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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「ハングル校歌」という言葉がネットに溢れたが大前提が間違いやろ。NHKの過去が、禍根を残す……

全国高校野球で優勝した京都国際高校。見られなかったが、タイブレークにもつれ込む大接戦だったようで。
プロを志望する選手もいるのかな。




で昨日、トレンドにも入ってたかな?(画像で保存しておけば良かった)「ハングル校歌」という用語がネットのそこかしこで目についたが…さすがにメジャーなメディアの記事には、出てこなかったと思うが

上のような話だから「ハングルの校歌が電光掲示板に浮かんだ」とか「ハングルの校歌の歌詞がテレビの字幕に流れた」みたいな言い方なら、まぁ間違いじゃない。



京都国際校歌

に、しても。

朝鮮語を表す文字はハングルと呼ばれる。「ハン」は「大きな」という意,「グル」は「文(ふみ)」という意で,合わせて「大いなる文字」という意味だとされている。これには異論もあるが,現在では定説とされている。
このことから分かるとおり,「ハングル」というのは文字の名称であって,決して言語の名称ではない。だから,「ハングル語」などというのは日本語を「カナ語」と言っているようなもので,実に滑稽千万な呼び方なのである。「私はハングルが話せます」というのも「私はカナが話せます」と言っているのと同じで,かなりの芸達者な人といえよう。誰が言い出したのか知らないが,このような変な言い方が広まっていることは誠に悲しむべきことである。
www.tufs.ac.jp


孫引きの形式となるが、これを写しておくか。

「ハングル」とNHK朝鮮語講座名変更事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (2022/05/11 14:14 UTC 版)

朝鮮語の呼称問題」の記事における「「ハングル」とNHK朝鮮語講座名変更事件」の解説

詳細は「ハングル」および「ハングル優越主義」を参照 1982年に、日本放送協会が語学番組「朝鮮語講座」を作ろうとした際、在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総聯)が「朝鮮語」、在日本大韓民国民団(民団)が「韓国語」という呼称を用いるように主張したことで対立し、妥協の産物として文字の名称である「ハングル」を用いた『アンニョンハシムニカ 〜ハングル講座〜』という名前が用いられることになった。以降、NHKのテレビやラジオでのハングル講座の中では朝鮮語ないし韓国語という表現は使われず、「ハングル」と呼び換えるか、もしくは「この言語」という表現を用い、言語を直接指す表現を避けるようにしている。このほか、大学入試センターでの「朝鮮語」呼称に対しても抗議がなされた。 これに対しては、「『한글(ハングル)』とは文字の名称であって決して言語の名称ではないため、朝鮮語という言語を『ハングル』『ハングル語』と呼ぶことは誤っている」という意見が韓国人研究者からも出されている。これは日本語を「カナ」と呼んだり、英語を「ローマ字語(ラテン字語)」と呼ぶようなものだからである。

※この「「ハングル」とNHK朝鮮語講座名変更事件」の解説は、「朝鮮語の呼称問題」の解説の一部です。
「「ハングル」とNHK朝鮮語講座名変更事件」を含む「朝鮮語の呼称問題」の記事については、「朝鮮語の呼称問題」の概要を参照ください。

www.weblio.jp


もちろん、同情の余地がある。この滑稽な決断は、当時、如何にこの界隈の団体や勢力が「プレッシャー」を与え得る実力を持った組織であったか、ということを意味するのだ。
そのせいで用語がゆがんだ名残が、この周辺にはたくさんある。

呉智英氏 韓国を「南朝鮮」と呼ぶ人に反応


 先日東京の新橋駅を降りると、右翼が街頭演説をやっていた。内容は例の調子だったが、一つだけ、おっ、面白い、と思った。まだ勢いがあった頃の日本共産党が使っていた言葉が使われていたのだ。右翼活動家はしきりに、南朝鮮南朝鮮、と言っている。

 共産党は二十世紀末まで「韓国」という名称は使わず、必ず「南朝鮮」と呼んでいた。朝鮮半島の正統な国家は北朝鮮であり、南朝鮮にあるのは米軍に後押しされた傀儡国家だ、というわけである。どうしても韓国という言葉を使わなければならない時は、かっこをつけて「韓」国と呼んだ。例えば、日「韓」条約反対などと。

 米軍基地反対運動などで長く歌われてきた反戦歌に『この勝利ひびけとどろけ』(荒木栄作詞作曲)がある。1962年春の福岡の板付基地包囲闘争の「勝利」を歌ったものだ。

筑紫野の緑の道を
すすみゆく十万の戦列
(略)
とびたてぬ一〇〇のジェット機
姿かくす戦争の手先
板付は包囲された
アメリカは包囲された
南ベトナム南朝鮮
この勝利ひびけ とどろけ


(略)はっきりと「南朝鮮」と歌っている。
(略)
 数年前、学生と話していて「北朝」という言葉が出てきて驚いた。五、六世紀支那の話か、光明天皇の話かと思ったら、北朝鮮のことだった。確かに、分裂国家だから南北朝と言えなくはないのだけれど。学生によれば、北朝鮮の略称は北朝じゃないか、というのだ。普通それは「北鮮」と言う。これが差別だというので、戦後、というより1970年代以降に禁圧されて、分からなくなったのだ。

 禁圧の理由は、「鮮」は「賤」に通じるから差別だとか、頭の「朝」をはねるのには民族絶滅の意図が込められているとか、滅茶苦茶であった。それならアメリカを「米」と略すのはなぜ許されるのか。最近は「訪朝」という言葉まで広がっている。訪朝って日本(我が朝)へ来るという意味だ。

 前述のように「北鮮」は1970年代まで普通に使われていた。在日朝鮮人がそう言うのを聞いたこともある。高校の世界史の授業で使う『標準世界史年表』(吉川弘文館)にも、1950年7月の箇所に「北鮮軍、釜山橋頭堡に迫る」と出ていたのである。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。

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