単純な話だけど、準決勝を「愛を取り戻せ!」にして、勝ち上がったときに「TOUGH BOY」だったら、非常に会場が沸くと思うんですがね。
まあ、勝たないとしょうがないのだが。
自分のパソコンに発生するエラーの詳細が見えてきた
・ネットを使っているときなどに突然、完全にフリーズする
・キーボードを操作のリセットも受け付けず、物理的にリセットするしかない。
・その後、リセットしてもその後は
「ブログ、掲示板に(長文を?)書き込めない」
「メールを受信は出来るが送信できない(こともある)」
・電源を完全に落とし、4、5時間するとその現象は治っている
という感じ。
以前は、この「4、5時間すると」の部分がだんだん長くなって、最終的には書き込めなくなった。
だれかの陰謀かもしれぬ。
ある専門家は、搭載しているパソコンのアンチウイルスソフトの種類を聞いたとたん、「その安物じゃ、どんな不具合が発生してもおかしくない」と断言していたが。
ギュンター・グラスよ、住井すゑに学べ!!
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060905AT2M0500S05092006.html
「ナチス親衛隊」作家グラス氏、告白後初めて公の場に
第2次世界大戦末期にナチスの親衛隊に所属していたことを告白したドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス氏は4日、告白後初めて公の場に姿を現し、地元テレビによると「多くの批判にさらされたが、まだ両足でしっかりと立っている」と述べた。グラス氏はベルリンで行われた自伝「タマネギの皮をむきながら」(仮訳)の発表会で発言。しかし、なぜ親衛隊所属を隠し続けてきたのかとの質問に対し明確には答えなかった。
後略
「ズバリ聞きますが、あなたの正体はマーク・ロッカですか?」
「ノー・コメント。」
というのもあったから、列伝ファンとしては覆面もかぶってほしかったね。
それはともかく。
ほんとうに気合入ってないっす。とんだシャバぞうじゃねーの?
もっと気合入った人がちゃんといるのだ。グラスはん。この人の「漢」ぶりを見習いなさい。女性だけど。
その名は、住井すゑ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E4%BA%95%E3%81%99%E3%82%91
「橋のない川」の作者である。その他いろいろ、社会問題について発言していた。
さあよく聞きなさい、グラスさん。
彼女は、終戦前にいくつかの作品を書いていた。
「日の丸少女」
「農夫われ」
「佐久良東雄」
「野の旗風」・・・・
ちょっと内容を紹介しよう。
「戦争はありがたい。あり余るものによって却って心を貧しくされがちな人間の弱点を追い払って、真に豊かなものを与えようとしてくれている」(「農夫われ」)
「そうだ!僕もめいよの戦死をとげたおとうさんの遺児だ。ボクも、おとうさんの志をついで忠と孝をまっとうしなければならない!靖国のみ社にまつられたおとうさんの子として、はずかしくない百姓になるのだ!」(野の旗風)
ぷちナショですかね。タカ派ですかね。
んだがまあ、世の中ネットなんてもんもありませんでしたし、わざわざ戦後、名が売れ、社会的地位の高まった住井さんの首に鈴をつける人はいませんでした。90年代まで。
そこで悪いやつ、櫻本富雄という人が登場。彼はテレビ、雑誌と企画を連動し、住井先生に問いただす。
http://www.sakuramo.to/kuuseki/099.html
私がテレビ・ドキュメント番組『文化人と戦争』(MBS)の製作に参画したのは、1993年の春だった。番組は1994年の夏に完成した。局の意向は敗戦50年の番組として翌年に放送ということだったが、時流にのった企画と思われるのを嫌った私の希望で、敗戦49年目の放送(8月15日)となった。
・・・・中略・・・
一部を文字化したものが朝日新聞社の『Ronza』(1995年)や拙著『ぼくは皇国少年だった』に収録されているから、そちらを見ていただきたい。
このテレビ番組のメインは住井すゑ(『橋のない川』の作者)との対談場面である。長年かけて蒐集した住井の資料整理を始めたのは1975年ころからだ。その一部は大学のテキスト用として出版した『差別・戦争責任ノート』に収録してある。
住井すゑも鬼籍の人となった。彼女の虚構を告発したドキュメント番組は、深夜にもかかわらず放送された地区(エリア)ではかなりの反響をよんだ。MBSには「年寄りを捕まえてなにごとか」といったものから「人権侵害問題だ」と息巻く投書まであったそうだ。
ここで、戦時中の作品(および戦後の発言、作品との主張の矛盾)を問われた住井先生は何と答えたか。
「何書いたか、みんな忘れましたね」
「商売人ですから、何もないですね。原稿料もらって書く仕事は商品です」
「書いたものにいちいち深い責任感じていたら、命がいくつあっても足りませんよ」
「いちいち責任取って腹切るのなら、腹がいくつあっても足りない」
俺にドイツ語の能力が無いのが残念だ。
あれば、これを翻訳してグラスさんに「こういうふうに弁明しなさい」とアドバイスできたのに。
これだけ侠気に満ち、未来志向(=昔にこだわらない)の発言に対抗できるは、われらがアントニオ猪木しかいないだろうなあ。
「ぼくは皇国少年だった」
http://www.bk1.co.jp/product/1691827
サルバドール・ダリ展が上野で開催
http://www.fujitv.co.jp/event/art-net/go/315.html
会 場 =東京 上野の森美術館
会 期 =2006年9月23日(土)〜2007年1月4日(木)
開館時間 =10時〜18時 ※入館は閉館の30分前まで・・・、彼独特の物言いや「パラノイアック・クリティック(偏執狂的批判的)」な方法、すなわち、以前見た、あるいは見たかもしれないある画像が現れ、取り付いたその画像を批判的まなざしによって解釈する方法、さらにはダブル・イメージなどさまざまな表現によってシュルレアリストの中でも特異な位置を示すようになると同時に、一般にも知られるようになっていった。しかしながら、1934年の作品『ウィリアム・テルの謎』がシュルレアリストたちを怒らせ、グループから除名すべきだといわれたが、彼の評判は高く後の国際シュールレアリスム展などには必ず招待され続けた。
その後、戦火を逃れてアメリカにわたった彼は、相対性理論や量子物理学、あるいは数学の理論と物の奥に潜んでいる神秘性とを明らかにするような作品を描いた。それらは一見すると奇妙で、不可思議さに満ち溢れているが、あらゆるものが不確定になり、あいまいになった状況をたくみに表したものであった。
その一方で、大衆文化、すなわち映画やファッション、雑誌、ポスターなど消費社会における表現に興味を持ち、優れた作品を残していった・・・
6年ほど前かな、新宿の三越でダリ展が開催されていたはずだ。
今回も楽しみだ。
まあ、かなり長期間の開催だからそれほどあわてていく必要は無いか。
総裁選始まる。週刊現代の松田賢弥は?
総裁選、さあどっちが勝つか予断を許さず、手に汗握りますね。二位争いが。
ところで、今週号はまだ読めないのだけど、松田賢弥が週刊現代に連載している安倍晋三研究は好調だろうか。かなり激しい批判を、けっこう独自に発掘した事実に基づいて書いている。
彼は、いまの政治ジャーナリストの中では一頭抜け出ている実力派だと思うけど、まだ一般知名度がないような。本当は、彼こそもっとブラウン管に引っ張りだこであるべきなのに。
と思ったら、私も激賞しているとはいえ、一回しか紹介していないな。
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20050515
本当だったらもっと何度も取り上げたかった。
リモート・コントロールできるチョロQが発売される
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=140059&lindID=4
ねだんは1280円。
「今日の不可能は
明日、可能となる」・・・・・コンスタンティン・ツィオルコフスキー
これは「栄光なき天才たち」で覚えたせりふだが、同じことを同じ時代の、同じ物を研究していた異国人が言っていた。
http://www.geocities.jp/activatefc/quotes/possible.html
「何が不可能なのかを言うことは難しい。
昨日の夢は今日の希望であり、
明日の現実なのだから。」
ロバート・ゴダード (米国の物理学者、ロケット技術の開発者)
その想像力の面での先達は。
「誰かが想像できたことは、他の誰かが実現できる。」
ジュール・ベルヌ (フランスの作家)
いや、それぐらい「走行を操作可能なチョロQ」というのは少年たちの永遠の夢であり、同時に挑戦しつつも不可能な現実の象徴であった。
それが現実のものに。
あきらめたら、かなっちゃったんだよ!!
「いやな話だ!」
それは炎尾燃だ。