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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

「記者会見のうっかりでベルリンの壁崩壊」が映像の世紀バタフライエフェクト「メルケル編」で流れ面白かった

ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」

初回放送日: 2022年4月18日

冷戦下の東ドイツ。抑圧された社会で生きる3人の女性がいた。見えない将来に絶望していた物理学者のアンゲラ・メルケル。体制への批判を歌にこめた歌手ニナ・ハーゲン。デモで自由を訴えた学生のカトリン・ハッテンハウワー。1989年、政府報道官のひとつの失言から始まったベルリンの壁崩壊は、巨大な嵐を巻き起こし、3人の女性の運命を変えていく。宰相メルケル誕生に秘められた、絶望の中から希望をつかんだ女性たちの物語

本題とは別だし、そもそも本日石川県の地震報道で中断されたのだけれども、番組の半ばぐらいで、ベルリンの壁が崩れたきっかけの場面、その生の映像が流れた。ーーとある法律の説明の施行日とか、「ビザ自体は出入国に相変わらず必要である」という補足の細部説明をし忘れたことがきっかけ、というのは知ってたけど、やはり番組のコンセプト通り「映像」で見ると迫力が違う。
最初は本当に平凡で退屈な記者会見だったが、イタリア人記者の何気ない質問に、答える側が準備不足で、ちょっと内容や日程でふわっと間違いを言っちゃう。

しかしそれはよーく考えると「ベルリンの壁が開放された」と言ってるに等しかった。
続々と集まる、人の波。
それは自体が体制への怒りだった。
しかし最後の砦である、現場の検問は?
実はそこの責任者も、
無責任な上層部に以前から「うんざり」しておりーーーー。

それ以前にNHKスペシャルで放送された「ヨーロッパピクニック作戦」と並ぶ、歴史の挿話であり、記者会見の場でのうっかりミスや連絡不備の失言が、歴史を変えるというどこの職場の関係者も恐ろしくなる教訓である。

ウィキペディア

1989年11月9日、この日エゴン・クレンツ率いる社会主義統一党中央委員会総会で翌日から施行予定の出国規制を緩和するための新しい政令案を決定した。その日の夕方、クレンツ政権の広報担当者シャボフスキーは、この規制緩和策の内容をよく把握しないまま定例記者会見で「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表し、いつから発効するのかという記者の質問に「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」と答えてしまった。シャボフスキーは、中央委員会の討議には出席しておらず、クレンツからも細かい説明もなく、また中央委員会で攻撃に曝されていたことで、クレンツ政権内部が混乱したことがその原因とされる(ベルリンの壁崩壊)。

ただし、その質問をしたイタリアの記者エーマンは、2009年に「会見前、シャポフスキー氏とは別の高官から電話で『出国自由化の時期を必ず質問するように』と言われた」と回想している[125]。これが真実であれば、歴史的なベルリンの壁崩壊は、記者会見における凡ミスの結果ではなく、演出者と協力者の関係をもとに綿密に予定されていたシナリオであったといえる[126](ただしシャポフスキーはそれを否定している)。

この記者会見を各国メディア及び東ドイツ国営テレビ局などが報道し、同日夜には東ベルリン市民が東西ベルリン間の7か所の国境検問所に殺到した。旅行自由化の政令は実際は査証発給要件を大幅に緩和する法律であり越境にはあくまで査証が必要であったが、殺到した市民への対応に困った国境検問所の国境警備隊の現場指揮官は、政府からの指示もなく、11月9日22時45分に止む無く国境ゲートを開放した。査証の確認なども実行されず、ベルリンの壁はこの時に有名無実となった。