:「封建主義、その論理と情熱」)」封建主義者かく語りき (双葉文庫)から一貫していっている「民主主義と人権のフィクション性」への憲法学の立場からのひとつの答えなので、夫子の読者にも推薦。

あと、これも例によってだが「銀河英雄伝説」ファン、とくに作中でヤン・ウェンリー元帥閣下が開陳する思想に賛否いずれにしろ注意が向くタイプならお勧めしたい。



ふたつ感想を。
自然権のフィクション性の否定に「もちろんフィクションである。しかし社会は、そのフィクションを必要としているのだ」というある意味での開き直りをするのは模範解答ではあるが、それは故・坂本多加雄氏など良質の歴史学者が、(靖国神社など)近代が仮に造った「伝統」「国民」のフィクション性を論難する声にこたえたのに通じるものがあるのではないか?
というか、当然そのスタンスはニカヨルのだと思うよ。


あと、前述の「あとがき」を読めば端的にわかるように、著者は「面白いことを書こう」という意識が凡百の学者よりはるかに多くあり、好ましい。ただしこの本全体では、結局そういう部分が出てこなかった。
特に憲法は抽象を具体的な例で述べる部分が多いのだから、たとえ話などをもっと工夫すれば、さらにユーモアがあってわかり易い新書になったと思う。呉を引き合いに出す気はないが、たとえば橋爪大三郎小浜逸郎だってその辺は知恵を絞っている。



と思ったら、この人は東大教授さまですよ。
じゃあ啓蒙のために工夫するような、品のないことはする必要はないのかもしれない。
でも、「あとがき」を読むと知的芸人の素質はあると思うんだよなあ。


同書への感想リンク
http://d.hatena.ne.jp/theodore/20040905

http://d.hatena.ne.jp/lacoue/20040704