以前のこの話について、ちょっと小さな継続情報があったので補足します
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ゴン格の最新号、
吉田豪氏は前号の話について、本編では無くマクラでちょっと語っている
これを読む限り、吉田豪氏も、あまりディープな周辺情報やオフレコトークを聴いてるとかじゃなくて、素朴に北原光騎のインタビューと、渕正信の武勇伝がつながらない、という疑問、という感じのようだ。
で、これはやはり前の記事で書いた様に
吉田氏の「渕は全日もガチスパーしていたというけど、北原はそれを否定してる」の話「マシオ駒逝去以降に、時間が経過して変わっていった」で説明つくかと思う
74年 渕正信入門
76年 マシオ駒逝去
79年 佐藤昭雄日本帰国
87年 北原光騎入門
真面目で練習熱心、会社の為に尽力した駒に対するジャイアント馬場の信頼は非常に厚かった。その為駒が急死した際、馬場は「なぜなんだ!」と言ったきり絶句したという。
日本プロレス時代の後輩にあたる山本小鉄は、駒同様に大変に練習熱心な人物として知られるが、二人はライバルであると同時に仲が良かった[5]。日本プロレスが崩壊する過程で、駒は全日本へ、山本は新日本プロレスへと違う進路を取る事となったが、共に若手の指導を行う立場となり、両団体がほぼ断交状態にあった中でも、練習方法や指導方法について相談し合う事が多かった。ザ・グレート・カブキの回想によると、駒は山本同様若手にはガチンコを徹底指導し、大技を使うことを厳しく制限していたという。そのため、駒の死去後もこの指導方法が暗黙の了解として残り、佐藤昭雄が指導方法を改革するまで、新人や若手は大技を使うことを制限されていた。
ja.wikipedia.org
北原の入門はマシオ駒逝去の11年後、佐藤昭雄帰国後8年後。
10年程度で変わるのか?といえば、10年は練習方法が大きく変わるには十分だと思う。
カブキ証言によれば、ある時期までは「暗黙の了解」でマシオ駒のやり方を引き継いだそうだから、ゆっくりとした変化だったのかも。
新日本も、スパー廃止ということはないのだろうが、猪木が「馳によって変わってしまった……」と嘆く程度には、新日道場は馳体制で変わったらしい。
togetter.com
猪木さんが新日本が変わってしまった核心を突いてます。
— pasin (@pasinpasin) September 28, 2020
『道場で馳浩が指導にあたるようになって変わってしまった。彼はシュートを教えてなかったからね』 pic.twitter.com/QoxzE7Es59
Uインターも安生らが主導して練習方法をあらため(先輩がずっと極めては放し続けるいじめ的なものでなく、一本極めたらまた最初のポジションから始める。そんなことで……)、そこにディスコで金原弘光らと知り合ったエンセン井上が参加して技術を伝えただけで、いい方向にガラガラッと変わったのだから、むしろコーチによってほんの1、2年で劇的に変わるもの、なのかもしれない。
高校生の部活の、指導者異動による強豪校の変化なんかも連想する。
と同時に、今回補足したいのは、全日からガチスパーの風習が無くなったとしたら、そりゃやっぱりちょっと問題、弊害はあるだろうけど、「佐藤昭雄があまりにも優秀で、その改革が、あまりにも効果的だったからじゃないか?」
という話です。
こういう認識に至ったのはつい最近で、佐藤昭雄って自分の中では「ずっと海外遠征中ってことになってて、ときどき謎の覆面レスラーの正体では?と雑誌にかかれる人」「ハクシ―のマネージャー『シンジャ』」というイメージしかなかった。
だが、昭和の忘れ物たる老害プロレスファンがくだを巻く(つまり大変ここちよい)雑誌「Gスピリッツ」で、佐藤昭雄氏は万能コメンテーターとして登場するんだけど…そこでの指摘って本当に理にかなっていて、納得せざるを得ない神コメント連発だったのだ。
佐藤昭雄がすごい!は、Gスピリッツだと雑誌という性質上、過去に遡りにくいから、この「永遠の最強王者 ジャンボ鶴田」を読んでほしい。
そこでの鶴田分析が……本当にぜんぶ、完璧にその通りだ!ってレベル。
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「試合作りっていうのは誰にでもできるわけよ。 ところが全体の試合の流れの中で波を作る、ジャンボ鶴田を作るっていうのは、ジャンボの責任なんだよ。 でもジャンボは責任を持たされてやった試合はなかったんだよ。( 馬場さんはそういう立場で自分も作ってきたが)でもジャンボは責任を持たされたことがないから、自分が何をやらなきゃいけないかっていうのを最終的なところでわかってなかった」
「タッグのパートナーがほとんど馬場さんだったでしょ。そうなると昔の吉村道明さんが馬場さんを作ったようなことを、他の連中がジャンボに対して行ったことがないわけ。」
「ジャンボはぽんと売り出されてトントン拍子に行ったけれども、ジャイアント馬場と肩を並べられると不安に思わせるようなところが全くなかった」
「はっきり言って馬場さんは『ジャイアント馬場』という存在は作れても、ブッカーとしてスターづくりをするということができない人だったよ。それまで上位だったレスラーにしっかりした形で勝つことで、初めてファンは新時代を感じるんだから」
これだけプロレスが「わかっちゃう」のは、ただものではない。文才で知られるTAJIRIもここまで明晰な分析はしていないと思う。
レスラーとしての佐藤昭雄はメインイベンターでは無かったけど、彼にブッカー権限を与えた馬場さんはやっぱり大したもんなのだろうな。
ジャンボだって納得するさ。
「ジャンボは俺(佐藤昭雄)が中(マッチメークやブッカー)に入ったことで、面倒なことに関わらなくてよくなったからほっとしていて。だから年下の俺の言うことを聞いてくれたのかもしれないよ。…いろんなことをやっていく中で、ジャンボからの反感はなかったからね。ある時にジャンボが俺にこう言ったんだよ。”あきおちゃんね、俺はプロレスの会社の社長になろうなんて気は全くないんだよ。でもリングの中では メイン イベンターとしてしっかり責任を持って試合をするから…”って。ジャンボがじゃあ俺やるよって、やる気を見せるまでちょっと時間かかったよ」
佐藤昭雄
ただ、佐藤昭雄が「巧い」のも「話が面白い!深い!」と思うのも、やはり公平に見て2000年にミスター高橋本が出て「ポストミスター高橋本時代」になったから、であるのは間違いない。
「あいつはプロレスが巧い」とか「こういう動きをすれば客が喜ぶ」「こういう風にスターを持ち上げる」とかは一種の”芸談”にならざるを得ない。
プロレスは昭和の時代にはなぁ(笑)、原則強いとか弱い、勝った負けたとかしか語っちゃいけなかったんよ!!
野球で「あのキャッチャーはうまい試合運びだ」とか「あの新人をエースに盛り立てる」とかは、普通に試合して普通に打ったり三振にとったり、を全力でやる、という意味で、プロレスもそういう意味合いで語らなきゃいけなかった。
その枠が外れて、”芸談としてのプロレス”を語れるようになったから佐藤昭雄の語りも凄くなった…というか、そもそもそういう話ができるようになった。
佐藤はそうやって全日の若手も育てた。
完璧な英語を習得していたため、全日本ではジョー樋口と共に外国人選手の通訳を担当。また、全日本プロレス中継解説者のほか、若手のコーチ役や入門テストの試験官も務めた。ジャイアント馬場に信頼を置かれており、マッチメイクも佐藤が行っていた時期がある。「大技は使ってはいけない」という前座試合の暗黙の了解をなくし、それを佐藤がすべて受け止めるなど、若手に自由自在に試合をさせるための空気づくりを行った。全日本の前座や若手の育成方法に多くの改革を起こし、三沢光晴や越中詩郎らを育てた。三沢は佐藤を「心の師」と仰いで尊敬していたという。
だけど!まだ全日は、マシオ駒の遺風もあったかもだし、馬場もなんだかんだと力道山門下生、アトキンスに揉まれた昔気質。
受け身も寝技も体つくりもそれなりにやっていたのだろうけど……佐藤昭雄がその鋭い頭でプロレスはプロレス、と割り切った時、寝技スパーも廃止(はっきり決めてはいないと思うが、自然消滅に近くなった)されてもおかしくないかと。
これはKAMINOGEで斎藤文彦氏が座談会(プチ鹿島との対談+堀江ガンツ)で言ってたと思うけど、あのプロレスリングマスター武藤敬司が、フワちゃんのプロレスを見て「凄い完成度だ!」と驚いたんだって。まあハッスル以降そうなのかもだが「プロレスのある部分を集中的に、そこだけ徹底的に学んだら、その面で良いプロレスラー(グッドワーカー)になれる/だけど、それでいいのか?」という話。
この武藤の談話はさすがと言うべきだろう。先の「これからのプロレスは、フワちゃんみたいにその演目をいちばん綺麗にやる人がグッドワーカーって言われるような時代になるのかもしれねえな」と同様にさすがの分析といえる。その是非は別にして、先見性は素晴らしい。
— イエデビ【黄色い悪魔】 (@yelldevi) January 16, 2023
この部分は正直グラデーションがあって
佐山聡
前田日明
アントニオ猪木
山本小鉄
ジャイアント馬場
マシオ駒
佐藤昭雄
マサ斎藤
グレート・カブキ
馳浩
獣神サンダーライガー
谷津嘉章
長州力・・・・・・・・などに、それぞれ濃淡があるのだろう。学生プロレスへの態度、なんかも似てる気がする。ライガーのいう「ナイフを持っているか」云々もそうだ。
そういう点で、佐藤昭雄はグラデーションの、薄いほうに位置してたんじゃないかな、と思う。
そして、佐藤昭雄イズムが徐々に浸透して、全日からガチ練習がフェードアウトしていったとしたら、そこから逆算して柔道家とスパーをした当時の渕正信に疑問符をつけるのは、少なくとも時系列的にはちょっとかわいそう、という気がします。
ただ、まあ、これを再検証するのも難しい。佐藤昭雄だって腕一本でアメリカを渡り歩いたプライドもあるはずで、やっぱり「あなたが全日の練習からガチスパー、セメントをとっぱらったんでしょ?」と正面から聞かれたら、それが事実でも事実じゃなくても、不名誉な話だと受け止めて怒るはずだ。だから厄介なんだな
ガチの基礎を身に着けた新弟子は、けっこう扱いが違う説
北原さんがスパーを全日本時代にやらなかったのは、先輩レスラーがシューティングから来ているところから新人にやられてしまうのを警戒して、という可能性もあるのではないかと。
— タカハシ (@sand_lander) January 29, 2023
谷津嘉章とのスパーを、新日ガチ派もあまりやらなかったみたいな話ありますね。(中邑もそれに近い話あったか、「矢野!相手してやれ」と。)今月のゴン格でも吉田豪氏、少し記述してたのであとでブログとtwitterで紹介する予定https://t.co/OeGAyjOLZy
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2023年1月29日
伝説の66000超えビューのtogetter(なんでこれだけ、こんなに読まれてるのか正直分からん)
togetter.com
最後に「外伝」を。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2017年11月21日
みんな大好き「道場で誰が強かった?」話だが、中邑は新弟子当時から「スパーが休憩時間でした」とか言えちゃう生意気な奴。それは柔術を知ってたから。指導するゴッチの「マイサン」木戸修だが、それに業を煮やし…「矢野通!相手してやれ!」いろいろ、神話とリアルの交錯(笑) pic.twitter.com/HvlkJbtPRL
こういう面……シューターあがりの北原だから、全日本の皆がスパー稽古を避けて、結果的に「全日はスパー練習なかったですね」となった、という話。これが事実ならそれはそれで情けないけど(笑)
最後に余談。今回の「書評の星座」本編は前田日明本書評なんだけど…
格闘王・前田日明の視点で読み解く、プロレスと総合格闘技の軌跡!
力道山、ゴッチ、馬場、猪木、UWF、リングス、そして、現代総合格闘技に従前とは異なる光を当てる。
【電子書籍向けオリジナル企画】※ ※ ※
疫病と戦乱の生じさせた黒雲が世界を覆い尽くした2021年から2022年にかけて、前田の個人史に大きな節目が訪れた。自身のライフワークであるファイティングネットワーク・リングスが設立から30年、一応の閉幕から20年を迎えたのだ。22年は古巣・新日本の旗揚げ50周年にも当たる。予期せぬことではあったが、師であるアントニオ猪木に今生の別れを告げる仕儀ともなった。
この機会に、前田自身の経験にあらためて斬り込んでみたい。そう考えた。幸運にも快諾が得られ、二度にわたるロングインタビューが実現。その全貌を基底とし、加筆・構成したのが本書に収めた2本の記事である。
(中略)
2本のインタビュー記事で、私は新日本プロレス入門からリングス終焉に至る歩みを前田に問うつもりでいた。だが、現場で当人の口から語られたのはもう少し視野の広い大きな物語だった。
力道山率いる日本プロレスが多団体時代を制した過程と裏面。アントニオ猪木が入門した当時のプロレス界の色と匂い。プロレスの神様カール・ゴッチを構成する成分や要素。前田にとって前史に当たるこうした事象への解釈や見識に始まり、総合格闘技の未来への貴重な示唆も含まれている。【本書で前田日明へのロングインタビューを行った執筆者・片田直久による「まえがき」からの抜粋】
前田日明の”聞き手”が、某前任者から、片田直久氏になってほっと一安心、しているのは皆と同じ(笑)。
だけど、ここは驚くとこじゃあ、なかんべ?
だってここの部分、むしろ前田が積極的に宣伝してた、キャッチコピーみたいなもんじゃん。
・ 今、オレは天下三分の計を考えている。PRIDE、K-1・HERO’S、リングスの三国鼎立。これから赤壁の戦いだ。もちろんPRIDEが曹操だと思っている
kakutolog.cocolog-nifty.com
第二次リングスはK-1&HERO'Sと協力関係になり、「UFCが共通の敵になる」と米国進出さえも口にした前田。「天下三分の計がリングスとK-1とPRIDEだったのが、UFCにいきなり変わった。しょうがないよね」と世界の総合格闘技制圧を標榜しているUFCに真っ向から闘いを挑むつもり。
gbring.com
「俺は今、三国志の諸葛孔明の役をやっているから。最初は劉備元徳のつもりでやってたんだけどね。その内、曹訓が暴れだすのでやっつけちゃおうかな。その次は天下三分の計をやるよ」という意味深な発言も。
gbring.com
それを受けて「天下三分の計?村八分じゃなくて?」とかド失礼なことを書いたブログまであった…だれだ、この失礼なやつ。
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いま、反省して
「前田日明を三国志に喩えるなら個人の武勇に抜きんでた呂布(朝倉未来)を抱えることができたが、結局そいつが敵陣営に降ることで、むしろあちらの天下取りの原動力になってしまった丁原かな」
とかいう、さらにド失礼な総括をしてですね(笑)
そこで思うんだけど、吉田豪氏は、プロレスラーや格闘家・武道家のインタビューや回想の書を照らし合わせて、そこから知られざるファクトやストーリーを発掘・構築していくというやり方に関して”レジェンド”ではあるけど、やはりその後に芸能・サブカル関係のおしごとがわんさわんさと押し寄せてくる以上、プロレス格闘技の専業ではあり得ない。
いまの「書評の星座」も、往年の達人の模範演武であって、そこから学ぶことは大なりとはいえ、現役でリングに上がれるか、という今現在の強さ(ここでは、膨大なプロレス格闘技の記事をまず読んで、記憶し分類する情熱と能力)では、やはり第一線は外れているのではなかろうか、と。
今回の「前田日明の天下三分の計」と「10年程度で道場の練習が変わったとしたら謎」という話、そういう点では大元では繋がっていたのかもしれない。
反響で情報得る。「ガチンコの練習やってるとお前ら外されるぞ(栗栖が北原に)」/「仲野は馬場に直接怒られた」?
渕正信が柔道日本一の岩釣兼生に取らせなかった話は、半信半疑ではあるけど、スーパータイガージムインストラクターの北原辰巳とスパーリングをやる全日本プロレスの先輩なんか、絶対とは言わないけど、そりゃ確かにいなかっただろうとは思う。https://t.co/cG2qB2PgLb
— 細田昌志『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』第43回本田靖春賞・3刷重版 (@kotodamasashi) January 30, 2023
北原は栗栖に「リング上でガチンコの練習やってるとお前ら外されるぞ」と言ってたらしいです。仲野もガチンコの練習してたら馬場に怒られたとか。
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) 2023年1月30日
訂正 栗栖が北原に注意してたらしいです。
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) 2023年1月30日
年齢と立場的にそうなりますね。 だとすると、やはりマシオ駒⇒佐藤昭雄 と道場を仕切り、馬場が信頼する相手が変わったのに合わせて、馬場御大自身のガチンコ(練習)に関するスタンスも変わったのかな。案外、側近のスタンスにそのまま影響されるボス、も結構いたりするものね。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2023年1月30日
自分はマシオ駒が亡くなった76年以降、段々ガチンコの練習をやらなくなったような気がします。馬場は日プロのトップだった頃から全くそっちの練習はしなかったそうですし。
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) 2023年1月30日
力道山が生前に、若手集めて道場ガチンコトーナメントをやらせたら馬場は大木に敗れて、勝ち上がった大木は猪木と互角の引き分け…とは、門茂男の文庫で読んだのかな。当時は衝撃的で印象に残っています。
— Gryphon(INVISIBLE暫定的再起動 m-dojo) (@gryphonjapan) 2023年1月30日
ガチンコトーナメントの話は上田馬之助の自伝にも書いてありましたね。馬場が最初に脱落して猪木×大木は決着つかずと。
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) 2023年1月30日
渕正信と岩釣兼生のスパーについて未だに一部のネット界隈で盛り上がっている。個人的にはその真偽はもうどうでも良くなっている。増田俊也先生に真相を解明してほしいという声もあるが、そうも思わない。ただ少し雑感を。
— うしをたおせ (@usiwotaose) January 31, 2023
全日の道場でガチンコやってたか否かも不明だ。一時期やってたけど、人と時代が変わり途中からやらなくなったってところか。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
あらためて考察(妄想)するが、岩釣が渕に圧倒され、アイアン・シークに瞬殺されたなど、にわかには信じがたい。大嘘とも思わないが信じられない。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
プロレスのリング上でのスパーであり、いわゆる極めっこである。岩釣が本気を出していたかも分からないし、渕が上から抑え込んだというのもガードの中で藻掻いていただけかもしれない。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
プロレスラーの超人的な鍛錬やレスリング技術は誰もが知るところだが、当時の岩釣は柔道全日本王者の実績だけでなく、木村先生と徹底的に命を懸けて総合格闘技の練習していた。金的、目潰し、それ以外の危険な技も練習し実戦での勝ちにこだわっていた。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
そんな岩釣がアイアン・シークに一瞬で腕を極められ、渕に5分間抑え込まれただけでスタミナを切らすとはどうしても考えられない。当時の日本で最も打・倒・極と全ての局面を考えて格闘技を磨いていたであろう岩釣が本気を出せばどんなプロレスラー相手であれ…と個人的には考える。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
結局当事者の一人、岩釣が亡くなっている時点でもう真実は分からない。第三者が証言しても本当のところは分からない。だからこそ岩釣が亡くなった後に、岩釣の実力を大きく貶めるようなエピソードを綴る渕にどうしても嫌悪感を感じてしまう。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
ちなみにプロレスも好きで、柔道自体にそんな思い入れがない自分だが、力道山と木村政彦の一戦に関しては、圧倒的に木村政彦贔屓だ。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を読了していることも理由だが、どうしても日本柔道の生ける伝説であった木村政彦が騙し討ちにあい、日本中に恥をさらされたことを考えると力道山に不快感を感じ、木村政彦に激しい同情と悲哀を感じざるを得ないのだ。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
しかし、しかしである。木村政彦が敗れたのがプロレスのリングの上であるように、岩釣がスパーしたのも全日本の道場内なのである。マット、シューズ着用等、環境もプロレスラーに有利なのは間違いないし、見守っていたであろう面子もほとんどが全日の選手。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
それこそ万が一が起きた時になんとかしてしまえるもの全日側。木村政彦も岩釣も相手の土俵に立ってしまっている時点である意味では負けだったのではないかという哀しい感想を抱いてしまう。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
そう考えるとやはり1997年10月11日に講道館柔道の流れをくむ、ヒクソン・グレイシーが中立の舞台で43年越しに木村政彦の汚名を雪いでくれたと言えるかもしれない。
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
渕正信 著:王道ブルース
— うしをたおせ (@usiwotaose) 2023年1月31日
冒頭の岩釣とのスパーの部分はこちらで試し読みできます。https://t.co/Nn0hOkx66c