アントニオ猪木
最強の美学
The Pride of Strong Style[取材者の回想]
アントニオ猪木という物語★Number傑作記事で振り返る アントニオ猪木1987-2022★
1987[アントニオ猪木に捧ぐ――]
闘魂レクイエム1989[完全保存版 アントニオ猪木・異種格闘技全記録]
“燃える闘魂”は死なず1992[インタビュー]
燃える闘魂のゆらめき1993[モノローグ]
闘魂無限1994[ロングインタビュー]
プロレス界批判序説1996[独占インタビュー]
誰か俺の死に場所を決めてくれ1997[格闘者かく語りき]
躰に電気が走るような感覚2000[インタビュー]
異種格闘技戦の真実2000[緊急対談]
プロレスの行方 アントニオ猪木×佐山聡2001[ロングインタビュー]
非日常を生む求心力2001[パキスタン探訪]
あるペールワン一家の栄光と没落。
そして日本からきたスーパースター。2007[特別インタビュー]
アントニオ猪木が語る『1976年のアントニオ猪木』2008[ナンバーノンフィクション]
神の足跡 カール・ゴッチの生涯2022[巻頭メッセージ]
アントニオ猪木「闘魂の50年」2022[遺された言葉]
馬鹿の一人旅[特別ギャラリー]
ナンバーの表紙を飾った猪木
022年10月1日、地平線の下へ静かに消えて行ったプロレス界の太陽。
だが、賛否巻き起し続けたその闘う人生は、今なお、夜空に瞬く「闘魂の星座」として人々の記憶に深く刻まれている。
本号では、この不世出のレスラーについて、縁の人々が語る珠玉のインタビューを多数掲載(再録を含む)。また、猪木自身が語った師・力道山、1・4ドーム興行、ローラン・ボック戦にまつわる3本の生前インタビューもアンコール掲載している。
アントニオ猪木が築き上げた昭和プロレスを追いかけ続けた本誌の「燃える闘魂追悼号」がここに――。
【闘魂追悼インタビュー名言抜粋】
武藤敬司
「これはなんとなく俺が感じることなんだけど、レスラー武藤敬司っていうのは、若い頃から猪木さんに認められてたよ。スペースローンウルフのあたりから、地方の試合ではいつもタッグマッチで俺が猪木さんの隣にいて、相手はだいたい外国人」藤原喜明
「初めて会った猪木さんは、カッコよかったなあ。当時29歳で、たしか茶色のブーツを履いて、コールテンの茶色のズボンに茶色っぽいシャツでな」
「『猪木寛至』に戻りたい瞬間もあったんだろうね。だから、気を使わないでいい俺をよく誘ってくれたんじゃないかな」藤波辰爾
「猪木さん自身、俺に対しては常に隙がなかったね。それに対して、『なんで俺にだけ、こんな意地悪をしてくるんだろう?』と当時は思ったこともあったけど、逆に考えれば幸せですよ。俺に対してだけ、いつも以上に厳しい、隙のないアントニオ猪木で来てくれたわけだからね」前田日明
「(83年5・27高松での唯一のシングルマッチで)思い切ったことがいろいろできて、猪木さんからの返りも強いんだろうなと思ってたら、パッと組んだ瞬間にもうなんというかね、自分のような『激しいプロレス=痛くてもいい試合』と思っている人間にとってはめちゃくちゃ物足りないんですよ」タイガー戸口
「猪木さんのほうにケチつけるわけじゃないけど、あの人は自分が強く見えることしかしないから。だから俺はあまり猪木さんのプロレスが好きじゃなかった」新間寿
「(アリ側から訴えられた裁判の取り下げが決まり)『本当か! 新間!』と猪木さんが私に抱き着き、倍賞(美津子)さんもその輪に加わって、3人で抱き合って、涙、涙ですよ」 「(S小林戦後)後ろの席の窓がスーッと開いて、『新間、ありがとう!』と、猪木さんの手が伸びてきた。その手をギュッと握ったらもう、感無量で、実現までの苦労なんてすっ飛んだよ」上井文彦
「猪木さんが福岡ドームでムタとやったでしょ。あのとき、試合後に『上井、絶対に猪木さんの控室に行くなよ』って言われた。メインで敬司にいいように試合をつくられて『猪木さんが控室で荒れているから絶対に入るな』ってことでね」玉袋筋太郎
「(TPGは)猪木さんの感覚が、1歩じゃなくて、5歩、10歩ぐらい早かったんだろうな。企画が動き出した頃はさ、俺もたけし信者であり、猪木信者という二重の信者だったから、『すげえことが起こるぞ!』って期待もあったんだけどね」
雑誌ではありません。
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新聞タブロイド判32ページ
10月1日に死去したアントニオ猪木さんの追悼特集号を緊急発行します。藤波辰爾、前田日明が師・猪木さんへの思いを語った特別インタビューや、今年7月の猪木さん最後の独占インタビュー、連載「我が道」の復刻版などで、激動の人生を振り返ります。新聞2ページ分の特大ポスターも折り込みました。猪木さんを半世紀にわたって撮影してきた本紙OBでフリーカメラマン、原悦生氏の秘蔵写真もふんだんに使った永久保存版の内容です。
闘魂闘撮
~アントニオ猪木追悼グラビア激闘軌跡
闘魂ヒストリー(1)
1943⇒1971闘魂核心(1)ジャイアント馬場
俺たちの闘魂(1)ターザン山本!
闘魂ヒストリー(2)
1972⇒1985俺たちの闘魂(2)佐藤正行
闘魂核心(2)モハメド・アリ
俺たちの闘魂(3)高木圭介
闘魂ヒストリー(3)
1986⇒1998闘魂核心(3)政治活動
俺たちの闘魂(4)湯沢直哉
闘魂ヒストリー(4)
1998⇒2022闘魂核心(4)闘病
俺たちの闘魂(5)松川浩喜
名言集
年表
目次&編集後記
[再録インタビュー集]
猪木の声が聞きたい――。1 「寛至少年」と「力道山」と「死生観」
2 ‟闘魂”が語る‟神様”との師弟関係
3 ‟若獅子”から見たBI砲時代の終焉
4 新日本プロレスを隆盛に導いた直感力とは?
5 新団体IGFを旗揚げした猪木の心の中[検証]
世界一格闘技決定戦今世紀最大のスーパーファイト
アントニオ猪木vsモハメド・アリ証言集1
プロレスvsプロボクシング
そんな試合は成立するのか⁉世紀の一戦を見守った2人の女性
倍賞美津子夫人と母・猪木文子証言集2
1976年6月26日 午前11時50分
全世界に向けて、ゴングが鳴った講道館とブラジルを繋ぐ格闘ロマン
「アリキック」が生まれた経緯とは?証言集3
数発のパンチvs数十発のキック――
そこに隠されたものを見抜けたのは?パキスタンで繰り広げられた惨劇
アントニオ猪木vsアクラム・ペールワン
技術解説=髙阪 剛灼熱の中で行われた幻の格闘技戦
アントニオ猪木vsジュベール・ペールワン
技術解説=髙阪 剛[特別企画]
原悦生の格闘写真美術館 追悼出張版