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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

BL「黎明期」の証言…『一度きりの大泉の話』(萩尾望都)の、そういう部分を選んで紹介します

おもいがけず
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がバズったわけだが、これはまぁ、(例によって)紹介したコンテンツの力であります。単純に、そういうのがあるよー、無料公開中だよーっと紹介したから読まれただけで。

なにしろ、自分はBLというものに対して、基本的に無知もいいところ、眼に一丁字もない。



だがそれでも、2011年にこういう文化現象とはいかなるものか、と徒手空拳で考え始めた、という点はいささか誇っている。
徒手空拳だから、まあ考えが正解とはずれててもお許しありたい。
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そして、BLというか、それも含めて「創作物の中で、一つの『ジャンル』が形成されていく、」という、まんが道アオイホノオ、未踏の世紀、……みたいなそういう物語は、これは逆に大好物なのだ。

だからこのブログ内でも【創作系譜論】という※準タグを運営してるぐらいで。
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BLというのは、比較的「あ、こっからここまでがジャンルだな」「この作品をきっかけに、こういう分野が始まってるな」みたいなのがくっきりしてると思う。

そして……何度も紹介しときながら、最近ようやっと最後まで読んだ「一度きりの大泉の話」は、まさにそういうジャンルの、「黎明の世紀」の、回想録として読めるのだ。


「BL立国 日本の自叙伝」などという副題がついたっていい(※そんなんで立国されてたまるか)。


というか、この人たちが「…に興味を持ちました」とか「という舞台を考えました」とかいえば、そりゃそのまま、国生み神話だよ!!!お前たちが作ったに決まってるよ!!!


以下、箇条書きする。

・ その言い方が適切かどうかはともかく、いわゆる「 大泉サロン」と呼ばれる 集団があった。 1つの家に 竹宮恵子萩尾望都という、少女漫画の世界に 金字塔を打ち立てる 少女漫画家が同居していた。 さらにそこに、 山岸涼子佐藤史生をはじめ遊びに来る たくさんの 少女漫画家がいた。


・さらにこの大泉サロンにはもう一人の住人がいた。 漫画を直接書く ではないが、 主に 竹宮恵子に様々なアイデアや提案を打ち出し、捜索に影響を与えるという、ブレーンとも、マネージャー とも プロデューサー ともつかない、 そんな立場の人である。
名前を 増山法恵と言った。
どんな人かは、Wikipedia を見てもらうといい。
ja.wikipedia.org



・この増山さんが、 立ち位置と資質から言って、 少女漫画界の BL の”真の開拓者”といっていいようだ。この人が少年同士の愛とか 美少年 の良さとかを熱く語る中で徐々に 竹宮恵子が、 萩尾望都が感化され、金につながっていったのである。


・増山さんは 三島由紀夫仮面の告白、 午後の曳航・・などを 萩尾におしえ、ウィーン少年合唱団、 稲垣太郎、 「If もしも…」「哀しみの天使」(パブリックスクールを描いた映画)、などなどを布教していったのでした。


・ちなみに萩尾先生は、こういうのを見ても「うーん、私にはよくわからない」だったそうだけど、「寄宿舎が舞台」には興味を惹かれたり、「友情ならわかるかも…」と試行錯誤したり、あるいは少女でなく少年を主人公にすると、ものすごい「解放感」がある、ことに気づいたりしたそうな。


竹宮恵子さんはもっとストレートに影響を受け、少年愛というジャンルが好きになるし、自分の創作に取り込もうとする。


山岸涼子さんはその少し前からもうちょっと自覚的で、竹宮恵子「弟」という漫画を描いた時に「これは同族…彼女も男同士が好きに違いない…」と思って会いに行ったが、その時、竹宮氏はまだ本格的な覚醒前だったんで「勘違いだったか…」と帰っていった、という話。


・この話を聞いた萩尾は「ちょっとタイミングが違った!いま、大泉は空前の少年愛ブームなんですよ!」と内心思ったけど、余計なことは言わなかった、という。


・・・・ここから先、「トーマの心臓」や「風と木の詩」等の話になってくるのだが、
その前にフーン、これが黎明の風景なのだなあ、と感心することしきり。


いまや、BLが読みたければ、二つ前の記事で紹介したように、書店のBLコーナーへ行けばいい。どうかすればそこで同好の士に出会える。
パンを食べたいからパン屋に行く、そんな当たり前の行為だ

しかし、それがない黎明の世紀は、上に挙げたように三島由紀夫稲垣足穂、合唱団、寄宿学校の映画、オスカー・ワイルド……そういうものを材料に、自分達で一軒家で24時間語りまくって、そうやって「BL」的なものの結晶を取り出していたのだ。
パンを食べたいから山を切り開いて畑にして、麦の種をまき水と肥料をやり、雑草を刈り取り……

一度きりの大泉の話
一度きりの大泉の話

そんな時代が、わかる。

そんなBL開拓期の物語を書いたのが、この「一度きりの大泉の話」ではない!!!

そのことは知ってるだろ。以前、このブログでも紹介した。



そもそも!
この本は!!
その「大泉サロン」のことも盛り込んだ回想録を竹宮恵子が書いたところ、いろんなところから対談だインタビューだ特集記事だ、果てはドラマ化したら登場するのでその許可を、などの話が萩尾望都に持ち込まれ…


「私は今、竹宮恵子さんとはおつきあいがありません」
「その話を、私に語らないでください」
「理由を言わないと納得しないでしょうから、『一度きり』話します」


そういう、本なのである。

12万字書き下ろし。未発表スケッチ多数収録。
出会いと別れの“大泉時代”を、現在の心境もこめて綴った70年代回想録。

「ちょっと暗めの部分もあるお話 ―― 日記というか記録です。
人生にはいろんな出会いがあります。
これは私の出会った方との交友が失われた人間関係失敗談です」


――私は一切を忘れて考えないようにしてきました。考えると苦しいし、眠れず食べられず目が見えず、体調不良になるからです。忘れれば呼吸ができました。体を動かし仕事もできました。前に進めました。
これはプライベートなことなので、いろいろ聞かれたくなくて、私は田舎に引っ越した本当の理由については、編集者に対しても、友人に対しても、誰に対しても、ずっと沈黙をしてきました。ただ忘れてコツコツと仕事を続けました。そして年月が過ぎました。静かに過ぎるはずでした。
しかし今回は、その当時の大泉のこと、ずっと沈黙していた理由や、お別れした経緯などを初めてお話しようと思います。
(「前書き」より)

そして、結局、クリアな理由は不明なのだが、その背景には、増山法恵という「少女漫画を描かずして少女漫画の歴史を作った」人物の少年愛布教の情熱に「見事に共鳴し、少年愛を自覚的に愛好するようになった竹宮恵子」と「最後まで少年愛にはピンとこなかった萩尾望都」の差異が関係しているようでもあるのだった。



ただ、自分が読んでも、なんとも辛い話だろうな、という本であった。共感性羞恥という言葉が流行ったが、そういう「共感性」の強い方がこれを読むと…ちょっと精神的に厳しいかもしれない、そんな本だ。


自分は、その辺図々しいのだが、それでも正面からそういう感情の奔流を受け止める、のも辛い気はするので、まるでSF創世記の作家の馬鹿話のように、上のような「BL創世記の証言」というふうなところにスポットを当てて、或る意味、こちらでも理解できるような感じで「無害化」して読み、消化し、他人に紹介する…という面がある。



余談なのだが、時代というのはありがたいもので、だいたいこういう本も「試し読み」がネット上にあり、前書きの相当部分を読むことができる。
自分はちょっと、そういう「試し読み可能部分で前書きを読むマニア」だし、実際、前書きというのはおもしろい(今度、何冊か紹介するね)

ただ!!この「一度きりの大泉の話」、いろんなプラットフォームで「試し読み」とあるが!!読める内容は実質ゼロページなのだ!!これ、よほど意識的に拒否しなければこうならないと思う。
この本に関する、著者や関係者の込められた意思の強さを思い、戦慄する。