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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

モハメッド・アリはトラッシュトークをいかに格闘技に持ち込み、それはどんな功罪をもたらしたか【資料集】

そもそも、本日開催の「RIZIN」で、関係する記事が250超ブックマークを付けたのなんて、おそらく初めてではないか?

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「あの僕、本当に思うんですけど、対戦相手の選手が何でおれに怒っているのかが全く分からない。俺がまず何をしたと。俺は試合が決まっただけ。相手とは何の因縁もないわけですよ。なんで俺怒られてるの? って思って。

(略)
例えばプロ野球で巨人軍の選手が明日対戦する広島のピッチャーに対して『お前の球なんか止まって見えんだよ! お前なんか早く引退してしまえ』と例えば言ったらブチギレられるし、たぶん出場停止になる。

 ただなぜか格闘技ではこれが許されている。これがね、俺ね良くないと思う! 大谷翔平選手、イチロー選手、松井秀喜選手、中田英寿選手がこんなことをするかって言ったら絶対しないでしょ! これはね格闘技の闇だと思っている!
(略)
 そもそも格闘技のこれわけ分からない! サッカー選手、野球選手は絶対しないでしょ。『野球、サッカー、格闘技』にするためにはここが重要。礼儀、礼節をちゃんとすればもっと大きなビジネスになる。俺が運営側に回ったら絶対そうする」

ブクマ
[B! スポーツ] 城戸康裕、格闘技特有の過激な煽り文化に苦言「大谷翔平選手は絶対しない」「何とかしないと」

当方のコメントは…

gryphon  格闘技界隈ではあのモハメド・アリが一種の開祖で、それを否定することになるという特殊事情が。(なおアリはプロレスを参考にした)

これについては過去記事の蓄積があるので、それを一覧的に紹介していきたい。


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「アリはプロレスに誘惑される」
ここは事実関係に際しても議論が分かれるかもしれない。柳澤氏の取材とその結論はこうだ。


アリはその大口パフォーマンスを、フレッド・ブラッシーに影響されて始めるなど、プロレスに関して理解とリスペクトがあった。実力的に衰えていたアリは猪木のオファーを受け、WWWF(当時)やAWAで少し試合や”乱入”をするなど、プロレス界のしきたりにも従う姿勢を見せて日本に乗り込んだ。しかし、猪木はなんと、本番直前に『これはリアルファイトだ』と宣言。準備していないところに襲い掛かり、勝利で名声を奪おうとした。そして、アリは躊躇しながらも最後はボクシング王者の誇りにかけてこれに応じ、リアルファイトの猪木vsアリ戦が実現することになった」というものだ。

あのね、本来ならこの話題を受けてもう少し詳しく書きたいのね。
しかし、所蔵しているはずのこの本がね、今どこにあるんですか諸君(聞いたってわかるか)。


モハメッド・アリが、そのパフォーマンスを見てシビレて、これを真似すれば客が呼べるぜ!と感動したのはフレッド・ブラッシーやゴージャス・ジョージといった往年のレスラーだったと言われる。実際に自分のボクシング試合との「興行戦争」があり、それでプロレス側が圧勝したのを見て、そう思ったという説も…

電子書籍のいいところは、この「どこにあるかわからなくなった」が無くなることにもあるよね、とか今思ってる…

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世界最高峰の舞台、UFCを産み落とした「禁断の果実」
歴史的一戦の裏側に迫る米国発のノンフィクション!!

なぜ、アリはレスラーと戦ったのか?
なぜ、米国マット界は団結したのか?
なぜ、シュートマッチになったのか?
なぜ、猪木は勝てなかったのか?
なぜ、MMAはその後繁栄したのか?

柳澤健氏推薦!!
「1976年のモハメド・アリ」とも言うべき作品だと思う。

(略)
例えば、モハメドアリをザ・グレイテストたらしめた、大口と相手の挑発とホラ話は、「プロレス仕草」であり、フレッドブラッシーやその前のゴージャス・ジョージから学んだものだというのは柳沢本にもある話だが、 その経緯がページを割いてさらに詳しく描かれている 。1961年初夏、同じ会場で二日連続でプロレスとボクシングの試合があり 、まだカシアス・クレイだったアリはゴージャス・ジョージの試合を見て心を奪われ「しゃべるのに遠慮は無用」ということを学んだのだそうだ。既に詩人であった彼が、その秘められた才能を遠慮せずに出すことを決めた時、この男はザ・グレイテストになった。

筆者はアリをこのように表現する。
「彼は常に磁石のような存在だった。両極のどっち側にいるかだけが問題なのだ」

では、実際に「ザ・グレイテスト」の煽りの一部を見てもらおうか。
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なんだこれ、「スポーツ界トラッシュトークランキング」って
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柳澤氏は以前から、フレッド・ブラッシーが観客や相手選手をあおって会場に客を詰め掛けさせるトラッシュ・トークに大きな敬意を払っており「世界を煽った」モハメド・アリの源流とも見立てている。
(略)
決して痛くない技を仕掛ける、相手に優しいプロレスをして対戦相手から内心尊敬を受けているブラッシーだが、その一方で表面上…マイクアピールやプロモーションでは相手のみならず
「女性ファンよ、私という贈り物を神からもらったことを感謝しろ!」
「ここの女たちはジャガイモの袋をかぶった様な格好だ」
などとさんざんののしった。
自分も、「力道山死去XXX年」を特集する昭和後期の特番で、ブラッシーが「俺は力道山に負けただと!あれは合成のインチキフィルムだ!!」と吼えるのをみて、コドモゴコロにマジで怒り、「じゃあ、警察に鑑定してもらおうよ!!」とか口走り、一緒にみていた父親や祖母に失笑されたのを覚えているよ(笑)。

そういうマイクアピールの結果・・・

(P149)…プラッシーは覚悟を決めなくてはならない。
試合が終わればすぐにリングを降り、憎悪に燃えさかる観客のあいだを通って控え室までたどりつかなくてはならない。
「控え室から出て再び戻ってくるまでは人生をかけた戦いだったと言えるだろう」

観客は「振り回せるものなら棒であろうとなんであろうと手にしていた」というから路上の現実すぎる!!
彼が棒以外に経験したのは
・硫酸
・ふくらはぎにナイフを刺される
・夜道を車で尾行される
・気が付けば車のバックミラーに穴が開いて、後部座席に銃弾が転がっていた


「インチキなプロレスは、時に本物の殺意を呼び起こす」と柳澤氏は語る。

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http://www.webdice.jp/dice/detail/3580/

・・・このドキュメンタリーは、60年代から70年代にかけての公民権運動の隆盛など、彼が全盛を極めた時代のバックグラウンドを紹介しながら、彼と闘った10人のボクサーの証言を構成することにより、アリという存在の大きさを浮かび上がらせる。
 
映画『フェイシング・アリ
渋谷アップリンク、銀座テアトルシネマほか全国順次公開
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/facingali/

(略)
モハメド・アリはトラッシュトークをボクシングに持ち込み、相手を散々攻撃するのを売りにしたボクサーだ。それに直面したボクサーもそれぞれで、
そのトークに悪乗りして
「女みたいな戦い方をするやつだ」といわれたことを逆手にとって女装して会見場に現れ、「ねえ、女みたいなあたしなら怖くないでしょ?この試合契約書にサインしてよ」とやった人とか、
自作の歌(これが結構うまい)をステージで歌い「♪ねえ アリさんよ 俺が怖いのかい?さっさと俺と戦いなよ・・・」と挑発する人もいる。

一方でずっとそれに対して怒り続けていたジョー・フレイジャーもいる。フレイジャーは最近亡くなったが、ここで別の人の証言として
「自分はアリより肌が黒く、アリより貧しい環境で育った・・・なのに、黒人はみなアリのほうを応援している」
という思いがあった、と紹介されている。
その時代の熱気はすごいもので、アリがカシアス・クレイから改名することになったネイション・オブ・イスラムとその分裂・・・マルコムXとアリの並んだ映像なども多数出てくるし、ベトナム反戦と徴兵拒否による服役などの映像もある。
これならキンシャサ、マニラなどもアリが”ホーム”になったのはやむをえないだろう。

フレイジャーの怒りはここを参照。
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-545.html
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090709#p1
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20090730/p4
http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20111109/p2
http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20090719/1247976824


そう、トラッシュトークの功罪は、すでに”開祖”のアリですら、深刻なものがあった。煽られた側…それも人種差別に絡んだ極めて深刻な侮辱…それをやったのも黒人のアイコン・アリであるという皮肉…

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モハメド・アリに言葉で挑発された相手は、数十年たってもそのことを恨んでいるという話(ジョー・フレイジャー
http://omasuki.blog122.fc2.com/blog-entry-545.html

・・・NHKハイビジョンで放送された「モハメド・アリ vs ジョー・フレイジャー」のマニラでの試合のドキュメンタリーを・・・・・・例によってアリは戦前、プロレス流の軽快な煽り発言を連発するのだが、それはフレイジャーにとっては度が過ぎるもので、シュートな憎しみをかき立てられ、60歳を過ぎた今でも許せないのだという話だった。
その許せないアリの発言は、次のようなものであった。
"It will be a killa...and a chilla...and a thrilla...when I get the gorilla in Manila!"
(オレ様がマニラでゴリラを捕らえたなら、殺し(キラー)でゾクゾク(チラー)スリラーだ)
(略)韻を踏んだ詩のような名文句だ。そしてアリはフレイジャーをゴリラと呼び、ゴリラの人形をめった打ちにしてみせたらしい。この辺はボブ・サップと変わらない。
どう見てもそんなに怒ることでもないだろうとしか思えなかったが、
(略)
アリはイスラム・ネーションのメンバーで、黒人至上主義だった(とはいえ、ビジネス面ではこだわることなく白人も登用する柔軟さも持っていた)。黒人至上主義の黒人は、そうでない黒人を、白人の寄生虫であるかのように見なしていたという時代背景があった。
(略)
・・・アリは最近のインタビューで、度が過ぎたことをフレイジャーに謝りたい、時代の熱に浮かされてしまった、ただチケットをたくさん売りたかっただけなんだと語ったそうだ。
60をすぎたフレイジャーは、いまでもジムを経営し、ジムの奥の部屋で生活し、アリへの憎しみを抱き続けている。

こんな記事もある
■新証言・伝説のタイトルマッチ
http://d.hatena.ne.jp/maroon_lance/20090719/1247976824

その中でも特に、次のような罵倒はフレージャーには応えた。

モハメド・アリ「フレージャーは白人のあなたより始末が悪い。だから奴をアンクル・トムと呼ぶ。今のあいつは白人の手先だ」

根拠の無い罵倒に、フレージャーは言い返しようがなかった。フレージャーこそ南部の貧しい黒人であり、7歳から畑に出て働いた労働者階級の代表だった。自転車を買って貰えたアリとは全然違った。しかしアリは、フレージャーを応援する黒人がいたら、そいつは裏切り者だといって憚らなかった。アリの煽動に乗せられて、黒人雑誌までがフレージャーを攻撃し始めた。彼の息子は学校で、「お前の親父はアンクル・トムだ」といじめられるようになった。

二人の第一戦は、空前の盛り上がりを見せた。

マービス・フレージャー「アリがアトランタオリンピックで聖火台に点火したとき、よせばいいのにレポーターが親父にどう思うって質問したんだ。そしたら親父は『火の中へ落っこっちまえ』って答えたんだ。冗談だと思ったけど本気だったみたいだ」

※かえすがえすも惜しいのは、この元ネタサイト「OMASUKIFIGHT」が、今は読めないことである。それも、元のブログサービスが終了するのに伴い「移動するのが面倒なので」で、消えたままにしている…元テキストは執筆者は持っているはず、復活を求む!


過去にはこんなリンクも作ったが、殆どのテキストは消えている(…残してるウチの方が、なんかオカシイんだよ!)
m-dojo.hatenadiary.com

いまのUFCでは…

この「人型エイリアン」氏は、UFCで日本には通常ルートでは紹介されない小さなインタビュー映像に字幕を付けてくださっている。
twitter.com



……是非を超えて、一文化になっちゃってる感もある(なぜか人種ネタとかまでキャンセルされねーし)。
さらには、明石家さんまばりに、そのネタがすべったとか受けたとかをメタ的に煽るようにまでなっている、という。