ひとつ前の記事に関連して、極めて重要な情報を紹介する。
その記事の中で、「野武士のグルメ」について触れたが、その際に検索して大発見!!
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ここで「一話無料」があるが
この「1話無料」の一話のチョイスがとんでもなくて……まぁ、選ぶとなれば満場一致でこれだろうな、という「主人公がタンメンを食す回」が丸ごと載っているんだ。つまり、連載が始まったという意味の第一話ではない。
主人公は、タンメンを食べたくなる。
そして食べる。
なぜかタンメンを食べる前に、最近の「自己主張まみれのラーメン」をDIsる(笑)
そして、その対極として…「町中華」という言葉が生まれる何年も前(そういえば「町中華」「街中華」なる言葉、誰の造語なんだ?)の話だが
こういう基準で、店を探すというね(笑)
そして、店がある。タンメンを頼む。…これは、まさに今のこだわりのグルメ系ラーメン店には「タンメン」がなく、町中華の店でないとタンメンが出てこないという現実を反映している。
そして
そしてタンメンとなると、突然「体にいいものを食べている」という、極めて無理のある疑似科学がはびこる(笑)
塩分と脂肪たっぷりのこの料理、少々の野菜があるとはいえ、体にいい訳があるか。体に「言い訳」はあるか(笑)
でも食べる。
町中華特有のテーブルにぞんざいに置かれた調味料で味を変化させる。
でも、読むとタンメン食べたくなる。
東海林さだおのタンメン賛歌。高島俊男がその文章の上手さに驚愕した、という。
m-dojo.hatenadiary.com
たとえば「タンメンの衰退」。
題を見ただけでギクッとする。思えば昭和三十年、初めて東京へ出て、渋谷の恋文横丁で食 べたタンメンのうまかったこと。忘れられない。ところがもうここ十年ほど、ラーメンは三日にあげず食っているのに、タンメンはとんとごぶさたしている。
東海林さんはどう書いているんだろう。
〈タンメンは、なぜ衰退したのだろうか。
何か悪いことをしたのだろうか。
人々のヒンシュクを買うようなことをしでかしたのだろうか。
そう思って、ぼくは久しぶりにタンメンを食べに行った。
タンメンは何ひとつ悪いことをしていなかった。
昔の姿そのままに、キャベツと白菜とモヤシと人参と木クラゲと、豚肉の小さなこま切 れを麺の上にたっぷりのせ、静かに湯気をあげていた。〉
うまいねえ。
〈 ちょっと傾けるとこぼれそうな丼をカウンター越しにうやうやしく受けとり、『アチチ』 なんて言ってカウンターの上に置く。
"もうもうと大量に立ちのぼる湯気”が頼もしい。
野菜の下の麺をほじくり出すと、湯気はいっそう立ちのぼり、ここのところでたいてい 人はむせて咳きこむ。 咳きこむところもタンメンの魅力である。
掘り出した麺は、タンメン特有のぬめりと、蒸れた感じがあり、口に入れるとラーメン とは違ったモチモチしたモチモチ感がある。〉