DJ.taikiはチャンピオン、
DJポリスは総監賞・・・ってか。
http://www.sanspo.com/geino/news/20130613/sot13061311570003-n1.html
DJポリス、総監賞授与「感謝の気持ちでいっぱい」
警視庁は13日、サッカー日本代表がワールドカップ(W杯)出場を決めた4日夜、東京・渋谷で巧みな話術でサポーターらを誘導し警備に貢献したとして、「DJポリス」と話題になった機動隊員ら2人に警視総監賞を授与した。
(略)・・・受賞者は、ともに第9機動隊広報係に所属する20代の男性巡査と女性巡査長。4日夜、渋谷駅前スクランブル交差点で、歓喜に沸くサポーターに「皆さんは12番目の選手です」「そういう行動はイエローカードです」などと軽妙に呼び掛けて誘導。混乱や事故を防ぎ警備に貢献した。
・・・警視庁によると、「12番目」「イエローカード」などの言葉は事前に打ち合わせしていたが、呼び掛けのタイミングは本人の判断に任せていたという。
さて。
自分は肝心のサッカーを見てないのに、この話題は当日書いていたんだっけ(笑)。つねづね考えている「国家のジョーク力」という観点から、高く評価している。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20130605/p2
だけど。
これはたぶん、多くの人も前提として忘れてないと思うが・・・「きみたちは12番目の選手だ!」も「それはイエローカードだ!」も「お巡りさんも嬉しいから、こんな日に怒りたくない!」も、本心かそうではないか、とはまた別の話として、「群集というパワーを誘導、抑止、操縦するスキル」のひとつとして発している言葉である、ということだ。
中世的経済小説「狼と香辛料」に羊飼いが登場したが、まさに羊飼いは、その羊に愛情があるかないかという話とは別に、数百にも千にもおよぶけだものの機先を制し、おどしつけ、あるいは群れの側のリーダーを抱き込み、結果的に思いのままに方向性を定めていく。警官を含めた官僚をかつて「牧民官」と呼んだのは、ある意味ただしい。
繰り返すが、そこにある(求められる)のは本質的には愛情ではない、スキルだ。
そして、そのスキルを特化させていくのはとくに悪いことではない。
「政治は結果だ」以上に「警備は結果だ」であり、混乱や負傷者、逮捕者数を抑えられれば勝ちなのである。
自分はこういう、「群集心理」に関係する話がけっこう好きだ。
たぶん自分の中では「文系の分野だと思ったら理系の分野だよシリーズ」のひとつと位置づけているからだろう。
(この日記を「文系の分野だと思ったら理系の分野だよシリーズ」という言葉で検索すると、それに沿った話題がいろいろ出てきます)
一人ひとりがそれぞれの考えも、個性もあるのにトータルでは「群集」としか言いようのない一塊の動きがある。それをあれやこれやの工夫でさばいていく・・・
関連エントリ
■富士F1の、バス乗降客のさばき方に進歩あり・・・というブログが人気
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081014/p8
■F1@富士も凄いが、コミケも凄い?「人の流れ」制御の科学とノウハウ。そして兵站と危機管理
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20081015/p4
なんか不思議だ、いつ考えても。
だからDJポリスは「人情」でも「親しみ」でもない・・・いやそれもあるんだろうけど、最終的にはまとめてそれらを「スキル」の一環にしたのがすごいのだと思う。
さて、これで前段はおしまい、本題に入る。
天安門事件に懲りた中国政府、”三顧の礼”で軍師・佐々淳行を招待。佐々も惜しみなく機動隊スキルを中国当局に伝授。いいのか(笑)?
さて、やっと表題の話に。
以下はこの本が元ソースね。
要約。
第一部 佐々淳行が中国へ行くまで
・1989年5月、天安門広場に民主化を求める学生ら100万人が集結。この時点で、中国大使館武官が内閣安全保障室を極秘訪問。当時室長だった佐々淳行に、「デモの平穏な解散のさせ方」の指導を乞うた。
・佐々は竹下内閣の”暗黙の了解”下でアドバイス。8項目にもわたる経験から生まれたノウハウを人民解放軍・苗長栄少将に伝授した。
・しかし6月、天安門広場は実弾と戦車も行使しての武力弾圧が行われた。佐々は激怒し、中国大使館に通訳と乗り込んで苗少将を罵倒。
「私は職を賭してあなたに誠心誠意流血を避けるすべをお教えした。人の忠告を聞く気がなかったらはじめから私のところにくるな(通訳に『言ったとおり正確に通訳しろ』と時々叱咤しながら)。帰国の駐在武官とは1972年の呉新案大佐以来、長い長い友好のつきあいだったが、今日限り絶交する!」
・しかしその後も苗少将は・・・むしろ頻繁に…内閣安全保障室を来訪するようになった。そして佐々が退官し、個人事務所を開いたあとも来訪を続け、何度も繰り返し「中国国際戦略学会が佐々夫妻を招待したがっている」と要請。
・佐々は古巣の警察幹部に相談。現警察庁長官は「『観光』でいくならいいんじゃない」、官房総務課長は「ぜひ行くべきです」。そして・・・
決め手は後藤田御大だ。
「日本警察の人権尊重の警備手法を世界に広めるのはいいことだ。中国のやり方はなんとも野蛮だ。ワシは第二次安保闘争の動乱では絶対に死者を出さない『忍』の一字の警備方針を貫いた。北京にその精神を教えてやれ(後略)」
紹介者申す。
歴史とは結局「物語の勝者こそが、勝者である」と思っているが、60年代、70年代の日本反体制運動史は『ジャパンのポリスたちは、極めて寛容にライオット(暴動)に対処し、平和裏に処理した』というのは既に世界のコンセンサス、”物語”になっているらしい。こういう点でも、当時の反体制者はひそかに”敗北”しているのだなあ・・・。
さて、そして第二部
佐々淳行 IN 北京1。(佐々 Meet 元帥。)
・「中国国際戦略学会」の招待で訪中すると、出迎えは旧知の初代駐日武官、車も紅旗を立てた高級リムジン。ホテルは軍直営とも言われるホテルのスイート。異例の厚遇。
・ただし中国は、毎日の日程を決して事前に教えない。2日目は夕食が釣魚台国賓館。ホストは朝鮮戦争のときに最年少師団長だったという徐信元帥!
・元帥は夕食の席で「天安門の発砲は他の手段がなかった」「暴動はCIAが工作した」「その点をよく理解し、帰国したらどうか日本とアメリカの人たちに伝えてほしい」
・そして夕食が始まろうというときに佐々「私も所信を述べます。その御意見には不賛成です・・・」そして北京批判を展開。「貴国は機動隊を保有していない。その制度上の欠陥が天安門事件の悲劇を生んだ」
・徐元帥「私の前でそんなことをいった人はいない。みな、私の天安門の説明を理解したといい、日本に帰って皆に伝えるといった。・・あなたは真の中日友好人士です…いま伺った御意見、公安部に聞かせてやってください」
佐々淳行 IN 北京2。(佐々 Teach 公安。)
・そしてその翌日、夫婦で市内観光の予定が「奥さんだけ観光、佐々さんは公安部で講義をお願いします」
・公安部では上級幹部10人がノートを広げて聴講。佐々は「中国人民と連帯した日本革命前衛」との抗争で培った(笑)警備スキルの具体的ノウハウを13項目!にわたって披露した。
・公安幹部・王景栄
「人民解放軍が出動したのはまちがいだったと先生は仰るが、実は一番そう思ったのはわれわれでした。軍も心の中ではしまったと思っています。そこへ先生の機動隊創設の助言・・・我々は本気で『機動隊』を創ろうと思っています」
・そして中国はその後本当に機動隊を創設。秘匿のために訓練は紫禁城の中でずっと行われており、1992年にそのベールを脱いだ。以降、中国政府の忠実な”暴力装置”として機動隊は活躍し続けているのでありマス。
(終わり)、
当方の感想
・まず、語り手たる佐々淳行は、まさに自分が以前から主張するテーゼ「最後の勝者は”物語”」の忠実な体現者。
実際に出世街道を閉ざされ、失意で警察の世界を退いた政治的敗者なのだが、「物語」をつむぐことで戦後警察の最大勝者に今やなっているのだ。…どれぐらい自分をかっこよく盛っているのか見当もつかない(笑)。いや、だが・・・根拠なく「盛ってるな」とはDisれない。というのは、実際に現場現場のことをリアルタイムで記した「佐々メモ」が詳細極まりないものであることは、当時の新聞記者も驚いたぐらいで、「あさま山荘」回想録がハードカバーで出たときは、その回想の信頼性を担保するものと思ったか、版元は帯にしたりもした。
こうやって「彼の回想、かっこ良すぎるよな。どこまでホントなんだ」と言っても「私は詳細なメモが手元にありますが、あなたは反証をお持ちで?」といわれればシュンとせざるを得ません(裁判もいくつかあったけど)。だからまあ、基本的に事実として考察を進める。
・この話は
「中国政府はこうやって日本の要人を招待し、歓待するのか」という対日工作物語としても読める。実際佐々夫妻は、非常に中国の関係者に好印象をもって帰国し、現にこうやって出版物で関係者を賞賛している。もちろんこの招待旅行はみな費用は中国持ちだ。そして日程は極秘にされ、時には突然に要人と面会…あちらは周到に準備した持論を展開すると。そして、あちらの言葉によるとほとんどが「納得した、帰ってみなに伝える」と反論もできないと。
・ここでかっこよく佐々が反論、
朝鮮戦争を戦ったたたき上げの元帥が「ふぉふぉふぉ、わしに面と向かってそんなことを言いおるとはの。君こそ本当の友好人士じゃわい」となると。
どこの本宮ひろ志漫画だよ(笑)、って話・・・だが、これも「
孔明の罠」かもしれん。
あちらのマニュアルには「反論する人にはこう言っておけ」というのが2項目めにあったりしてね。
元帥「あー、『わしの意見に反論したのは君が初めてだ。』って言うの、これで372人目か・・・」とか内心で思ってたかもしれない(笑)。なにしろ、
「あなたにはお世辞がまったく通じませんね!というのが最高のお世辞だ」というのは
シェイクスピア以来の基本技だし(笑)。
・だがやっぱり、軍人、公安、警備警察・・・そいつらが持つ「共感のサークル」「専門人の連帯」は本物の部分もあるだろう。外交官も軍人もスパイも
「畑違いの自国民以上に、他国の同職業人のことが分かる、連帯する」という話が異常に多いところだ。分野的にそんなことがあっていいのか、とも思うが、それがセーフティ・ネットになったことも世界史では一度や二度じゃない。とくに外交官は、外交官としての”世界外交官秘密結社”をいまなお守っている、とも言っていい。
僕がとっても好きなこの逸話。
NHKはなぜ
大河ドラマにしない。
三谷幸喜はなぜ舞台化しない。
自分はこれを「LOVE & PEACE」 ならぬ「LIE & PEACE」と呼んでいる。
■江戸幕府を震撼させた国書偽造スキャンダル「柳川一件」の顛末
http://kousyoublog.jp/?eid=2810
まさにこれは「国境を越える外交官秘密結社」の暗躍の一場面だったろう。
それと同じように、武装集団、各国の警察たちも・・・。
「どうやったら民衆を殺さない程度に弾圧できるのかなー」
「あたしの催涙ガスためしてみる?」
「あーあ、この前、戦車出しちゃって大失敗」
というガールズトーク的な「ポリストーク」は、それなりに盛り上がるはずだ。話が盛り上がりながら相互牽制と情報収集の暗闘をしているところもガールズトークに似ている(笑)。
・だがそもそもマイケル・サンデル的な「これからの正義」の話として・・・
「あなたは民主国家の警察で、死者を出さない警備体制を構築して実績を上げた。そこに、最近民主化運動を弾圧して多数の死者を出した独裁国家の警察が『自分たちも殺さない程度の弾圧にとどめる技術を学びたい。ついてはノウハウを教えてくれ』と言ってきた。さて、あなたはこのオファーにどうすべきか?」
これ、けっこう難しい設問じゃないか(笑)?佐々は迷うことなくノウハウ提供を選び(そこへの躊躇の描写はまったくゼロ!)結果的に中国機動隊によって死人が出るにはいたらない暴動・民主化運動の鎮圧は増えているわけだが。
・ちなみに中国へのこの指導の前に、李登輝が大胆な民主化を行って戒厳令を解除した直後の台湾当局が、同様の教えを佐々に乞うたそうだ(1988年)。このとき日本政府内閣の一員であった佐々が、台湾の警察に協力、指導を行うのは政治的に大問題なわけだが、それが世界の警察野郎たちの連帯、ポリストークである(笑)。
後藤田いわく
「協力してやれ。ただし極秘裏にだ。台湾のデモ隊に使者が出ないよう、君の経験則によって李登輝総統を助けろ。バレないよう慎重に…(略)警備技術や装備を教えてやれ。・・・李登輝は立派な政治家だ。日本語はうまいぞ。ワシがいいといったとは誰にもいうな」
さすがに忠実な郎党・佐々も「しばしば私に『自己責任』を求めるあたりに、かすかなずるさを感じずにはいられない」としている(笑)。
この後もメキシコ、ペルー、ミャンマーなど、民主独裁入り混じった国から佐々は指導要請でひっぱりだこ。「いかに日本警察の、70年代の警備は正しかったか」という伝説は世界でますます強固になっていくのであります。
・そしてそもそも佐々氏は・・・この招待のときはまだ活動はしてない、とはいえるが
「新しい歴史教科書をつくる会
http://www.jca.apc.org/~pebble/ianfu/tukuru.html
賛同者
■言論界■
佐々淳行(元内閣安全保障室長)
であり、石原慎太郎都知事選を、最強の敵だった浅野史郎の挑戦を退けて再選に導いた参謀であり。
こういう思想の持ち主であることはさすがに当時も重々承知していたはずで、中国がそういうことを気にせずに…あるいはそういう人物だからこそ・・・「招待外交」を行っているとおぼしいことが興味深い。
そんなこんなで、”民衆”に対峙するいわゆる”暴力装置”・・・彼らは、よりすぐれた鎮圧(弾圧?)のスキルを求めて世界で思想を超え、連帯している。
「万国の暴力装置よ、団結せよ!!」だ(笑)。
だからDJポリスが今後中国に、トルコに、ブラジルに招かれて指導してもおかしくないのです。ただブラジルでは「その晩のサッカーの内容に触れたら、ますます暴動が激しくなります」といわれるかな(笑)。
追記 ブクマで知った 「民衆鎮圧のはじめて」見に行こう!!
モグタン「おねえさん、これから『民衆鎮圧のはじめて』見に行こうか?」
おねえさん「いいわねー」
グルグルバビンチョ(後略)
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20081127/p1
近代的群衆統制法
正規兵部隊を投入して民間人の群衆を鎮圧することは、18世紀の軍隊にとっては不得手な任務であった。(中略)
なぜなら、近距離から群衆にマスケット銃の一斉射撃を浴びせたら大惨劇になってしまうが、それ以外の戦術は当時まだ開発されていなかったのである。群衆統制の方法がヨーロッパ諸国の治安警察部隊によって組織的に開発されるのは、ようやく1880年代になってからである。1889年のロンドン沖仲仕ストライキのとき・・・