【創作系譜論】
こういう漫画が発売されたそうです。
http://d.hatena.ne.jp/washburn1975/20100705
…ファンタジー世界へ召喚された主人公のお話、……が、召喚された人たちが島津豊久とか織田信長とか那須与一で、エルフの村民を扇動して戦争に駆り立てる話…(略)まだ始まったばかりで世界観も全面的には開示されていませんが、大枠として、エルフやホビットが暮らす異世界…(略)
・歴史上その死が確認されておらず、戦闘中に行方不明になったりした人物
・ 歴史上、非業の死を遂げた人物
これらが召喚され、前者は「漂流者」(自由意志がある)、後者は「廃棄物」(謎の人物「黒王」配下の狂戦士として戦う)と呼ばれ、二手に分かれて戦う……
そういえばン十年生きてて「
ドリフターズ」って辞書的にはどういう意味なのか知らないままだな。「
ドリフターズを和訳せよ」と言われたら反射的に「全員集合」って答えそうだ(一定の世代以上笑)。
また、今回の漫画に関してはある意味正しそうだし(笑)
連載誌は「ヤングキング」らしくて、それは守備範囲でないため連載自体も知らなかった。また平野耕太作品そのものも、この前ヘルシングを読み終えたばかりのにわかファン。
なので、これから読むのを楽しみにするとして、ちょっと今、リンク先で読んだところから発想した他作品をば。
もともと、実在した英雄豪傑たちを、距離や時間を乗り越えて会わせたい、話をさせたい、闘わせたい・・・というのは、物語というのを人間が作り始めてからのもう原初的な欲求なのかもしれないですね。
最初のうちは、説明不要と言うか、歴史考証なんてことを気にせずに、「ここで○○とXXが一騎打ち…」みたいな話を量産し、逆に史実がわかんなくなったりします。
立川文庫なんかがほぼ”創作”したといってもいい「寛永御前試合」も、こちらはもう少し時代考証が緻密だったらいいのに(笑)、と思いますが、豪傑大集合!的で面白いですね。それを基にした「修羅の刻」もすばらしかった。
時は寛永11年。徳川幕府は、3代目将軍家光の下(もと)、天下支配の力を強めていた。その家光の首を狙う女子(おなご)あり……。その女子は、陸奥圓(つぶら)と名乗った……。柳生十兵衛、宮本伊織ら、最強の剣豪達が集結した“寛永御前試合”を舞台に描く、刻(とき)シリーズ最高の超大作、遂に登場!!
寛永御前試合、遂に開始。将軍家光の首を狙う真田幸村が九女、圓(つぶら)の運命は!?そして、その圓の前に立ちはだかる柳生十兵衛、宮本伊織ら、諸剣豪の中で勝ち上がる者とは!?謎の男、天斗(たかと)の正体とは!?波乱が波乱を呼ぶ、刻(とき)シリーズ最高の超大作、寛永御前試合編完結!!
その流れで山田風太郎が「魔術」「忍法」「転生」というキーワードを使って、例えば柳生十兵衛vs宮本武蔵などを実現させた「魔界転生」もよろしかった。
こういう超自然的な力を導入すれば、「事実を超えたリアル」としての夢の対決が実現しますからね。この系譜にあるのが、「フィールド・オブ・ドリームス」です(嘘)
あっ、おやすい。
ぼくの個人的なベスト
上の話は後付けの知識で書いた部分もあります。では自分が体験談として「おおっ、英雄豪傑が集結するってのは面白いなぁ、センスオブワンダーだなあ」と思った作品…これは特定できる。いま概要を聞いた「ドリフターズ」に似ているのはこれかも。
うーん絶版だろうなあと思ったら、やっぱり絶版ぽいね。
いまあらためて思い出すとストーリーはたわいもない話で、宇宙人の侵略に対抗するために未来人が、英雄豪傑(たしか非業の死を遂げた人限定だったかも。ここもドリフと似ている)を蘇生させると。なぜわざわざ昔の人を呼ぶかというと、その時代の人類は文明の発達で戦闘意欲、闘争本能を失っていたからだというのだ。
古代の戦術や武装で、宇宙人と戦え、そして勝てというのも無茶な話なのだが、そこをうまく処理して、見せ場を作っているのがこの作品のみどころでしょうか。あと、時代が古いにしてはアジア(ベトナム)の英雄やアメリカ先住民の英雄など、西洋史などに偏らない「世界オールスター」にちゃんとなるようにしていたところが新鮮だった。
明治にもあったからあなどれない
と思っていたら、これは数ヶ月前に偶然購入した「日本SF精神史」という本に、明治の昔、すでにこういう「英雄豪傑集合しての大戦争」ものが書かれていたという記述がありました。
「軍書狂夫 午睡之夢」(明治17年)のあらすじは、およそ次のようなものだ。
ナポレオン・ボナパルトが、現実の歴史では失敗したシリアのサン・ジャン・ダルク要塞攻撃戦に勝利し、ここにアジア征服の拠点を得たという設定で始まる。ここでナポレオンは欧米の古今の英雄豪傑に檄文を送り、自分のもとに結集して世界征服に立つよう求める。この呼びかけにアレキサンダー大王やジュリアス・シーザー、クロムウェルなど、時代も違う英雄たちが応ずる。ナポレオン軍はトルコからインドに向かって進撃。先鋒を務めるアレキサンダー大王はインド諸王が率いた象部隊を殲滅させ、ナポレオン軍はヒマラヤを越えて中国へと攻め入る。
これに対抗しようと、中国でもアジアの古今の英雄豪傑を結集して陣営を整える。ジンギスカンやティムールが駆けつけ、諸葛孔明が軍師に就いた。公明は日本にも援軍を求めたが徳川家康は即答せず、やはり古今の英雄豪傑を集めて対応を協議した。この時、豊臣秀吉は東洋軍、西洋軍のいずれが勝つにしても、疲弊は免れない、日本は今回の闘いには参戦せず、辛くも勝利を得た側を叩いて、自ら世界征服をすればよい、と主張した。楠木正成は、これを武士にあるまじき姦計と批判するが、多くの武将が秀吉に同調したため、涙ながらこれに従うことになった。もっとも、日本の計画通りにはことは進まず、西洋軍、東洋軍、そして日本軍の三つ巴の戦いが展開することになる。
正直、なかなか面白そうではあるな(笑)。
評した長山氏も「有名な戦略、歴史的戦役のパロディになっていて、この時代の小説としてはかなり面白い出来」としている。ただし、書名で分かるように、これは夢オチだったという(笑)。
同じ作者は豊臣秀吉がアジア、ヨーロッパを征服する「豊臣再興記」という本も書いているそうだ。
この人の”エンターテインメント宣言”がまた面白い
世の学者先生或は云わん 是れ奇異譚にして小説にあらずと 夫れ或は然らん 然りと雖も余は奇異譚たると小説たるを問はずあたかも仮作物語を綴らん者は必ず面白味を第一の精神骨髄となすこそ其有効の主眼と信ずるなり
「面白いだけで何も重いテーマが無いぞ」「何をいう、エンターテインメントこそが必要なんだ」なんて論争は、今時分に始まったものではなく、この昔からあったのだなあ。コナン・ドイルも言ってるぐらいだものな。
■コナン・ドイル、19世紀の「エンターテインメント宣言」。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20091005#p4
作品の内容は冒険ものでもいっこう差し支えない。
作品の舞台を聖書にしても差し支えない。
教育的なもの、論争的なもの、牧歌的なもの、ユーモアもの、くそ真面目なもの−−その他どんな種類のものにしても差し支えないが、ただしその作品を、興味の湧くものにしなければいけない。
このことが肝要なことであり−−−そしてその他のもろもろはすべて瑣末なことだ。
さて、今回出版された「ドリフターズ」、先輩作家の宣言に応えられるか。
おまけ
今となっては定番化されているんだろうけど、考えてみたらこのアイデアを最初に考えた人はたいしたもんだよな