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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「1976年のアントニオ猪木」改めて紹介と書評

プロローグ

1976年のアントニオ猪木

1976年のアントニオ猪木

まず、これまでも折に触れて見つけた同書書評は紹介してきたし、書名をキーワード化したので、はてなを網羅することはできた(1976が全角の場合はその限りではない)のだが、あらためて募集。コメント欄にURLを書いてくだされば紹介させていただきます。


この下部分に書名キーワードの一覧あり。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/1976%c7%af%a4%ce%a5%a2%a5%f3%a5%c8%a5%cb%a5%aa%c3%f6%cc%da

amazon書評
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163689605/hatena-22/ref=nosim

あと今回、著者の柳澤健氏は「GONKAKU」「FIGHT&LIFE」の両誌に登場しているのだが、GONKAKUはこの前、飲み会の肴として持っていった後、実家においてしまった。吉田豪との対談で、取材過程の裏話がたくさん載っていて非常にいい資料なのだが、それは後日紹介しよう。

GONKAKU (ゴンカク) 2007年 06月号 [雑誌]

GONKAKU (ゴンカク) 2007年 06月号 [雑誌]

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猪木という、豊穣なる悪

さて、内容はこのブログを読む方ならとうの昔に把握していると思うのだが、私は他の書評との差別化も視野にいれ、本文を出来る限り引用していこう。
彼は2002年のDynamite!で、天からスカイダイビングで降り立ったアントニオ猪木が9万人に「1,2,3、ダーッ!!」を合唱させたシーンから説き起こす。

驚くべきことに、プロレスラーのアントニオ猪木総合格闘技のアイコン(偶像)でもあるのだ。
この国において、アントニオ猪木総合格闘技のシンボルとみなされるのはなぜだろうか。
猪木がリアルファイトを戦ったからである。
1976年、猪木は極めて異常な4試合を戦った。

この4試合の相手というのは
イリアム・ルスカ(この試合は「異常な試合」だがリアルではない)
モハメド・アリ
パク・ソンナン、
アクラム・ペールワン

どれも、極彩色の伝説に彩られた試合だ。この上に、柳澤健は何の色を加えようというのか。
いや、彼はそのカンパスをある意味でいえば叩き壊し、その上で、まったく違う解釈の新芸術を構築したのだ。

といっても、猪木は猪木である。基本的に「猪木の性、悪なり!!」です。

「1976年、そしてそれ以前」

この本が上手いのは、タイトル通りこの一年の猪木を一種の特異点として、面や線より点としての意味をクローズアップさせたことだ。

とはいっても猪木は猪木(略)。そこに至るまでの過程での、期待にたがわぬタチの悪さも同書ではちゃんと抑えている。例えば1974年、ストロング小林の引き抜きに新日本が成功し、伝説のあの一戦にゴーサインが出た時

引き抜くだけなら面白くない。どうせなら小林に日本選手権をやろうと言わせよう。馬場と猪木に挑戦する。(略)馬場が挑戦を受けるはずが無いから、全日本プロレスのイメージダウンにもなって一石二鳥だ。

猪木の性、悪なり。だが、それ以上にタチが悪いのが、モハメド・アリ戦での猪木のやり口だ。同書の書くことが真実なら・・・・しかしてその真相は?

「アリはプロレスに誘惑される」

ここは事実関係に際しても議論が分かれるかもしれない。柳澤氏の取材とその結論はこうだ。


「アリはその大口パフォーマンスを、フレッド・ブラッシーに影響されて始めるなど、プロレスに関して理解とリスペクトがあった。実力的に衰えていたアリは猪木のオファーを受け、WWWF(当時)やAWAで少し試合や”乱入”をするなど、プロレス界のしきたりにも従う姿勢を見せて日本に乗り込んだ。しかし、猪木はなんと、本番直前に『これはリアルファイトだ』と宣言。準備していないところに襲い掛かり、勝利で名声を奪おうとした。そして、アリは躊躇しながらも最後はボクシング王者の誇りにかけてこれに応じ、リアルファイトの猪木vsアリ戦が実現することになった」というものだ。


これは、個人的には非常に意外なストーリーだった。
私もさすがに、普通に猪木vsアリのミックスドマッチの真剣勝負契約がまとまったとは考えていなかったが、その後のいろんなプロレス伝説を通して、信じていた話は次の通りだった。以前、このブログで書いた文章がある。

http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20070125#p1
実はここで、最近経験したお話を。

正月時分にフツーの親戚と会ったときだが、大晦日の話から、話題が格闘技に(ちなみに秋山成勲問題も知ってた。世間に届いてたよ)なって、中年のその親戚が「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」を回想。


「あれは真剣勝負なのかな? 見てるとなんかすごく緊張感があって、やっぱり真剣だったと思うんだけど」


俺の答え。
「あれは勝敗とかその内容とかが、最後のギリギリまで揉めましてね。一応は引き分けで合意したんですが、双方とも『相手が突然裏切って、仕掛けてくるんじゃないか? 約束違反でも俺に勝てば、得るものが大きいからな』と不信感をずっと持ちながら闘っていたんですよ。だから、逆に『普通の真剣勝負』より緊張感があるんです」


その親戚は仕事柄、交渉ごととか折衝ごとが多い方なので、
あっさり「ああ、ゲーム理論だね」と専門用語を出して納得したのでした。

うーん、格闘技素人の親戚のほうが見る目があったのかな(笑)
このへんの事実関係について、異論を並べて検討・論争していく必要が、アリという人間の現代史に果たした役割の大きさから考えても出てくるだろう。


しかし、まずリアルファイトを前提としたとして、さらに衝撃的な事実を同書は暴露する。それは・・・

「裏ルール」無かった?

ま、暴露ちゅうのも言い過ぎで、既に5年ほど前に活字化されているんだけどね。

新間寿の、実話誌での手記を同書では引用している。

猪木は先ごろ出版した本の中で対アリ戦のルールについて触れて、そこでは禁じ手のオンパレードになっているが、事実はまったく違う。実際のルールは「両者正々堂々と戦う」という・・・当たり前のルールにすぎなかった

そして筆者は新間から直接、弁明を聞く。

「猪木を守るために、ああいうこともしちゃいけない。こういうこともしちゃいけないっていうルールがありましたよ、と私が言ったことは事実。だけどあまりにも評判が悪かったから

いや、「評判が悪かったから」って理由にも何にもなっていないんですが。

柳澤氏は「いきなり真剣勝負だとだまし討ちした相手に対し、アリは正々堂々受けてたち、試合後は猪木を評価するコメントまで残した。それに対し猪木は『相手のカルト教団が脅迫した、不利なルールをのまされた』はては『アリは石膏でグローブを固めた』まで作り話をでっち上げた」と結論付け、

残念だが、真に偉大なファイターはどちらであったかははっきりしている

と書いている。

ただところが、この書の弱点として先行書評でも指摘する声が多いのだが、肝心なところで「新間寿・談」に根拠を頼らざるを得なくなっている部分がある。それはこのアリ戦、そしてペールワン戦のところで特に大きい。
実際の話、その現場、バックステージをつぶさに見て、今立場上話せる?ような人・・・・というとめったに見つからないのだが、にしても新間寿氏のこれまでの証言のコロコロ具合はもはや芸の領域に近いわけで(笑)。”新間証言”を歴史の法廷に持ち出せるかは議論の余地が大いにあるし、同じことでもこの新間をスルーした上で検証できないか?と思うわけであります。


そして「アリと戦った猪木」に

この後は駆け足で書きます。
アリ戦の酷評、借金の山はともかく、その知名度は世界的なものになったアントニオ猪木。彼の元には、世界からオファーが届く。しかしまたもや、「猪木の性、悪なり」。

日本の選手が韓国に来たら日本が負ける。韓国の選手が日本に行けば韓国が負ける。それが当然。プロレスはそうやって盛り上がっていくものでしょう。日本では猪木がヒーローかもしれないが、韓国ではパク・ソンナンがヒーロー。韓国ではパク・ソンナンが負けてはいけない。最低でもドロー。でも、ソウルで猪木の勝ちにしなくては契約が結べなかった(韓国のプロモーター、金斗満) P271


こういうごり押しを平気でやれないと、ある意味一流になれません。昔、だれかが事業成功の否決として「こっちが受け取るべきものは即座に貰い、こっちが払うべきものはなんだかんだと理由をつけて一日でも支払いを遅らせるか、あるいは払わないことだ」(これは実際、手元にある金の利息だけでも非常に得になる)といった。
プロレスの戦いの格も同じかもしれない。それをNoahはよく分かっている。


しかし、そればっかりは続かない。今度は、それを逆手に取られ、逆に猪木は美味しい言葉でパキスタンに誘われた後、自分がアリに仕掛けたような「いきなりシュート」を仕掛けられる。

「シンマ、大変だ。ボル・ブラザーズが俺たちはプロレスの試合はしない、ノールールファイトだ、何をしてもいい、どちらが本当に強いのかをはっきりさせようじゃないか、と言ってきたんだ」

(略)
猪木の顔は一瞬にして歪んだ。
「バカヤロー! そんなことをさせるために俺をパキスタンまで呼んだのか。アリと引き分けた男に、こんなところで、こんな試合をさせるのか(略)」

とはいえ最後の最後、一瞬にして猪木は覚悟を決め、目に指を入れるような阿漕な反則も加えつつ、このパキスタンの英雄を返り討ちにする。虚実皮膜の中の「実」が、確かに存在しているからこそ虚も輝くのだろう。

総合格闘技との「ミッシングリンク

そして、最終章及び「おわりに」では、プロレスが総合格闘技になっていく・・・あるいは飲み込まれていく過程を描いている。このとき、猪木は愚かな事業にカネをつぎ込む無能な経営者であり、その穴埋めのように格闘技にプロレスラーという人身御供を提供、破綻していく冷酷で狂ったプロデューサーだ。
しかし、そのプロレスを墓場においやろうとしている総合格闘技の源流には、まぎれもなく「1976年のアントニオ猪木」が存在している。司馬遼太郎がかつて明治時代を「日本の歴史と考えず、1868年から約50年に渡り存在した幻の『国家』だと考えては」と思考実験したように、1976年のアントニオ猪木は、猪木像全体から多少はみ出た一個の特別な人格だったのかもしれない。

彼は最終章をこう結んでいる。

アントニオ猪木が1976年にたった一度だけ垣間見せた幻は、いまや現実のものになった。


それを幸福、と我々は受け止めているが、それが正しい見方であるのかは分からない。


最後に2つ補足

おわりに柳澤氏は、インタビューに応じてもらった人を列挙してお礼を述べているが、U系プロレスラー、格闘家で彼に直接話した日本人は、どうやら宮戸優光だけらしい。佐山聡前田日明高田延彦船木誠勝らに話を聞かなかったのはテーマが拡散するためか、例えば、既にここでは紹介済みの「(中期)リングスでも勝敗を決めていたよ」というドールマンの証言(今なおスクープと評していい)を前田に再確認したり、再びプロレス畑にいる鈴木みのるに聞いたりするリスク、彼らが正直に喋る可能性の低さを考慮したのか。これはよくわからない。


また、同書の白眉、一番美味しいところであるオランダ格闘技人間模様(ウィリアム・ルスカ戦。イワン・ゴメスvsルスカの真相?も分かる)は、別に一章を書くべきものであるからここでは割愛します。
ただ、この本を明日以降貸し出さなきゃいけないんだけど(笑)