この前ノリミツ・オオニシ関連で検索していたら見つけた。
主流メディアが、メディア批判ブログについて愚痴をいう。いずこも同じ 秋の夕暮れ。
http://www.asahi.com/sympo/061027/17.html
部分的には、1つの産業が育ってきたことも(※新聞批判の)原因だと思います。報道批判(プレス・クリティシズム)産業ともいうべきものです。それはブログです。
私はそれが存在するという事実について愚痴をいっているわけではありません。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙の記事を分析し、ニューヨーク・タイムズ紙のあら捜しをすることだけを目的とするインターネットサイトもあります。それもたくさんあるのです。
ある意味では、これは事業計画として出てきたものです。インターネット・ジャーナリズムは大変興味深く、活力があると思いますが、それは読者獲得に関してわれわれと競争しているので、主流メディアと戦争をしたがっているのです。それはすばらしいことです。
最高の人物ないし新聞、あるいはインターネットサイトが勝ってくれればよいのですが、われわれが絶えず非常に党派的な批判にさらされていることも事実です。皆さんのなかにご存知の方もおられると思いますが、フォックス・ニューズは公平でバランスがとれていると自称しているものの、フォックス・ニューズのショー番組には、「オライリー・ファクター」のように、ニューヨーク・タイムズ紙を好んで槍玉に挙げているものがあります。
そのほか左翼の側からニューヨーク・タイムズ紙を批判したがる番組もあります。それも結構です。ある意味では、われわれに質の改善を迫る挑戦なのですから。ジェイソン・ブレア事件その他のことを耳にした方も少なくないかもしれませんが、われわれも機能不全を起こし、何回か自ら傷を負っています。タイムズ紙はそれに対して健全な対応をしたと思います。われわれの信用を建て直し、われわれ自身の品質管理を、読者に伝えている通りのもの、すなわちあらゆる点において優れたものにするよう保証することがそれでした。
http://www.asahi.com/sympo/061027/04.html
最近は市民ジャーナリスト、あるいはブロガーが多大の注目を集めています。彼らは主流メディアの支配と権威の両方に挑戦する勢いです。ブログはよってたかって一つの問題を集中的にとりあげ、ニュースを繰り返し、魅力的な「さわり」を配信することができます。ブッシュ大統領の州兵記録に関する全国ネットのニュースの欠陥を最初に暴いたのはブロガーでした。
その結果、アンカーの一人が職を失いました。ブログは挑発的で、興味深く、そして面白いのですが、ブロガー自身が実際にニュースを取材することはめったにありません。また私が先に述べたような厳しい報道基準を守る人もほとんどおりません。
彼らは新しい声として歓迎すべきでしょうが、彼らにはわれわれのやっていることを肩代わりすることはできません。ブロガーは革新者であり、米国では人気ですので、その一番よいところをジャーナリズムに組み入れる新たな方法を探すことを迫られております。
ですから、私たちは後退しているわけではなく、進化しているのです。ウェブ上で最高の質のジャーナリズムを実行することは可能です。なかには印刷版と見かけがまったく同じものもあります。