日本が戦艦ミズーリ上で、降伏文書に調印した9月2日が終わった。
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— 芙蓉録 (@Fuyo1945) September 2, 2023
お疲れさまでした。
締めくくりが、この文章となる。冒頭ツイート、あとはコピペで、一体化させて読みやすくするのをお許しいただきたい
「八月十五日の夜は、灯を消して床に就いてからも眠れなかった。闇に眼をあいていて夢のようなことを繰り返し考えた」#芙蓉録
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) September 2, 2023その闇には、私の身のまわりからも征って護国の神となった数人の人たちの面影が拭い去りようもなく次から次へと浮かんで来た。
出版社の事務机から離れていった友もいる。平穏な日に自分の行きつけた酒場で、よく麦酒を飲みかわし、愉快な話相手だった新聞記者の若い友人もあった。
僕を見ると、目顔で笑って包丁を取り、注文はしないでも私の好きな鯒に手際よく包丁を入れてくれた横浜の『出井』の主人もいた。六大学のリーグ戦の時だけスタンドで顔を合わせ、仲善く喧嘩相手になって、シイズンが去るとともに別れてしまう不思議な交際の人もいた。
和歌に熱心な町のお医者さんもいた。その人たちとの心の交流が如何に貴重なものだったかという事実は、失って見てから切実に知ったことである。皆が静かな普通の町の人であった。
いつの日にかまた会おう。人なつこげな笑顔が、今も眼に見える。この次会う時は真心からつかみたいと願っていた手の体温も、死者の冷ややかさを覚えしめるのである。白い明け方の空に、一つずつ星が消えてゆくように、一人ずつ君たちは離れて行った。身のまわりに幾つかの空洞が出来、耐え難い寂寥の底からも、私どもは歯を喰いしばって勝つ為にと呻くのみであった。
君たちは還らぬ。私の知っている君たちのほかに、無限に地平に続く影の行進がある。その一人ひとりに父親がおり、妹や弟がいる。切ない日が来た。また、これが今日に明日を重ねて次から次と訪れて来ようとしている。生き残る私どもの胸を太く貫いている苦悩は、君たちを無駄に死なせたかという一事に尽きる。これは慰められぬことだ。断じて、ただの感傷ではない。はけ口のない強い怒りだ。
繕いようもなく傷をひらいたまま、私どもは昨日の敵の上陸を待っている。我々自身が死者のように無感動にせねばならぬ。しかも、なお、その時、君らの影を感じずにいられようか?
古い外国の画報で、私は一枚の写真を見たことがある。世界大戦の休戦記念日に、戦死者の木の十字架が無限の畑のように立っている戦跡に立ち、休戦が成立した深夜の時間に、昔の戦友のラッパ手がラッパを吹奏して、死者に撃ち方止めを告げている写真であった。
私は思う。その時の仏蘭西は勝って停戦したのである。それに引代えて私たちは、君たちの御霊を鎮める為に何を支度せねばならぬかと。畏くも御大詔は、その道を明かに示し給うた。傷ついた日本を焼土から立ち上らせ、新生の清々しいものとして復活させる。過去の垢をふるい落して、新しい日本を築き上げる。その暁こそ私どもは君たちの御霊に、鎮魂曲を捧げ得るのではないか?
君たちの潔よい死によって、皇国は残った。これを屈辱を越えて再建した時、君たちははじめて笑って目をつぶってくれるのではないか。
待っていて欲しい。目前のことは影として明日を生きよう。明日の君たちの笑顔とともに生きよう。その限り、君たちは生きて我らと共に在る。「この大道を行く限り、死も我々の間を引裂き得ない。私はそう思い、そう念じる」
— 芙蓉録 (@Fuyo1945) September 2, 2023
―大佛次郎『英霊に詫びる(朝日新聞 昭和20年8月21日)』より―#芙蓉録