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幕臣の実感的には「幕府最盛期、それを成した最大最高の将軍は…十一代・家斉公(『べらぼう』にも登場)だったなあ」となるみたい(文春新書「徳川将軍の側近たち」)

徳川幕府の生々しい権力構造がわかる!

約260年続いた江戸時代、将軍、老中などの幕閣、そして側近がいかなる力関係にあったか。代々の側近を通して見えてくる幕府政治。

「べらぼう」の終わりごろに読んだ。
次の次、小栗上野介が主役の時もまた盛り上がるかもしれないけど、べらぼうはある意味で初の「徳川家側近もの」でもあった…いや「春日局」とかもそうか。


もともと三河の土豪から成り上がった徳川家、一応は大名としての組織、システムはあったけど、きっちりした憲法や成文法で組織が構成されるわけでもない。

だけど、日本一国を支配するには、やはりどうしても財政担当、司法担当、監察、建設、将軍の日常秘書、官僚…が自然と生まれてくる。
そこからどう、権力全体を握るような「最側近」が生まれるのか。
柳沢吉保、田沼意次、松平定信、その他教科書に載らないようなそれぞれにはどう特徴があるのか…どれも面白い話だった。


ただ新書全体を紹介するのもなかなか大変なので、可能ならということにして、前書きのこの部分を紹介したい。


……本書では、この十一代将軍までを、三つの時期に分類して、読み解いていく。十一代将軍家斉の時代を区切りとしたのは、なぜか。それは、これ以降に将軍のあり方が変わってしまったからである。
明治時代、旧幕臣は、家斉の大御所時代を幕府の「隆盛」の時代とし、その後衰退したと見ていた。旧幕臣が主宰した雑誌『旧幕府』第一巻第九号には、来春一月に発行する号の内容の予告として、幕末だけでなく、さらにさかのぼって「十一代文恭公の御代に昇り、衰運の幕府のみならず、隆盛の幕府をも」書こうと思っている、と記している。幕末の幕府は「衰運の幕府」であることに対して、「文恭公」つまり徳川家斉の時代は、「隆盛の幕府」だったというわけだ。
 
また、三田村鳶魚は『大名生活の内秘』の中で、明治の中頃まで、高齢者が語る「世の中のよかった話」は、「大御所様の時分」であり、「江戸の春は文化・文政、幕府の花は家斉将軍、とみだりに憧憬された」と記している。
この見方をより深めるため、「文恭院殿御実紀」の家斉の死去についての記事を見てみたい。

文恭院殿はもとより世子にもあらず。養はれて大統をつがせたまひしなれど。世を治めさせたまへる事当家の随一と申すべきにや。御子もまた多くしてこれにつぐものなし。遊覧としては乗輿しば〜城内を出させたまへど。事故ありては仮にも。一歩を廓外に踏せ給ふ事なし。治世多きがゆへに。書に満るといへどもよく和順し。四海富有なるがゆへに。万民苦む事なし。また遊王となりて数年を楽しみたまふ。鳴呼福徳王と申たてまつるべきかな。いま臣命をうけて。はじめにこの記を録したてまつる事。実に忝しと申すべき。


まず、家斉が嫡子ではなく養子でありながら、世を治めたのは「当家の随一」と述べていることに対し、十四代家茂・十五代慶喜もいずれも養子であるが、幕府の衰えていく運命を止めることが出来なかった。家斉は子沢山であり、弊害もあったが、世継ぎの確保は政権の安定には必須の事である。しかし、十三代家定の時には、跡継ぎをめぐり、大規模な政争が……

徳川将軍の側近たち


まー、たしかに。
例によって「風雲児たち」史観と対峙させると

徳川家斉風雲児たち
徳川家斉風雲児たち



ただ、実際の話として「将軍がやたらと子供を作って子だくさん」は「後継者不在」よりはいいだろう、ということもあるし、
そもそも徳川15代、(公式には)暗殺された将軍、将軍世子なしである。隣の朝鮮李氏王朝はどうだったかな。清国皇帝もないはずで、この辺儒教効果かもしれない。

そして
「養子」「将軍の娘の降嫁」によって、潜在的な敵であった帝国内の「公国」が身内、或る意味で藩屏になる、というのは、当事者にとっては許し難いお家乗っ取りであっても、血なまぐさい内戦や暗殺よりは良いことかもしれない。そしてそれによって絶対君主化が進んだのなら、ヨーロッパの他国と比べても遜色ないはなしかもしれない。



その一方で…国の全盛期、というのは、はたから見ての評価とはちょっと違ったり、ましてや指導者の質ではない、のかもしれない。
もちろん賢君Aの行ったことがその20年後に開花し、どうしょもない暗君B「であっても」国が最盛期を迎える、みたいなこともあろうよ。


さて、戦後の日本国は後世の教科書、あるいは老人の回想で、「日本の最盛期は〇〇首相の時だった……」と、どのように語られるのでしょうか。



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