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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

創作物に、実在人物の台詞や逸話をどの程度「モデル」に使えるの?最近の話題と、夢枕獏や樋口毅宏の実例と…

1週間ほどまえに話題になったツイートとブクマで…

あー、もうその人はツイートそのものは、消したかなんかしてるのか! でもすまん、考察のために一応概要を……
togetter.com

先日、有名漫画誌の編集さんからこんなメールが来て目を疑った

『担当している漫画家がセリフのリアリティに悩んでます。
あなたの漫画に気に入ったセリフがあるので、3万円で使わせてもらえませんか?取材協力として名前は入れます』
私の漫画を? 他の作家の漫画に…??

理解できなくて頭真っ白


2022-04-14 20:52:02
ことり野デス子✎単行本②発売中 @DEATHcotori
売ってと言われたのは「漫画家と異星人」のこのシーン。
セリフのリズムを声に出して確認したり、何回も直して作った。
これを売るのが『取材協力』?!

「他の漫画から気に入った部分を引っ張って、自分の漫画にするのは理解できない。漫画ってそういうものじゃないと思います」と返信しました pic.twitter.com/cJTmKJ49QK



ことり野デス子
ことり野デス子✎単行本②発売中 @DEATHcotori
コミックエッセイは起こったことをそのまま描くだけの「エピソード」だから、許可を取れば自分の漫画にも使えると思ったみたい…(??理解できない…)

「そのまま」じゃ漫画になりません
起こったことをどう見て、何を取り出すのか
作家の思いの繋ぎ合わせだし、物語を考える苦しさだって当然ある



ことり野デス子✎単行本②発売中 @DEATHcotori
超有名少年漫画誌の編集さんと、超有名な漫画家さんがこのような打診をしてくることに驚きました

私と同じテーマの漫画を描いてる方なので、リアルなセリフ作りに悩む気持ちは分かります
でも他人の漫画は「素材」ではありません


2022-04-14 21:00:04
ことり野デス子✎単行本②発売中 @DEATHcotori
以前ツイートで憤ってた話は…(略)

まとめのツイートも、冒頭ツイートもブクマが多数ついている。
[B! 漫画] ことり野デス子✎単行本②発売中 on Twitter: "先日、有名漫画誌の編集さんからこんなメールが来て目を疑った 『担当している漫画家がセリフのリアリティに悩んでます。 あなたの漫画に気に入ったセリフがあるので、3万円で使わせてもらえませんか?取材協力として名前は入れます』 私の… https://t.co/wQ6DLaHbOB"
 
[B! togetter] コミックエッセイ漫画家さんの元に有名漫画誌編集から「あなたの漫画のセリフを使わせてください、3万で」と連絡がきたお話

で、自分はその二つに、それぞれこういうブクマをつけた

gryphon 私は極めて先進的で優れた取り組みだと、オファーした作家と編集者を激賞したい。/特に推理小説の「トリック」とかに、こういう市場が欲しい(もうあるのかな?)/実在格闘家の名言がフィクション登場とかも多いが



gryphon カール・ゴッチが『勝ちたいとの思いさえ、戦いには邪魔だ』と語ったとの記事に感動した夢枕獏は、それを小説のキャラ『堤城平』の言葉(思想)とし、同人物を特徴付けた。以前からこの種の権利問題が気になってる


それが気になり続けたわれわれは、真偽を確かめるべく、実家奥深くの本の死蔵場所に飛んだ。そして探すのに苦労した…いや他の資料を読み耽ったりしたせいなんだけどね…。


そしてようやく見つかった。別冊宝島VOL.99、「超プロレス主義!」での夢枕獏インタビュー

これのおかげで「餓狼伝」を知ることができたのだったっけ。あらためて感謝感謝。



夢枕獏がたっぷりと、「わが格闘技小説」について語ったインタビュー「夢枕獏が語る、活字の打蹴投極」によると…

夢枕獏、格闘技小説のモデルを語る(別冊宝島99 超プロレス主義)


夢枕  (略)……モデルがいるのかどうかは、実に微妙な問題なんですよ。 梶原というプロレスラーが出てくるんですが、最初はUWFの藤原がイメージにあって、そこに佐山と前田のイメージが結んで きて…….誰かひとりをモデルにするとダメなんです。現実の状況をなぞるようになっ ちゃうから。


――北辰空手の堤域平なんかは、大道塾東孝がモデルかな、と思ってるんですが


夢枕  あれはね、実はカール・ゴッチなん です。場が言う台詞に「試合は神のものである」というのがあるんですけど、あれはゴッチの言葉なんですよ。だから、堤はゴッチの性格の極端な部分を取り出して書いてるんです。


――ほかにモデルがいるキャラクターは


夢枕  実話を元にしたエピソードならありますよ。『獅子の門」で、志村礼二という若者が久義重明という男に弟子入りのとき に、木の幹を思いっきりぶっ叩くというシーンがあるんですけど、あれはですね、さる空手家が合宿に行ったときに、先生から木を殴れと言われたんだそうです。その空手家はすぐにカーッとなる人で、「なにい、この野郎!」ってんで思いっきり木を殴ったらしいんですよね。そうすると、当然幹の方が固いから、血が出てくるんですよ、拳だから。だから力を込めて殴れない。しょうがないから、いったん木に背中を向けて、振り向きざま渾身の力を込めて殴ったら、皮が剥けて骨が見えてしまった......。


――すごいですね。


夢枕  まあ、これはある人が少し脚色してぼくに話して、さらにぼくがもう少し脚色して書いてるから、その分さっ引いて考えた方がいいんだけど、あのシーンの元になった話はそういうことなんですよ

ちなみにこのインタビューでは餓狼伝は全6巻で完結の予定」とか、大ウソ言ってやがる(笑)!!!



ふー、これで話はほぼ終わりだ。この資料を提示して……んで、著作権という世俗の法的な面、そして一方の、法を超えた「漫画(小説)ってそういうものじゃないと思います」みたいなマナー、「道」の話としてはどうなのか、って面で どうなの? という。


ひとりのキャラクターを、創作家が頭の中で生み出す。
それが格闘家であれ
武将や勇者であれ
数学者さんであれ・・・・・・

そのキャラクターの創作時、実際のそういいった人物の言動、名セリフ、逸話……をいろいろ調べまくり、収集し「取材」するのは、むしろ賞賛されるべき行為だろう。

で、「印象に残った実際の人物の発言やエピソードを、キャラクターの台詞として言わせたい! キャラクターの行動として描きたい!」 という時は??


おそらく夢枕獏氏のやったことは満点に近いと思うんですよ。



・誰かひとりをモデルにしない。
・性格の極端な部分などを取り出す。
・誰かの「話」(直接取材ってことだね)を、もう少し脚色して書く…


こういうことをすれば、たぶん…著作権的には、大丈夫なはずだと思う(弁護士さんなど詳しい人は教えてください)。

ただ、逆にいうと………こういうことをすれば――すなわち、こうも言えるのだ

夢枕獏なら、…たとえば彼が数学者のキャラクターを使うなら、上の漫画家に、台詞の借用を、断らず、依頼せず、もちろんお金も払わず・・・・・

少し脚色し、少し言い回しを変え、少し性格の極端な部分を取り出して、普通に借用することも、あるんじゃないか?と。


推測か。

推測だろうな。

だが、
あり得る話だ。

俺の、
小説なら―――――――――――


って、なんでまた文体模写してんだよ。ファンロードか。(※夢枕獏ネタ書く時のお約束です)


ぶっちゃけ、最初のブクマに自分がつけた
「私は極めて先進的で優れた取り組みだと、オファーした作家と編集者を激賞したい。」

と、いうのは、一から十までこの夢枕獏の話が念頭にあったのよ。「『実際の人物がこう話した』って会話の内容なんて、カネを払わなくてもモデルに出来る筈なのに、それを払うなんて画期的!!」だと(笑)




ただ……

「そのまま」じゃ漫画になりません
起こったことをどう見て、何を取り出すのか
作家の思いの繋ぎ合わせだし、物語を考える苦しさだって当然ある

これも全くもって、その通りだとは思うんですわ。というか事実としてそうだと思うんですわ。
司馬遼太郎もしばしば、「事実」だと思って色んな人が引用すると、そこは司馬の創作部分で、憤ったって話がある。「あの沖田総司は、僕が考えたんだよ!」って。
ただ、それは実際、誰が悪いのかなあとも(笑)


同じ「事実」でも、誰だけが聞いたとか、それを世間に発表したのが○○氏が最初だ!!とかによって、同じ「事実」でも、著作権で保護されるのだろうか??


いま記憶で書くけど、いまは歴史資料の「昭和天皇独白録」て文藝春秋のスクープで、当時社員のひとりだった(専務だったかな?)半藤一利がそのまま解説を書いたんだけど、その解説の中の「○○は、XXXXであった」という史実の記述部分が、或る研究家のオリジナルの研究だってことで、平謝りしてその旨を単行本で追加した―――って話があったはずだ。…うーん、いま探してもこの一件は簡単には見つからないな。週刊朝日が最初に記事にしたんじゃないかと思う。新聞記事にもなったはずだから、データベースを探れば出て来るだろう。
その時半藤氏が「その部分は既に広く知られている事実だと勘違いしていた。XXXさんが最近独自に発掘した新事実とは知らなかった、申し訳ない」みたいなコメントを読んだ記憶があり、そのふたつにどう違いがあるのかな?と不思議だったんだよね。



もうひとつ、チャップリンの権利管理財団が……

 チャップリンの生涯や作品にまつわる、いくつかの題材の映画化・舞台化の権利について、日本・アメリカ・スペインなどの数社が保有しています。せっかく企画したのにすでに他社に押さえられているというケースも多々ありますので、具体的な企画の前にお問い合わせくだされば幸いです。2017年1月以降、日本チャップリン協会が日本における代理店となりましたので、お気軽にご相談ください。

【「チャップリンと高野虎市」】
チャップリンと高野虎市のストーリーは、チャップリン家の会社の承認とアメリカ在住の高野家の許諾のもと、現在日本の会社が映画化権・舞台化権を保有しています。脚本はほぼ完成し、まもなく撮影開始予定となっています。

以上、国際的なルールに則って、文化的財産を利用・共有できるようにしましょう。
ameblo.jp


チャップリンの「生涯」や「ストーリー」を、権利として抑えている------- そんなことができるんだねえ?
これは「自伝」の著作権、という意味なのかもしれない。チャップリンの生涯の、そりゃかなりの部分は、自分じゃなきゃ語れない部分もあったろう。ただ、世に知られて以降は多くの新聞記事などを辿れば、かなりの部分はトレースできるはずで、その場合は?


そして、こういうのの問題点は、その権利を盾にすると
「批判的なノンフィクションドラマ」みたいなものを妨害できるという点だ。


この点も、自分は実の所わからんところで、
逆に、そういう現物・・・・・批判的に対象を描いた伝記漫画、事件ルポ漫画、あるいはドラマ、映画があるから、そういうのもアリなんだろうな、と思っているのだが…
かつてこう書いた。



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「1995年、プロ野球電波肖像権委員会が、マンガからも肖像権料を徴収すると決定。以降、マンガに実在の選手を出そうとすると、年間数十万円の肖像権料を支払わねばならなくなった(時事4コマ、スポーツ紙の1コママンガなどは報道性の見地から例外とされる)」 …この「時事4コマ、スポーツ紙の1コママンガなどは報道性の見地から例外」を敷衍すれば、当然原田久仁信相撲協会の報告書を再現した漫画は長編ストーリー漫画でも(笑)、許容されるのだろう。それは当然だ。野球漫画でいえば、今連載中の「江川と西本」はどうかな?

希望的には「『江川と西本』は当時のスポーツ界の真実を追う報道、ノンフィクションです。肖像権というのは筋が違う」とやってほしいし、それが認められると思うが、関係を重視してそこは争ってないかもなあ。
実際、こういう「有名スポーツ選手の物語を絵で再現します」はどこまでOKなんだろうか? 

はっきり言えば「プロレススーパースター列伝」が、今後も再刊されるのかにも関わってくる話だからね(笑)
あと、ここから言いたいのは「ジャニーズ」の話!
ジャニーズといえば肖像権を振り回してさまざまなメディアを規制する無双っぷりだが、「報道です。だから絵で再現します」とやったら… ぶっちゃけ、原田久仁信御大に筆を執ってもらい「実録!SMAP解散の真実」というのを、裁判で争われないほどに事実を踏まえたうえで描いてもらえれば


ほか、たぶん当事者からOK出てねえだろう、な実録映画



一方で、相手がどんな犯罪者で服役中であっても、本人の承諾が無いと(手記が元だから)映画化はできない…?



(略)





そして、こういうモデル小説がある……

最強のいちばん長い日

樋口毅宏

 東京ドームの控え室でひとり、男は椅子に座っていた。覚束ない視線は床や足元を彷徨っている。壁をいくつも隔てた向こう側ではグラウンド中央に設置されたリングに向かって、七万人もの大観衆が声援を送っている。熱い塊となった声が男の耳にも漏れ伝わっていたが、彼の心はどこまでも憂鬱に沈んでいた。同じ体勢でいることに飽きて、顔を上げモニターに目をやると、この日の第一試合が始まっていた。若手同士のタッグマッチだが、観客のボルテージはすでに高まっている。自分がリングに立つメインイベントは第八試合。休憩時間を挟んで、出番はまだ先だったが、酷く緊張していた。いや、苛立っていると言ったほうが正確かもしれない。
 男は「最強」と呼ばれた。これまでそのイメージ戦略は成功したと言っていいだろう。しかしきょう、あと数時間でその座から転落することが決まっていた。
 ここまでの道程は長かったように思えるし、短くも感じる。しかし行き着く先が祭壇の生贄とわかっていたら、道半ばだろうとレースから降りていたのに…(…略)…このまま時間が止まってほしい。さもなくばどこかでやり直したいと強く念じた。しかし控え室の掛け時計は大きな音を立てて、一秒一秒を無情に刻んでいた。
一九九五年十月九日、東京ドームはひとりの男の運命を大きく変えようとしていた。

 東京都北区の団地に生まれて、男手ひとつで育てられた。母親の顔は知らない。子供の頃は長嶋茂雄に憧れて…(後略)

面白い、プロレス・格闘技小説だった。

ただ、作者とどちらがディープなマニアか競うつもりはないが、まあそれなりにあの時代のプロレス・格闘技を追っていた自分としては、出てきたエピソードの殆どが、これまで公開されてきたノンフィクション、新聞・雑誌・ムックや単行本の記事、選手や裏方のインタビューなどで見聞きしたことがある、と自信を持って言える。
それを、独特の文章で再構成し、手際よくまとめたのが作家の力量だ、とは思うし、ぶっちゃけこういうのを大肯定するのだが、
もしここに出て来る言葉や逸話を、実際に取材して「俺がこの話を最初に世間に知らしめた!」と自負するスポーツライターや雑誌記者が、上のエッセイコミック作者や昭和天皇独白録に抗議して訂正補足させた研究者のようなことを考えたら、この作品は大丈夫なのでしょうか?



このへんはまず、法律の面での議論を知りたいところ。
その後、スポーツライターさんらから、本音を聞きたいところです。


(了)


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