もう、これ何年前の作品だろうか…。
一部、再掲載する
【大人のおとぎばなし】
漫画「誰も寝てはならぬ」と「重版出来!」には、どちらも、すでに体もなまり切って脂肪のついた体型なのに、ドラフトのシーズンになると「万が一の話だが…おれに指名が来るかもしれない」と浮足立って素振りをするアホな中年男たちが出てくる。いい年した大人が「俺にドラフト指名がくるかも…」とソワソワ(誰も寝てはならぬ) ※このエピソードは、作品の中でも特に秀逸な回です! いい年した大人が「俺にドラフト指名がくるかも…」とソワソワ(誰も寝てはならぬ)
付け加えると、
重版出来!は…かなり初期だな、このエピソードの登場は。「選手としてはダメでも、コーチとして声が掛かるかもしれん」と、ドラフト後も鍛錬は怠らない。
※訂正。後で確認したら7巻でした



で、水島新司の野球漫画「ストッパー」、それから松本大洋「花男」でも「突然まったくの無名人がドラフトで指名され入団」という挿話があった。
shogakukan-comic.jp
▼第1話/茂雄▼第2話/花男▼第3話/花男ほえる!▼第4話/茂雄をさがせ!▼第5話/パパはモ-レツ▼第6話/朝顔▼第7話/夏が逃げる▼第8話/花織(かおり)▼第9話/明日から始まる冒険に備えてその一▼第10話/不協和音▼第11話/追想▼第12話/瓜の蔓には茄子はならぬ▼第13話/日曜日 ●登場人物/花田花男(ジャイアンツに入団し、ホ-ムラン王になることを夢見る30歳。茂雄の父)。花田茂雄(勉学にいそしむ成績優秀な小学生。母の花織と暮らしていたが、小学3年生の夏休みから父と暮らすことになる)。 ●あらすじ/ク-ルで常識的、成績優秀な小学3年生の茂雄は母親とふたり暮らし。夏休みを迎え、さあ、これから塾だ、がんばるぞ!というその時、母の花織から、夏休みの間、父のもとに行って暮らすようにと言われたからびっくり。何といっても父は、プロ野球の選手になるといって家を飛びだし、30歳となった今もその夢を追い続けている「夢追い人」なのだった(第1話)。
だけどドラフト制度って年々改訂され、進化している。もう 桑田/清原 の悲劇は、「プロ志望届」によって生まれないし・・・・・・・・
ja.wikipedia.org
いま、制度としては、最初に紹介した「誰も寝てはならぬ」みたいなことは、確率0.00001%ぐらいでもあり得るっちゃあり得るんでしょうか?
まだ、引退した元投手が、高齢になっても投げられる特異な変化球を猛練習で身に着けてカムバックに挑戦する…という「男の自画像」は、リアリティラインを高いところでクリアしてたんだな。
m-dojo.hatenadiary.com
※これいま、電子書籍では1冊数十円で全巻買える超廉価版あり、お勧め。
ドラフト指名はまあ無理でも、突然「あなたに俳優をやってほしい!映画に出てほしい!」はあり得るので、みんな準備しとけ。
くわしくは、こちらで論じた。
m-dojo.hatenadiary.com
んで、おとといだったか、Eテレのアメリカ文化(サブカル)研究みたいな番組をたまたまみていたら
「イージー・ライダーで、田舎の飲食店でヒッピー風の主人公が保守的な地元民に絡まれる」場面の地元民って、本当に現地ロケの時に、撮影とは知らずに文句をつけてきた一般人をそのまま採用したんだとか。
※この番組でした
世界サブカルチャー史 欲望の系譜
今を知る為にこそ過去へ飛べ。映画から見えてくるアメリカの正体。
(5)「アメリカ 幻想の70s 第2回」
初回放送日: 2022年10月26日映画、流行、社会風俗、サブカルチャーから時代の欲望を読み解く旅。数々の映画から70年代アメリカの空気が浮き彫りに。シリーズ5回目、70年代編第2回。語り玉木宏。
戦後サブカルチャーの震源地、超大国アメリカ。「自由と民主主義の実験場」の迷走は「空白の70年代」に始まった?「イージー・ライダー」「ゴッドファーザー」「ジョーズ」「未知との遭遇」「サタデー・ナイト・フィーバー」「ディア・ハンター」「タクシードライバー」「地獄の黙示録」…、ベトナム戦争の傷跡の中、超常現象、オカルトブームが沸き起こる。時代のマグマはどこに噴出する?異色の歴史エンタメ・ドキュメント。
10月26日(水)午後10:30 ほか 放送予定へ
www.nhk.jp
多くのシーンはアドリブで撮影し、現地の一般人を起用したとか・・・かなり自由というか、ラフに作ったそうですよ。デニスが監督と脚本。P・フォンダは制作と脚本。彼らがやりたい放題で作ったものがアメリカン・ニューシネマの最高峰と称される伝説の映画になったということ?(笑)。
home.j08.itscom.net
かなり予想外、意外な形で「貴方がノーベル賞受賞者です!!」はあり得る(田中耕一氏)
ノーベル賞受賞の影響
受賞に伴う騒動と余波
会社で電話により受賞の報が伝えられたとき、「Nobel」「Congratulation」という単語を聞きながらも似たような海外の賞と思ったり、同僚による「ドッキリ」(ドッキリカメラの意)と思っていたりしていた[18]。その後会社の隔離室に移動させられ、午後9時から報道陣が大挙して押し寄せた会見に臨むことになった。急な話だったので、背広の用意もヒゲを剃ることもできなかった[19]。なお、普段から白髪を染めていたが[20]、受賞発表の1週間程前に理髪店で染め直していた[21]。田中は鉄道好きで、電車(京福電鉄嵐山線(嵐電))の運転席を眺めながら通勤することを日課としていたが[22]、その晩は家に帰れず、タクシーでホテルに向かった[23]。受賞を実感したのは翌日の新聞で自分の顔を見てからと語っている[24]。また、ノーベル賞受賞後の出張時には、島津製作所からの出張費の関係で乗車できなかった500系新幹線のグリーン車に乗れて嬉しいと記者団に答えた[25
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