「原爆を落とされた後の広島のようだ」FOXテレビのキャスターがロサンゼルス山火事の焼け跡について表現
1/12(日) 17:47配信
アメリカ・ロサンゼルスの山火事による焼け跡について、アメリカのFOXテレビのキャスターなどが「原爆を落とされた後の広島のようだ」など表現していたことがわかりました。
【画像】自宅の焼け跡を訪れた家族(パシフィック・パリセーズ地区・1月10日撮影)
アメリカのFOXテレビのキャスターのジェシー・ウォーターズ氏は、10日に放送されたロサンゼルスの山火事のニュースの中で、現在も延焼を続けている高級住宅地の「パシフィック・パリセーズ地区」の焼け跡について「原爆を落とされた後の広島のようだ」と表現しました。
news.yahoo.co.jp
あっ!!!これで思い出した!!!
あした、1月17日は阪神大震災30周年。あらためて被害者を追悼したい・・・・・・・・その上で、上のニュースにも関連するんだが、
阪神大震災30周年ということは、故筑紫哲也氏の「まるで温泉街のようです」発言30周年、でもあるんです。この時に、太平洋と30年の時を超えて、アメリカのテレビキャスターの、大災害での比喩発言がニュースになるのも不思議な縁かもしれないし、あるいは構造的な問題なのかもしれない。
とはいえ30年前の話、知らない人、忘れている人もいるでしょうからあらためて。
・・・・と思ったら、30年という月日は長いなあ、
ちゃんとまとまった情報が、ネットではすぐには見つからないや。
阪神淡路大震災の現地レポートにおいて、無神経にも被災地を「温泉街」と表現し、批判を浴びた。さらに、許可無く被災者にカメラを向けて怒られたら「神経質になっているようです」と無神経さに輪をかけた発言もした。
…事実関係はだいたい合ってても、
ニコニコ大百科から引用するのはちょっとなぁ(笑)
ああ、ウィキペディアでは「筑紫哲也」の項目には無いけど「筑紫哲也ニュース23」の項目にあるんだね。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)に関する報道において、ヘリコプターからの取材に臨んだ筑紫が、地震による火災で燃え上がる神戸市の様子を「まるで温泉街(おんせんまち)に来ているようです。そこらじゅうから煙が上がっています」と発言し放送。これが『あまりに無思慮である』と視聴者から批判され、筑紫も非を認めている。歌手の嘉門達夫は、自身の曲「怒りのグルーヴ〜震災編〜」でこれを取り上げている。
また同震災において、撮影取材を拒絶した被災者のグループを取り上げた際、筑紫が「被災者は感情的になっている」とコメントした。この被災者のひとりと知人であった田中康夫は、自身の著書『神戸震災日記』で、この撮影取材は被災者に無断で行われたもので、なおかつ放送しないことを約束したにもかかわらず放送された、としている。もっとも、この田中の指摘は事実とは異なり、取材映像は放送しておらず、筑紫が補足コメントで述べたものに過ぎない。筑紫は自著の中で田中の名を挙げなかったものの、この批判を知っていたとしている[19]。
ja.wikipedia.org
嘉門達夫公式チャンネルにUPされてますね。
www.youtube.com

この発言をよりによってというか、ナンシー関が聞いて、書き残したのは非常に大きかった。
「小耳にはさもう」でリアルタイム、翌週当りに書いたはずだ。
筑紫哲也は意外と「ここ1番」に弱いのかもしれない。開口一番事件で忘れられないのは阪神大震災のときのひと言だ。火災で焼け落ちた瓦礫からまだくすぶった煙が立ち上がっているようなところに立ち、いきなり「温泉場のようです」と言い放ったのは忘れられない。(ザ・ベリ #nancy_seki
— ナンシー関ボット (@nancy_seki_bot) November 23, 2018
あ、ほぼリアルタイムで彼女が書いた文章はこちらのほうだ


「筑紫、現場は苦手なのか」の批評力。
んで、その後、クレアでのナンシー関と大月隆寛氏の対談で、これを展開させていった。
朝日だかTBSの周辺のひとに大月氏は聴いた話として、あの人はそもそもスクープを分捕ってくるとか現場に突撃するというタイプじゃない…みたいなこと語ってて…「辛辣だなー、やっぱりTVキャスターなんだし、それもまた一方的な見方じゃないの?と」、筑紫哲也氏にかならずしも好意的でない自分も当時思ったんだけど…実は数十年経ったあとの側近、茶坊主的存在の金平茂紀氏の回想でも
筑紫さんはもともと、切ったはったの事件記者的な仕事が適任とは言い難いところはあったが
https://fujinkoron.jp/articles/-/5026?page=4
と認め、あの時ナンシー関がブラウン管(死語)の向こうの一瞬を観て喝破し、それを大月隆寛氏が”取材”して裏付けた評はむしろ的を射ていたんだ…、と頭を下げる次第。
このとき、ナンシー関が皮肉を込めて彫り上げた「筑紫哲也 IN 温泉場」の消しゴム版画は忘れがたい。ネットを探してもみつからないのが残念だ、探さねば…
※「地獄で仏」に収録されているのはほぼ確実だが、現物が書庫から見つからなかった…
筑紫哲也氏自身は「非を認めた」という記述も今回の調査で見られたが、どこであろうか。
番組内で発言を正式に撤回したり謝罪したりした、ということはなかった、これは間違いないところだ
そしてそのほかの震災報道批判に関して、かなりぐちぐちと、逆に言ってる。
これなんかむちゃくちゃやん
報道ヘリの騒音で瓦礫の下敷きになった人の声がかき消されたというが、 むしろ上空、低空で“自由”に飛んでいたのは、警察、自衛隊など「官」のヘリだった。
どうしてだれが、「報道ヘリの騒音」と識別できたのかも奇妙な話だが、もっと異様なのは「死者に口なし」のはずなのに、救いの声が届かず死んだことがどうして確認できたのか、だれか他者がその声を聞いたのなら、「声は届いた」ことになるというこの話の基本的な矛盾が無視されて流布されたことである。
さらに今回の検索で、小林信彦…かなりリベラル的な政見を持ち、自民党政権には一貫して辛辣だったこの作家も、当時の筑紫哲也氏を批判していたという情報を得た。
小林信彦『人生は五十一から』文春文庫 こ-6-11 134p より
— 8getter (@8getter) October 28, 2020
初出は『週刊文春』1998年6月25日号「みっともない語辞典」
上記のキャスターが誰なのかは措くとして、筑紫哲也に好感を持っていなかったことは間違いないようだ
実名ではなく独自の呼び方をするという表現方法でわかる pic.twitter.com/wAzUGESsXi
さらにいえば・・・・・1995年は世界的な視点でいうと「WINDOWS 95の発売された年」である。
実感を持つ人もいるだろうが、ここから爆発的にインターネットが普及した。それまでは筑紫哲也氏への批判というのも、やはり文芸春秋とか週刊新潮とか、そういうメディアに著名人や編集部ライターが出てきて、やっと少しばかり批判されるというものだった。
メディアの有名人、著名人、オピニオンリーダーが、うっかり漏らして電波に乗ったけど…それまでだったらスルーされたような失言や矛盾、ダブスタ、偏見などが「非マスメディア=ネット」から指摘され、アーカイブとして蓄積されていく時代の幕開けだった。
それに業を煮やした筑紫氏は4年後の1999年、インターネットを「便所のラクガキ」と語り…とサーガが続いていく(笑)
1999年7月15日放送の「多事争論」において、東芝クレーマー事件を取り上げた際、東芝を一部上場企業と匿名で報道した上で、当事者に批判的な発言を行った。また、このときインターネットを「かなり恣意的で、トイレの落書きに近い、などという酷評すらあります」と批判した発言は、インターネットを中心に反発が広がり、「便所の落書き」発言として一人歩きすることとなった。放送当日のスポンサーが東芝で、多事争論直前に東芝ダイナブックのCMが放送されたとされることも非難を大きくする要因となった。
う-ん、これ実家の、当時…90年代からゼロ年代初頭の本からもう少し抜粋したいな。
とりあえず、LA火災のFOXニュースの「ヒロシマ」発言、そして1月17日に阪神大震災を迎える、というこの時期だからこそ「筑紫哲也の『温泉街』発言30周年」という視点から振り返ることも必要なのではないか、と思う次第。
(※未完、資料収集中)




