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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

ヤン・ウェンリーの”政治音痴”は、民主主義或いは文民統制の”聖者、殉教者”と見ればいい

togetter.com

そこにある、自分のツイートも再録してひとこと。




織部ゆたか
@iiduna_yutaka
·
7月13日

ようするにヤンって、民主共和制の理念をいつも説くんだけど、その民主制の中でも重要な「政党をはじめとする党派性」、「選挙を含めた権力闘争」を極端に嫌うし、さらに「自分の思想を実行するための根回し」もまったくやる気がないっていう「お前ほんとに民主制好きなの?」ってなる部分が多過いのよ



アレ
@taichi_luvwave
·
7月13日

読者の方にもそこまで解像度の高い政治理解がなくて、「世襲巨悪VS正義」「悪徳政治家VS歴史家(天才戦略家は本意でない)」という構造の方がウケたんだと思います。エル・ファシルの政権のロムスキー医師も、「矢面に立たない」という意味でやや批判的に描写されていますし。



織部ゆたか
@iiduna_yutaka
·
7月13日

ようは「民主共和制の殉教者」なんですよねヤンの英雄像って。結果的にヤンが「英雄化なんて望んでいたとは思えない」といってたハイネセンと同じことやってる。





これ何十年前の文章なのか考えるだけで恐ろしいので考えないが(笑)、某所への投稿で奇跡的に保存してたのがあった。よかった、同じ事かかないで済んだ。

ところでヤンが自ら泥を被って選挙に出るか退役覚悟で停戦を支持する発言を行えば、ジェシカ、レベロ的ラインが勢力を持ち「反」のもう一つの可能性「平和的停戦」の可能性だってあったはず。

ヤンが政治に足を踏み入れないのは趣味としてはよく分かる。俺だってやだ(笑)。
ここに書き込まれた秘書の方のような苦労はしたくないし、安楽な年金生活の方を楽しみたい。

しかし、トリューニヒト派が懸念したようにヤンの人気と影響力は確実に巨大なものだった。
その力を、自分の考える望ましい方向に同盟を動かすことに使おうとしなかった、と言うことは、それほどその希望が切実なものではなかった、と考えるしかない。

本当に真摯に、切実に停戦・共存または帝国打倒を望むのなら政治に否応なく関わらねばならない。それこそが民主主義の原点だ!!!

(これに関連していいたいがヤン閣下は1、2度を除いて投票を全てしたことを誇っているようだ。しかし選挙の投票なんて、それで現実に議員を動かして自分の希望通りに政策が実行されて初めて役に立つんで、投票それ自体で自己満足しても意味なし!
それなら政治献金、マスコミ、コネで政治家をなにかに動かそうというほうがよほどいい。
ヤン閣下だったらその社会的影響力を有効に使えば、たった一票を投票箱に投じるよりよっぽど効果的だったことは確実。)


外伝1(だったか?)で自分の具申した(効果的な)作戦を却下されたとき「・・・まあいい、給料分の働きはした」と若きヤン閣下はひとりごち諦める。
・・・その結果、それこそ多くの名も無き同盟兵士が死亡した。
ヤンは艦隊内部で見事な手練手管を利用し、自らの構想を実際の作戦として採用させることはできなかったのか?能力的に出来ないとしたら実際のところローエングラムの敵でもなければトリューニヒトの敵でもない。それこそ戦術レベルの良将にすぎない男である。

また、できたけどしなかった、というのなら植木均もタイラー(っていたよね?)も真っ青の無責任男である。いや、元厚生省の郡司氏みたいなもんだ。



・・・・と言葉を並べたが、自分でも多少矛盾を感じている。というのはヤンが政治の世界に足を踏み入れなかった、また(自分の構想を実現するためですら)軍や政府の権力闘争に身を投じなかったのはこの作品の中では確かに彼の魅力の一つとなっているからだ。

実は(国家が未曾有の危機にある時はとくに)金銭や異性関係とは別に「権力」への無欲さはかなりの確率で無責任と背中合わせになっている、と言えるのだ。
西郷は未だに日本の精神的偶像ではあるが、大久保は、政府の顕官を辞して鹿児島に帰ろうとする西郷を「卑怯者」と言ってなじったという(司馬「翔ぶが如く」)。彼の言葉もまた、一つの見方といえる。

明治政府以降の西郷隆盛との連想は、今回のまとめにつけたブクマでもおこなった

西郷隆盛の特に後半生は、政治的戦略的には「愚鈍」で、前半の陰謀家の面影は皆無…だがそれはいわば「日本教の聖者」たるセント・サイゴ―の姿で、日本人はその西郷を愛す。ヤンも民主主義の聖者、殉教者なのよ。

この「日本教の聖者」「セント・サイゴ―」という言葉は、日本教というワードを創設した山本七平らの合同筆名イザヤ・ベンダサンの著書にある



ヤン・ウェンリーが政治について語ったこういう言葉もある。

http://taketan22.blog72.fc2.com/blog-entry-26.html
「私にとって政治権力とは下水処理場のようなものだ。なければ困るが自分から近づきたいとは思わない」

政治は下水処理場 ヤン・ウェンリー

実のところ文民統制とはいっても、軍人が政略レベル戦略レベルのことを「…したほうがいい」と考え、そうなるように運動することがセーフの「余地」は実際のところあるのです。
しかし、政治は下水処理場という彼……民主主義/文民統制の「聖者・殉教者」たる彼は、このセーフの余地のある動きを、才能的には可能なのに、敢えてしなかった、ということなのでしょう。

こんな話もあるのです。

許由巣父図 きょゆうそうほず

A-11915_C0092015.jpg
作品画像一覧ページ

許由と巣父は俗世での出世を嫌う中国の伝説上の高士。尭から天下を譲ると言われた許由は耳が汚れたといって川の水で耳を洗い、箕山に隠れ、巣父はその汚れた水を牛に飲ませることはできないとして引き返したという。輞隠は狩野元信の弟、之信と推定される絵師。 ルビ:ぎょう きざん もとのぶ ゆきのぶ(救仁郷氏執筆)(180807_h033)
 俗世間での出世や権力を嫌う中国古代における伝説上の人物、許由(きょゆう)と巣父(そうほ)の故事を描いた作品です。時の帝王、尭(ぎょう)が許由に天下を譲ると伝えると、許由は耳が汚れたといって川の水で耳を洗って箕山(きざん)という山に隠れてしまいます。牛に水を飲ませるためにその川にやってきた巣父は、そんな汚れた水を牛に飲ませるわけにはいかないといって引き返していくというお話です
https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11915?locale=ja


田中芳樹氏は中国古典にも詳しいから、この辺のことが念頭に在ったかもだ。
これも許由・巣父の清廉、無欲、脱俗、叛骨の境地はまことに愛すべき尊敬すべきであり、だからこそ絵画のモチーフにもなっているのでしょう。
しかし、彼らが本当に名王、賢王の素質があったとしたら、そこで彼らが王にならず、一段も二段も落ちる他の王様(堯が…なら舜、ってことになるよ!)によって統治されるとしたら、無数の民草にとっては、災難ではないか。


このへんがヤン・ウェンリーがちょっとだけ夢想し、夢想しただけに終わった「イゼルローン奪取でそこからは絶対防御に徹しあわよくば帝国と和平、数十年の平和を作る」「アムリッツァに至る大遠征は絶対やらせない」とか「人道的には何があるが門閥貴族を応援して帝国の内戦を長引かせる」「亡命皇帝は返還することでラインハルト政権と渡りをつけ侵攻の大義名分を失わせる」などのことが、ヤン・ウェンリーがその知略の限りを尽くし、「政治」に携わっていけば実現し得たかもしれない(その結果何億人もの命が救われたかもしれない)、なのにその努力をした形跡がない、ならば名将ではないのではないか?~という話はなりたつと思う。


だが、それをしないのは、許由と巣父のような潔癖さ、といえるのだろうと。

まあここまで大きくしなくても「能力的にはいくらでも座を取り持って盛り上げ、人脈をつくることができる。だがポリシーに反するので飲み会には出ない」とかの、街中の無名のヤン・ウェンリーもいるのでしょうね。



ただ、田中芳樹氏自身も、これに対しての反論というか論駁とも言える場面を描いてるんだよね。
「マヴァ―ル年代記」の…ぶっちゃけラストシーンなので、いくらネタバレを基本的に気にしない自分でも気が引けるから書けない(笑)

ただ、これは重要なので、いちおう指摘だけはしておく。
あの「マヴァ―ル年代記」の結末は、そのままヤン・ウェンリーへの反論になっている…ということは、やはり王と脱俗の士、その対比というものと重なっているのではないか。
(ひとまずの了)