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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【新書メモ】佐藤雄基「御成敗式目」は「続・鎌倉殿の13人」か「逃げ上手の若君・第0話」か…歴史を埋める重要ピースを、はめ込む。

武士社会の先例や道理に基づくとされる御成敗式目。初の武家法はどのように生まれ、どう受容され、なぜ有名になったのか。

「鎌倉殿の13人」ドラマの中の描き方でも、三谷幸喜の舞台裏トークでも言ってるんだけど「この物語が終わった後、そこに遺された希望として北条泰時を描いている」というのだ。
たしかに…誰が演じてんだっけ、名前は覚えてないけど、いい俳優のいい演技でした。


そして「逃げ上手の若君」でもこんな場面がある

北条泰時を敬愛しない民はいない 逃げ上手の若君


物語は、仮に作者が「神」だとするなら、作者の筆が及ばない続編も前編も存在しないし、欲しけりゃ二次創作でもするしかない。

しかし史劇は、その作品が好きで「続編」や「前史」まで見たくなったら、そういう史書を読めばいいから便利だ(笑)

そして北条泰時の「御成敗式目」制定は、タイトルにうたったようにまさに「13人」の続編、「逃げ上手」のプレ・エピソードであり…ほんとに三谷幸喜がドラマにしてもおかしくない。

どんな意味があるのか?

ちょっとあとで独立して書こうと思ってた話だが、いま角川サブスク「ブックウォーカー」は多くの新書の試し読みを10数ページ設定し、これはイコール「まえがき」をほぼ読める、である。
この前書きを読むのがおもしろくてしかたない。皆さんも読んで。

御成敗式目前書き

自分は以前から北条泰時御成敗式目制定を「天皇からの(立法権)簒奪者」「革命家による、大革命」としていまして、以前書いてけっこうブクマがついたっけな。
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実はこの新書はそれをちょっと否定的に論じる本でもあるある。その辺は後述するとして、メモ代わりにざっとおもしろいところをピックアップする。



・中世は気候変動によって古代の集落が消滅、税収の確保が困難になった。そういう時、唐や新羅の様に滅亡、分裂するのが普通だが、中央は税さえ取れれば末端の支配は現地支配者に任せ、それでは立ち行かないから各地で「自力救済」の仕組みが整えられて移行する。世界的に見ても稀有な現象である。



・そして荘園ができ、訴訟沙汰が頻発した。そして鎌倉幕府が立ち上がる。ただ鎌倉幕府と頼朝は当初、自分たちの権限を「線引き」しようとしていた。わたしはちは御家人の支配権限がある。それ以外に影響力を持つつもりは無いし、面倒に巻き込まれる気も無いです、と。これは「不徹底」や「限界」なのか、はたまた東国国家か権門体制かにつながる論点。ただし、これはやはり時代に合わせ変化する。それこそが御成敗式目


・その前段階として地頭の権益を数字を以て明文化した新補率法、朝廷が自ら政治改革を志した「嘉禄の新制」などがある。後者は実は名分で人身売買・誘拐を禁じており、御成敗式目にこの辺の記述がないのは、実はすでにこちらの制度があったからだ、とも言われる。ただし…後述。


・さてその制定者の北条泰時。彼が御成敗式目の”法源”としたのが「道理」だったというのは有名だが(朝廷や天皇の権威でも、神仏でもない!)、本当に彼はガチの「道理」信者で…だれかが道理に基づいたことを言うと「涙を流して感動」するほどだった、という(笑)


・その一方で「式目は『道理』のことをかいただけ」「漢字も読めない田舎武士向けにわかりやすくしただけ」というのは一種の規制勢力の批判からの”はぐらかし”であろう、と筆者は評価している。




・式目は漢文からの引用が多い律令と比べてわかりやすいとも言われるが、漢文の言葉は遡れば典拠があり、そこから定義を統一しやすい。式目は、この言葉は式目が初出、的な当時の流行語・新語も入っている(「悪口」など)。そこに時代性や特徴をみることもできる。



・無制限な罪の連座制に歯止めをかける項目もあった。



・女性の地位に関しては、当時としては相対的に高い。これは長子相続の前の分割相続であったことも大きい。実は日本社会は「父祖の血脈」でなく「家」の存続を重んじる。これはべつもの。




さて、今(2024年7月現在)、戦国時代の「弥助」の騒動から日本の奴隷制度について話題がホットだが……

この話、この記事を書く前にプレトークとしてSNSで引用したりしたので、埋め込んでおこう


鎌倉幕府は、飢饉のときは人身売買もやむなし、という「善政」?を

そう、一気呵成にかいちゃうけど、飢饉といえば江戸時代の享保天明天保大飢饉が有名だけど、中世にも「○○の大飢饉」と呼ばれるものは沢山あり、上記の「嘉禄」の年号の時も大飢饉があった。
その時……朝廷が嘉禄の新制でうたった人身売買禁止、幕府も最初は従順に受け入れてその禁止を推進していたが……飢饉に直面して上記の「餓死するよりは、人買いに過酷な労働力として買われて働かされてもそっちのほうがマシじゃね?」という問いに直面する。そりゃ、働かせるには最低限は食わせるからな。そして鎌倉幕府は、「うーん、緊急事態にはしゃあないか」と、人買いを認めた。ひどいようだが、これそ「実情に即した仁政」と見なす人も多かったのだ。


さらにいうと、地頭代たちが「その金は人身売買(我が子を売ったカネ)だろう、けしからん」と、親を捕まえて、その生活を立て直すためのなけなしの金を”没収”する、という事態も起きていた(苦笑)
犯罪収益の没収、字面ではそれを咎めようがない。しかし、それはあまりにも…ということで、前段階として「我が子を売るのも(状況次第では)犯罪というわけではない」という規定になる……と。現在的な価値観ではなかなか認めがたいが、空中から窒素を固定して農作物を増産できない環境では……アルスラーン王子とナルサス軍師がこの光景をみたら、どう感じ、どう政策を作れるだろう。




あと、上に書いた山本七平御成敗式目研究を、以下のように佐藤氏は評している。明恵との関連は思想史的に面白いが、明恵側が残したとされる資料がやや年代がくだってから作成されたものであるのがやや難だとか。

山本七平御成敗式目論とは


あと、御成敗式目が注目されるきっかけとして、時々語られることがある穂積陳重呉智英もしばしば引用する人)は自身の「法律進化論」に基づいての資料として式目の写本・刊本をコレクションしてたそうな。

そして明治時代、イギリスの外交官ジョン・ケアリー・ホールが、日本アジア協会という学会で日本封建法として英訳、1906年にその訳を発表。直前の日英同盟日露戦争で「日本はアジアの中でも特殊な、我が国(英国も封建制度の遺産が色濃い国だ)と同名を結ぶにふさわしい國」的なニュアンスもあったのだろうか…ホールは鎌倉時代の女性に財産権があり、女性の地位が後世より高いのにおどろく。
そういえばこの新書は末尾に御成敗式目全文があり、地味に役立つかも。



最後にこういうエピソードを。
御成敗式目34条後半では、御家人やその郎党らが一般女性を拉致誘拐する「辻捕」という横行していた犯罪について、100日の幕府への出仕停止と、「頭髪の半分を切り落とす」刑罰を与えたという。
罰が軽すぎる!と思う向きもあるだろうが、メンツを重んじる武士にとっては結構な刑罰であるほか、そもそも御家人法である式目に、一般庶民への犯罪を想定した項目もあることを佐藤氏は評価している。

そして、その刑罰を規定した法には、こう補足がある。

「…ただしこの刑罰は、ハゲ(法師)に対しては臨機応変に処すこと」(可㆑剃‐㆓除片方之鬢髮㆒也。但於㆓法師罪科㆒者︀。當㆓于其時㆒可㆑被㆓斟酌㆒)

(たしかに)