これも同号・同記事孫引き。
秦氏の引用によるとこの大江健三郎「沖縄ノート」にはこうあるという、
慶良間の守備対象を集団自決の命令者だという前提で、「ペテン」「屠殺者(ママ)」「戦争犯罪人」呼ばわりしたうえ、「ユダヤ人大量殺戮で知られるナチスのアイヒマンと同じく拉致されて沖縄法廷で裁かれてしかるべき」と・・・・(148P)
え、「トサツシャ」って。秦さんもびっくりして(ママ)と入れている。
この問題、もつれて訴訟となっているわけだが、そこの訴状にも「沖縄ノート」の引用部分が明記されている。
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/4/
しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの屠殺者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際におこったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえたであろう。
IMEでもこの表現、漢字変換できないのに。もちろん、この「沖縄ノート」は初出はだいぶ古いし、「比ゆ的な表現は必ずしも差別表現ではない」と大江氏が考えているなら、それはまた一つの考えかただし、議論の仕方や用い方によってはそこに合理性があるかもしれない。
もっとも、大江氏の差別語・不快語に関するスタンスは
http://www.nwjc.ac.jp/~yamashiro/yamashiro/txt/kirie/7.htm
断筆宣言後、筒井氏を批判、支持する論調がそれぞれ登場。作家の大江健三郎氏は「社会に言葉の制限があるのならば、新しい表現を作り、使っていくのが作家ではないか」(読売新聞)と評している。
の通りだ。
ただ
http://www.jla.or.jp/jiyu/column01.html
みなさんは,『報道写真家』という岩波新書をご記憶だろうか。1989年11月8日付の朝日新聞(朝刊)に「差別表現で岩波新書回収へ一新刊の3万6千部 『弁明の余地なし』」と報じられた図書である。
ここは回収理由を触れていないが呉智英「危険な思想家」によれば
「戦場という異常な状況下では牛や豚など家畜の屠殺と同じような感覚になるのであろうか」
という一文であったという。
「屠殺場」発言事件
1989年、ニュースキャスターの筑紫哲也が「ニューヨークの街も多分屠殺場だね」と番組で発言をした。当時、公の場で使われる差別的な言葉が問題となっていたため(批判的な意味で言葉狩りとも呼ばれた)、筑紫は「屠殺場」という言葉の使い方が不適切であったとして翌日に謝罪をした。しかし一部の屠場労組から抗議があり、部落解放同盟も加わっての糾弾会が行われた。 [7]
ちなみに「プロレススーパースター列伝」タイガーマスク編でも、文庫復刊の際これが言い換えられている。
沖縄ノートの版元は、上にもでてくる岩波書店。
この記述、新しい版ではどうなっているのかな?つうか新しい版で直してれば、それはそれでオッケーなのかな?
それって不公平っぽいが。(秦論文の執筆時点で49刷)
大江さん、糾弾とか受けてないだろうな。いまどうなっているか知りたいところだ。