思い出したらの恒例投稿(コピペ)
「政治は中道を行かなければなりません」
— Pvt K.G (@ken510_aloha) June 29, 2022
三島由紀夫(「わが友ヒットラー」より、アドルフ・ヒトラーの台詞)
88年前の今日、「長いナイフの夜」事件が発生。親衛隊により、所謂「ナチス右派」が粛正される。これによりドイツでは見せかけの政治的中道が達成された。#一日一名言 pic.twitter.com/QD14vWERgr
2023年に追加されるべきツイート。
「長いナイフの夜事件」:ナチ党の私設軍隊であった突撃隊SAの指導者エルンスト・レーム、国防軍との反目が深まり、加えてその粗暴な振る舞いをヒトラーも制御できなくなり粛正された。プリゴジンに通じるものがある。 pic.twitter.com/ZDnIVtlFz4
— 猿渡青児 (@SawatariSeiji) June 27, 2023
というわけで、半年経過の節目。1年の半分が終わった日、です。粛清は数日間にわたってつづく。
こなたま(CV:渡辺久美子)
@MyoyoShinnyo
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/613855863342673921
長いナイフの夜の6月末が近づくとああ今年も丸々半分が過ぎていくのだなとイヤな思い知り方をする
長いナイフの夜事件(ながいナイフのよるじけん、ドイツ語: Nacht der langen Messer De-Nacht der langen Messer.ogg 発音[ヘルプ/ファイル])とは、1934年6月30日から7月2日にかけて、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が行った突撃隊(SA)などに対する粛清事件である。
粛清は正式な法的措置を執らずに行われ、エルンスト・レームらSA幹部、かつてナチス左派の領袖だったグレゴール・シュトラッサー、元首相で名誉階級陸軍大将のクルト・フォン・シュライヒャーなど党内外の人々多数が裁判を経ずに殺害された。当局の公式発表によると77人が死亡したことになっているが、116名の死亡者の氏名が明らかになっている。亡命ドイツ人の発表では千人以上という数値も主張されている。事件名は、5世紀ウェールズでのザクセン人傭兵による、ブリテン人への宴席での騙し討ち(隠し持った長ナイフによる殺害)にちなむ。
(略)
三島由紀夫の創作だが、まったく手の付けようのない過激派ながら主観的には「反権威、反特権階級、反大資本」の”理想”を持ち続けたエルンスト・レーム(LGBTでもあった)を粛清したアドルフ・ヒトラーは、かく宣言する。
「政治は中道を行かなければなりません」
wikipedia:エルンスト・レーム(人物)
人物[編集]1933年2月、レームと副官のハンス・フォン・シュプレーティ=ヴァイルバッハ伯爵、諜報部のカール・レオン・デゥ・ムーラン・=エッカート(レームの後ろ)[91]。
ヒトラーを「Du」(「お前」「きみ」などと訳される。親しい間柄で使う二人称)で呼ぶことが許されていたごくわずかな人物の一人だった[65]。
ナチ党は公式には1928年以来同性愛者を党の敵と見なすとしていたが[92]、レームは公然たる同性愛者であり、刑法175条(同性愛を罰する条項)の撤廃を主張している人物だった[93]。近代家族主義擁護の立場から同性愛に反対する党幹部アルフレート・ローゼンベルクのことを「間抜けなモラルを説く奴」と呼んで批判していた[93]。レームは「私のところにいる男たちは法律に反した特別な事(=同性愛)に慣れねばならない」とも述べており、突撃隊で横行していた同性愛は彼らの革命的性質と無関係ではなかったようである[93]。
レームが突撃隊幕僚長に就任した1931年以降には社民党など敵対政党の機関紙は「ナチ党は刑法175条の維持を主張する癖に身内には公然と同性愛を許している」としてレームの同性愛疑惑の追及を行った[93]。そ
れでもヒトラーはレームの重要性から彼と彼の部下たちによる同性愛行為を大目に見ていたが、長いナイフの夜で彼を粛清することになるや一転して彼の同性愛を激しく非難するようになった[94]。レーム粛清後、突撃隊に取って代わった親衛隊(SS)によって同性愛者の取り締まりは強化されるようになった[95]。
2023年追記 誰がいつ「長いナイフの夜」と命名したのか?
ところで一体だれが、このヒトラーによるSA粛清事件を「長いナイフの夜」と命名したのかね?しかもこんな詩的に凝った名前が定着するし(同様に「水晶の夜」もあり、陰惨なこの事件をそんな詩的に呼ぶな!という抗議も実際にある)
dhd********さん
2020/1/17 21:09
長いナイフの夜事件はなぜ、長いナイフという名前が命名されたのでしょうか。
ベストアンサー
goo********さん2020/1/17 21:27
5世紀にウェールズでブリテン人を宴会の席で騙し打ちにしたという事件が起きており、長剣を隠し持って凶行に及んだので「長いナイフの夜」と呼んでいたそうです。
ナチスのそれはその事件を踏まえての命名。ヒトラーは事件を起こす前にレームに静養を勧めて、レームもその気になって静養しているところを襲撃したのでその名がついたと思われる。