「船頭多くして船山に上る」の誤用として有名なのは、1453年のメフメト2世のコンスタンティノープル攻略戦において、70隻もの軍艦の山越えを敢行して金角湾に侵入させ、膠着した戦況を打破した故事であり、重要なのは船頭(最終意思決定者)が1人だった点。 pic.twitter.com/NxpLqRgBUu
— ちおね@長崎 2nd (@1970Chione) September 13, 2025
要点としては、「船が山に登る」ことは史実においても実際起こりえるが、それが、きちんとした戦略を前提とした、強力なリーダーシップの元で行われた時は、事態打開の強力な一手と成り得るということなのかもしれない。
— ちおね@長崎 2nd (@1970Chione) 2025年9月13日
その連想は自分もしたことあるけど
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2025年9月13日
『スルタン1人にして 船、山に登る』という新ことわざにできるんだね、と今気づいた(笑)https://t.co/aUzRaDtshO
笑いどころなのにヽ(;▽;)ノ pic.twitter.com/BPQOkuKBhj
— ゆうき まさみ (@masyuuki) September 13, 2025
船頭多くして船、山に登るをポジティブな意味に捉える誤用、あるいは敢えての皮肉はずっと前からあって、「情けは人のためならず」や「気の置けない」「議論が煮詰まる」「地獄の釜の蓋が開く」などと似たカテゴリーではある。
ただ、それはそれとして
「スルタン1人にして 船、山を登る」
という新ことわざにまとまるとたいへんよろしい。
これをさらに少し言い換えると「船、山を登る時、千年の都燃ゆ」となる。
もちろんそちらでなく、「キリスト教徒の大砲」がその都の城壁に向かって放たれた、というのを重視してもよいのだが。



