まず、この歌を聞いて心を穏やかに
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www.youtube.com「濁悪の 此の世行く 学会の 行く手を阻むは 高市早苗…」
本日、公明党は自民党との連立を一旦白紙とし、関係に区切りをつける決断をしました。… pic.twitter.com/XbsiOXtbnn
— 斉藤てつお (公明党) (@saitotetsuo) October 10, 2025
協議では「政治とカネ」「歴史認識と安全保障」「過度な外国人排斥」を率直に提起。とりわけ「政治とカネ」は信頼回復の前提であり、全容解明と企業・団体献金の規制強化を求めましたが、明確かつ具体的な回答は得られませんでした。「なぜ高市総裁になった今なのか?」——この問題は石破政権の時から1年以上、繰り返し協議してきた課題です。
選挙後に明らかになった不記載問題の新事実も加わる中、首班指名が迫る“今”こそ、これまでにない対応で決着を求めました。
しかし回答は「これから検討」。具体が見えない以上、信頼回復は成し得ない——そう判断しました。敵対ではなく、信頼再構築のための決断です。
予算や政策は中身本位で賛成・協力します。
国民の皆さまの暮らしを前に進めるため、透明性・説明責任・再発防止に徹します。
とにかく、ほとんどの人が「予想」できなかった展開。
参政党躍進、高市早苗総裁選勝利と合わせて、是非の前にプロの評論家、ジャーナリスト、メディアが「全く予測不能」だった政治的大事件が続くね!?
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に、尽きる。推理小説じゃないんだから「予想の上を行かれた!思ってもいない展開だった!」といったって、それが良き結果に繋がらなきゃとんでもないのだけど、ただ、単純にとにかく驚いた、予想外のこととなった、ということは率直に認める。
思うことつれづれ
このあとのことを想定すると、
海部俊樹
渡辺美智雄
・・・・・・・・・の、事例を思い出し。
自民党離党と復党・政界引退
1994年6月29日、自民党総裁の河野洋平が、党の政権復帰のため日本社会党、新党さきがけと自社さ連立政権構想で合意し、首班指名で社会党の村山富市に投票することを決めると、これを拒否して自民党を離党した。同じく造反した津島雄二の説得により、旧連立与党である新生党や日本新党から首班指名の統一候補として担がれるも、自民党からの造反は期待されたほどは起こらず、決選投票で敗れることになる。
同年7月18日、公職選挙法235条違反による裁判で参議院議員の新間正次の有罪判決が確定。新間の当選無効に伴う再選挙[48]で野党9党派は労働官僚の都築譲を擁立し、7月27日、海部は都築の総合選対本部長に就任した[49]。対する自民党は国連職員の水野時朗に出馬要請し、党県連会長の村田敬次郎は海部と絶縁する宣言を行った。海部の番頭格だった服部光孝県議も「25年間の縁を切る」と強い口調で述べ、自民党との溝は一層深まった[49]。また、7月27日に海部は自由改革連合を結成して代表に就任している。
同年12月10日、新進党を結党して初代党首に就任。自民党総裁を務めた人物が離党し他党の党首となるのは極めて異例(2024年現在唯一の事例)[注釈 3]。同じ旧愛知3区の江崎鐵磨も新進党結成に参加した。
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自民党の総裁選に再度出馬するが、健康不安などもあって河野洋平に敗れた。
1994年4月、細川内閣退陣の際、新生党の小沢一郎より自民党からの離党を条件に首相就任を打診される。離党を示唆するなど、一時は本気でその姿勢を見せるが、同調者が中山正暉、伊吹文明、武部勤、柿澤弘治ら10数名に留まり(渡辺側近の柿澤弘治、太田誠一、新井将敬、佐藤静雄、山本拓、米田建三の6人が渡辺に先立って実際に離党した)、河野総裁の慰留を受け入れる形で離党を断念。さらに、村山富市への首班指名選挙でも「社会党の委員長を首相なんかに推せるか」と派閥オーナーの中曽根と共に造反し、連立政権の統一候補となった海部俊樹に投票した。
渡辺ミッチーのほうは「未遂」、海部氏のほうは、実行したものの数の差を埋めるにはいたらなかったが、要は、野党方面で総理候補がいない場合、「自民党からひと固まりを率いてやってくる、それなりに貫目のある議員」がいれば、それを首相候補として野党側がまとまる、まとまろうとする、そんな例があるわけです。
加藤紘一の「加藤の乱」も鎮圧されなければ、要は自民党のままではいないしいられなかっただろうから加藤・山崎拓がそれぞれ子分を率いて離党、加藤紘一が総裁候補になったのだろうな。
その直後の、森喜朗が辞任したあとの総裁選でも、小泉純一郎は実は負けた場合はそのまま離党し、民主党と合流するというプランもあったとかなかったとか。
ただ、今、自民党の中でそういう勢力がいるのか?といえば、石破茂がそうなのだけど、それはあまりにも存在論的に矛盾…(笑)いや!英国にマクドナルド救国内閣というのがあったな!
おまけに9月に既に書いてたな!
もちろん、憲法上の不首尾や、憲政の常道のスキマを縫えば、居座る方法は多少ある。
田崎史郎-大谷昭宏論争でも出てきたが、総理総裁分離論なんてのが昭和の時代から登場してきた。ただの政党のトップたる総裁はやめても、総理を辞職しない、というのは本人がその意思を示せばできることだ。
勿論理屈では、辞めない!という総理かつ前総裁に「お前が辞めないなら不信任案だ」とやって、総理の首を取る…かもしれない(内閣総辞職)。ただ総理はそのまま解散に打って出て、たとえば自民党の総裁ではないから、自分に賛同する議員を引き連れ「石破新党」で自民党と争うこともできる。
あるいはいったん内閣総辞職をしたあと、その石破新党は立憲民主党などと協議し、新たな多数派を形成して、もう一度石破新首相が誕生する可能性もあろうよ。(マクドナルド英首相の「挙国一致内閣」だね)
マクドナルドは政権を取りまとめることは不可能と判断し、同日夜22時に内閣総辞職する旨を国王ジョージ5世に奏上した[47][48][49]。しかしジョージ5世は総辞職を認めず[48]、「あなた(マクドナルド)は挙国一致内閣を組閣すべきである。あなたが、この国難に際して政権を投げ出すよりは、むしろ首相の座に留まって、それに対処した方が、あなたの地位と名声を高めるであろう」と述べた[50]。また国王は野党の意見も聞きたいと思い、各党党首に参内を求めた。そのため保守党党首スタンリー・ボールドウィン、自由党党首ハーバート・サミュエルが次々と参内…(略)……失業手当を1割カットした7,000万ポンドを支出削減する合意が行われ、マクドナルドをそのまま首班とし、彼を支持する労働党の一派(ごく少数)・保守党・自由党による挙国一致内閣が新たに成立した[48][47][53]。挙国一致内閣が成立した翌日、ジョージ5世はマクドナルドに手紙を送り、己と党の利害を捨てて国を守ったと賞賛している[54]。
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「一旦総辞職をした後」でなく、「このまま居座る」という論も出てきた。確かに内閣総辞職をしなければそのまま。で、普通なら不信任案が通過するが、野党と石破内閣グループの総計が過半数となればその不信任を否決できるわけである。
ただ、石破がそこまで粘るなら、9月に「裏金決別解散」をしておけ、って話であった。
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あと、こっちのほうがリアリティがある。つまり自民を割ってひと固まりを率いて出た人、というのは、いわば自民=与党なのだから、自公連立が解消されて、公明党が出ていった、というのは、構造としてはそのまんまなのだ。
つまり斉藤鉄夫氏が、その役目を担うことは十分可能なのである。
ついに王仏冥合、成れり。人間革命。

他の人でだれかいるのだろうか。
野田聖子。
林芳正。
岸田文雄。
小泉進次郎。
船田元。
斎藤健(石破とはたもとを分かったのだが)……。
まあ、こっち方面での想像はかなり難しい。だが、意外であればあるほど面白い、ともいえる。
ごたごたの末に解散総選挙となり、首相が決まるのはその後、ということになれば、在野の雄もあり得る。小池百合子とか……。
あと、これはあまり日本では例が無いが、諸外国には多少例がある。国連方面での大物を呼んで、そのまま総理候補として戦うのだ。
つまり、赤根智子氏だ。
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こんな突飛な空想で、ひとまず休止。


