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John 8:32 Then you will know the truth, and the truth will set you free."  複数ブログの過去記事を移管し、管理の委託を受けています/※場合により、語る対象の「ネタバレ」も在ります。ご了承ください 

【小説】LGBTの俳優は、ヘテロ役を演じることができるか〜『コーダ』アカデミー賞受賞に寄せて

以下は小説です。実際の話ではありません。

ある俳優が、突然のスキャンダル報道に見舞われた。
独身だったこの俳優は、実は既に長年の恋人がおり、同棲状態にあったのだ。
ただ、それが同性であったというだけなのだが。

しかしこの俳優は、確かに突然秘めていた恋愛のことが明らかになったことには動揺したが、自分の性指向が明らかになったことは…本来的には「アウティング」が問題になるところだがその問題はその問題で、またあらためてメディアを追及するとして。
「自分が LGBT に属する」、ということはこの機会に公表しようと決意していたからだ。
実際に会見ではそこを正面から認め、世間には極めて好意的に扱われた。
CM なども全て継続され、一件落着、かと思ったのだが・・・・・

その知らせは突然届いた
「長年演じていただいた『〇〇』という作品での◇◇◇役、現在のシーズンで降板となります。次のシーズンからは新しい◇◇◇役が選ばれるそうです。 これは監督の強い意向によるものだとのことでした」

俳優は驚いた。そして、それは「あの俳優が LGBT であることが判明したからだ」と、監督か理由を公言していることも聞いた。
とすればこれは自分だけの問題ではない。
性自認が理由で、役を降ろされるなどということがあってはならない。
そのような差別を映画界で許してはいけないのではないか、後輩たちのためにも…


俳優は直接、監督に対してそれは差別ではないかと抗議を行った。

しかしそれに対して監督はこう答えた。

「差別?とんでもない。私は性自認の問題に関して日本の映画界で最も進んでいて、多様性を尊重していると自負しています。あなたに降板してもらった理由も、その『多様性』です。すなわち私はその役柄は、実際にそのキャラクターの属性と一致している人間が演じるべきと思っているのです。ろうの役、実際に聴覚障害のある人間が演じるべき。少数民族の役は、実際にその役柄と同じ民族の俳優が演じるべき…そうこだわって映画作りをしてきました。
これは政治的に正しいかどうか、というだけではありません。そういうリアルな属性は、確実に演技、絵作りに反映され、作品がより良いものになる……それが私の信念です。
そして今回の『◇◇◇役』って、そのキャラクターが異性の恋人がいるヘテロセクシュアルなんですよ。だからヘテロセクシュアルのキャラクターは、ヘテロセクシュアルの俳優が演じるべきである。何か間違っていますか」


それに対して俳優は…

(未完)。


この記事を、受けて。

「ろう者役には、ろう者の俳優を」はなぜ日本で定着しないのか。『コーダ』が映画界に残した功績


「ろう者役には、ろう者の俳優を」

これは、シアン・ヘダー監督の強い意志で実現した。

へダー監督によると、当初関わっていた大手映画会社は、家族役には著名な聴者の俳優をキャスティングするよう求めたという。しかし、「耳の聞こえない人の役があるのに、耳の聞こえない優秀な役者を起用しないのは考えられない」と考え、それを断った。

へダー監督は手話を学び、ろう文化や歴史に詳しい専門職である「DASL(ディレクター・オブ・アーティスティック・サイン・ランゲージ)」を導入し、インディペンデント映画として『コーダ』を制作した。

(略)

アメリカの映画・ドラマ界では、人種やジェンダーセクシュアリティ、障害者などのマイノリティの役には、当事者の俳優を起用しようとする動きが広がっている。

その背景には、非当事者が演じることで、作品を通して、当事者をめぐり誤った認識や偏見を植え付けてしまう恐れや、当事者の雇用の機会が奪われるなどの問題がある。

牧原さんは、「映画の中でろう者がどう描かれるか」という表象の面において、聴者がろう者を演じる際の違和感をこう指摘する。

「大きいのは手話です。手話が第一言語ではない聴者の俳優がやると、『身振り』のようになってしまう。手話は、表情や頷き、動きのスピードも含めた言語なので、手の形だけでは微細な感情を伝えることは難しい。監修がつき練習しても、数カ月で習得できるものではありません。

また、耳が聞こえる人と聞こえない人では、身体感覚が異なります。聴者がろう者と同じ感覚になるためには、本来であれば音が聞こえない状況で演じなければならない。

たとえば目の動き。聴者は音を通して人やものの気配に気づきますが、ろう者はそれができないので特有の目の動きがある。身体表現である演技において、そもそもの身体感覚が異なるため、ろう者から見ると不自然な動作や表情も多いです」

(略)
ろう者の物語を作るのは大事なこと。しかし、日本ではどうしても、興行面や視聴率、話題性を重視し、聴者が演じることが当然という状況になっていて、これを少しずつでも変えていきたい。そのためには、俳優だけではなく、企画段階から当事者が参加することが必要…

www.huffingtonpost.jp



「多数派が少数派を演じるのはNGだが、その逆はOK」とかになる?
しかし、その理屈立てだと少なくとも、個人的にはちょっと腑に落ちませんね。

こちらでも、そのテーマを論じている連ツイですが(クリックして開いてください)、特に参考にはならなかった。


皆さんだったら、上の小説の監督の主張を肯定・または否定されるでしょうか。またその理由は?

togetter.com