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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

アリ側から見た”世紀の凡戦”の真実―『アリ対猪木』(ジョシュ・グロス著)

世界最高峰の舞台、UFCを産み落とした「禁断の果実」
歴史的一戦の裏側に迫る米国発のノンフィクション!!

なぜ、アリはレスラーと戦ったのか?
なぜ、米国マット界は団結したのか?
なぜ、シュートマッチになったのか?
なぜ、猪木は勝てなかったのか?
なぜ、MMAはその後繁栄したのか?

柳澤健氏推薦!!
「1976年のモハメド・アリ」とも言うべき作品だと思う。


この本が出ていたのは知っていたけれど「猪木対アリの話って、もう柳澤健が書いてるじゃん。あれで決定版みたいなもんじゃん。同じテーマで何冊読むほどでもないしなー」ということで触手(ではなく食指だとブクマで指摘いただいたが、面白いのでこのまま。なおこの文章、基本的に音声入力で書いた)が動かなかったんだよねはじめは。
だから実際に読んでみると、当たり前だけどアメリカ人が英語で取材し治療にあたって書いたものだから、基本的には「アリを中心としたアメリカの反応」及び「アメリカにおけるアリvs猪木前後のミックスドマッチの歴史」が深く描かれている。
梶原一騎によって「通俗的日本プロレス通史」を学んでいる世代にとっては、その通俗通史を破壊される楽しみと、通俗通史が、幹となる真実をどのように肉付けして行ったのか、そこを探るのが楽しいということがある。これは三国志好きや戦国時代好きがかなり辿った道に近い。
そういう点ではたいそうに面白いもので、 ちょっと読むのを遅れてしまったのを後悔しました。

だから「1976年のアントニオ猪木」を一種のペースにして、そのディティールを補給する読み方が面白いかと思う。


例えば、モハメドアリをザ・グレイテストたらしめた、大口と相手の挑発とホラ話は、「プロレス仕草」であり、フレッドブラッシーやその前のゴージャス・ジョージから学んだものだというのは柳沢本にもある話だが、 その経緯がページを割いてさらに詳しく描かれている 。1961年初夏、同じ会場で二日連続でプロレスとボクシングの試合があり 、まだカシアス・クレイだったアリはゴージャス・ジョージの試合を見て心を奪われ「しゃべるのに遠慮は無用」ということを学んだのだそうだ。既に詩人であった彼が、その秘められた才能を遠慮せずに出すことを決めた時、この男はザ・グレイテストになった。

筆者はアリをこのように表現する。
「彼は常に磁石のような存在だった。両極のどっち側にいるかだけが問題なのだ」
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なんだこれ、「スポーツ界トラッシュトークランキング」って
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そしてまだアリの時代にはボクシング業界も、アメリカであっても「昭和」で(笑)、魑魅魍魎のプロモーターや業界人の蠢く百鬼夜行の世界だった。
ある女性プロモーター。…「ドラゴンクイーン」と呼ばれた女性はこのように語られる(この人が、スタントマン兼ガチプロレスラー、プレ総合格闘家ともいえるジーン・ラベールの母親だという)

「彼女が当時のボクシングを支配できたのは、ロサンゼルスのマフィアと繋がっていたからだ。ボクシングを力で牛耳っていた。負けるはずのない試合に負けた選手がいた。勝てるはずのない試合に勝った選手もいた。彼女は善人ではなかった。悪人でもなかった。ボクシング人だったんだ」


書きたいことが多いので以下、箇条書きします。自分のメモも兼ねる。

いくつかは時間あれば、独立した話にしたいと思います。

・この本の序文は推薦という形でバス・ルッテンが書いている。なぜバス・ルッテンかといえば、彼は引退後格闘技を語ったり喋ったりする解説者としては非常にステータスが高い人気者であるからだろうけど、2000年にプロレスラーとして新日本プロレスと接点があり、例のロス道場サンタモニカの猪木ジムを訪れた経験もあるからだ。ちょっとしたトリビアとして、 猪木はビールびんの「早飲み」が超得意で、酒豪という点では猪木以上のレスラーにも 、早飲みでは負けず、周囲からは「あの顎にはビールを貯める機能があるんじゃないか」と言われるぐらいだったそうだ。それにバス・ルッテンは挑戦し…


流智美氏とか那嵯涼介氏の本で断片的に読んでいたマーティン・バーンズ、エド・ストロングラー・ルイス、ジーン・ラーベルといったプロレスラー達の、ボクサーとの接近遭遇が前史として語られている。”フィスト・オア・ツイスト(拳か、捻り=関節技か?)”という煽り文句が以前からあったように、 ボクシングとレスリングという二つのメジャー格闘技、実際に戦ったらどっちが…という思いは、それは永遠のボンクラたるオトコたち(もちろんオンナもだ!) が興味を持たないはずはないのである。ここら辺にも紹介した過ぎるエピソードがたくさんあるのだが略す。
※後で詳しく書きました。
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・アリvs猪木は、 当然ながら世界中でビジネスになる一大イベントであった。では1976年当時、どのようにして極東の小国で行われたファイトの内容や映像を、「いち早く、より遠く」まで伝えられるだろうか?そのテクノロジーやビジネススキームの黎明期の話としても非常に面白いのです。クローズドサーキットで大儲けしようとする人たち…ヘンリー(ハンク)・R・シュワーツという人と、ビデオテクニクス社という組織が、その黎明期を支え膨大な富を産んだらしい。


ニューヨークタイムズ東京支局長は、リングサイド15列目に陣取りつつ、「NYの『口述録音機』が、きちんと自分の声を拾ってくれるのか」を心配していたという。 彼はこの勝負を真剣勝負と認定したが、取材としては「猪木またアリの脚の裏を蹴る」と報告するだけでうんざりしたと言う(笑)。それでも試合直後のアリや猪木にインタビューすることもできた。アリに対してはとても魅力的な人物と思う一方で、周囲に「詐欺師まがいやおべっか使い」が山ほどいるなと感じたそうだ。


・当時のWWF(現WWE)が、猪木アリの中継映像と、会場でのアンドレ・ザ・ジャイアント対チャック・ウェップナー(これもレスリング対ボクシング)、そして汚い手段でサンマルチノの首を負傷させたテキサスの大悪党スタン・ハンセンに、我らの人間発電所が復讐制裁を行うリターンマッチなどのライブを組み合わせたイベントをやったことも有名だ。ビンス・マクマホン・ジュニアがこの猪木vsアリに関わったという伝説を自分は時々聞いていて…、試合前にアリがレスリングをあまりに舐めてるのでマクマホン・ジュニアがアリを次々に極め、「ただの業界周辺にいるだけの素人の俺でもこれぐらいサブミッションができる!猪木はその何十倍のスキルがあるんだぞ」と脅したがゆえに、猪木の技は次々制限されたとかね…(笑)それはあまりにもあまりな話で、真実とはとても思えないけど、(※この本に載ってるわけではない。ただホテルで椅子やベッドを脇に寄せて空間をつくり、そこであっさりテイクダウンに成功して「真剣勝負なんてやめろ」と説得し…という話をビンス自身の言葉としてP174 で記しているが、別の関係者は否定的)。


・父親シニアが「その試合はワークにしたらどうか」とアリ陣営に提案したという話や。ジュニアがアリvs猪木に合わせて訪日し、いろいろ根回ししていたことなどがここでは書かれている。ただ負けブックだったり、猪木の卑怯な手にアリは激怒!からアリvsアンドレにつなげたい、みたいな話なのでアリは拒否し、そして真剣勝負に至ったと…


・そこから80年代に入り、ジュニア陣頭指揮のもとエンタメ路線に振り切ったWWEだが、「最強の男はここにいる」「ボクシングだと?レスラーの方が強いに決まっている」という矜持の遺伝子、はどこかに確かに残っていて、 WWE の中でガチコンテストをやり、そこの最終勝者だったバート・ガンをバタービーンにぶつけるという試合を実際に組んでいる。だが、その結果が……(もっとも、映像で見るとボクシングマッチらしい?そっちの土俵じゃしゃあないか)。それでも、「そういう意識」がまったくないWWEより、そこにちょっと色気を見せて失敗するWWEのほうが愛らしくないかい?
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・アリのコーチと言うかアドバイザーと言うか 武術指導をしていた存在に、韓国人武道家ジューン・リー(李俊九)という人間がいた。 彼はアリの「取り巻きやおべっか使い」ではなくきちんと指導者、コーチとして尊敬されていたそうだ。アリは 彼から習ったパンチを「アキュパンチ」と称した。 実はこのリーを通じて、朴正煕時代の韓国政府は猪木戦直後のアリを招聘。戦った後、本来は足のケアが必要だったアリが無理を押して韓国を回ったために怪我が悪化したらしい 。しかし70年代、まだ韓国が政治的にも経済的にも成長はし始めたが先進国には遠かった時代、アメリカでそれだけの地位を築いたジューン・リーという人はさぞかし伝説的な人物なのではないか。調べればいろんな資料があるかもしれないが、まだこの本の出版時(2016)にはご健在なかたなのでゴング格闘技辺りでインタビューして欲しいところ。
追記 2018年に逝去されておられたとか。残念!

アリ側から見た”世紀の凡戦”の真実―『アリ対猪木』(ジョシュ・グロス著) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

ジューン・リーは2018年に亡くなりました→<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Jhoon_Goo_Rhee" target="_blank" rel="noopener nofollow">https://en.wikipedia.org/wiki/Jhoon_Goo_Rhee</a>

2020/01/30 12:46
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・アリが猪木戦後に負った深刻な足のダメージは、それだけで真剣勝負の有力な証拠ではある。ところでこの当時、そもそもローキックというもの自体がほとんど概念としてなかったようだ。手が2本、足が2本の人間が相手を倒そうといろいろ試みたら、 全ての技は数千年前に出尽くすんじゃないか …とはよく言われるところだけど、それでもやっぱり人間は「概念」に縛られる。格闘技はいかにローキックを発見したか、という歴史をこの本では 各種の武道やブルースリー などを引用して語っていく。そしてモーリス・スミスと、彼が MMA に目覚めて UFC 王者になるところに繋げるのがこの本の良いところだ(笑)
※あとで詳しく語りました。
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・そう、この本は「UFCの成功は、アリ・猪木戦の上にある」とまで明言し、1976年の、あの「世紀の凡戦」を1993年のデンバーの「何でもあり」につなげているのだ。多分、アメリカ本国ではもっと詳しいディープな「 UFC 創世記」の記録はたくさんあるんだけれども、ダイジェスト的にまとめたその一連の創世記がこの本では読めるのも魅力の一つです。



・後で単独のネタにしたいと思うので単語メモだけしておく。
ジョシュバーネットとカールゴッチ
バタービーンとバートガン
鈴木健想
ティラ・トゥリ
石坂徳州
あ、最後の人、3年前に紹介してた
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・エピローグでは、アリが猪木戦後、 明らかに全盛期を過ぎているのに不必要とも言える試合ー5年で7試合だ―――を重ねたことを、同情をこめて描いている。
一番親身にアリのことを心配したと言われるトレーナーが言う。
「もっといい作品にできると言って、絵筆を手にモナリザに歩み寄るようなものだ」

猪木は猪木でアリのスタイルに大きな影響を受けながら、政治家となり、1990年の湾岸危機に際してイラクを訪れ、人質解放の交渉に当たった 。実はこのとき、アリはアリで独自のイラクと交渉し、アメリカの人質を救出。その数年後には北朝鮮で会うのだな。
そして、猪木の引退式、アリは東京ドームに…

(とりあえずの了)